第8話

「水月!」

 耐えきれない。私は水月のもとまで走る。

 水月、水月、みづき!!!

 そんな私を見て、水月は涙を浮かべて腕を開いた。

「しょうがないなぁ、もう」

 そう言って私を抱き止める体は、硬く鋭い。でも。

「水月、水月…」

「はいはい、私はここにいるよ」

 その言葉は温かく胸に沁み込む。水月は私が泣き止むまでそのままでいてくれた。

 私は涙を拭いて顔をあげる。

「あれ?水月、ちょっと大きくなった?」

「ちょっとだけね。澪より一つ分くらい」

 なんだそれ。ちょっとずるい。私が一年かけなきゃ至れない場所にそんなにすぐ行ってしまうなんて。

「ふふ、いいでしょう?」

 そんなことを言って戯ける姿がたまらなく愛おしい。この一瞬の時間を永遠に過ごしていたい。そう思ってしまう。

 ああ、そっか。この気持ちは。

「水月、大好きだよ」

 届かない想いを親愛に隠して伝えた。

「澪」

 そう、隠して。

「澪。私も、大好き」

 隠したはずなのに。

「出会ってからずっと好き。ずっと愛してる」

「でも、私は…っ!?」

 私の言葉を止めるように、水月が私の唇を塞ぐ。すぐそこにある瞳。柔らかい感触。ああ、これは。

「私の好きは、ずっとこういう好きだよ」

「うぅ、みづきぃ…」

 驚きと喜びと悲しみと、色んなものがごちゃ混ぜになってまた涙が溢れ出してきた。

「あーもう。出会ったときは私が子どもだったのに、これじゃ今更澪のほうが子どもみたいだよ?」

 そんなことを言っている水月だって泣いているのに。溢れる涙のせいでそんな軽口も叩けやしない。

 不意に、風が強くなった。木がごうごうと音を立てて波が大きく寄せる。

「そろそろ時間みたい」

 そう言って私を離そうとする手を引き寄せる。

「私も一緒に行く。水月と一緒に、どこへでも行くよ」

「だめだよ」

「なんで!」

「澪はもう戻って来れないんだよ。お父さんと同じところに行っちゃう」

「それでもいい。私の命なんてどうだっていいから、水月と…」

「そんなこと言わないで!」

 怒鳴り声が響いた。初めて水月が本気で怒ったところを見た。水月は私の頭を胸元に抱き寄せる。

「澪にも帰る場所があるでしょう?」

「無い。無いよ。私にはお父さんもお母さんもいない。この上水月までいなくなったら、帰る場所なんてどこにも…」

「あるよ。澪にはちゃんとある。帰る場所も、寄り添ってくれる人も、ちゃんと」

 わかってる。本当はわかってるんだ。でも…

「大丈夫。大丈夫だから。澪は愛されてる。みんなは家族なんだよ。あとは、澪がそれを知るだけ。ね?」

 私は小さく頷く。

 と、

「危ない!」

 急に突風が吹き、大きな波が私たちを飲み込んだ。

「よかった、無事で」

 水月が私を抱きしめて守ってくれた。

「ほら、早く陸に上がって」

 私は言われるままに浜に上がる。

 水月は私が無事に浜辺についたのを確認してこちらに背を向け、そのまま泳ぎ出した。


  ***


 夏の海は体温のように生温い。

 遠く、澪の泣く声が聞こえてくる。胸が締め付けられて、今にも引き返したくなる。

「あ」

 声が二つ増え、やがてそれも泣き声に変わった。

 ああ、よかった。二人が見つけてくれたんだ。三人で泣いているんだ。よかった。たとえ澪が気づいていなくても、涙は気づかせてくれるから。三人は血が繋がってなくても、絆で繋がってるんだって。みんなはちゃんと家族なんだって。


 …私も、その一員でいたかったな。


「絶対、幸せに過ごしてね」


 そう言って、私は再び遠くを目指して進み出す。今度こそ振り返らない。遥か遠く、遠くへ。


 暗い夜空の隅っこで、小さな流れ星が光って消えた

 

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潮騒の夢 @fuuka-kkym

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