5


寒いこの地方に飛ばされてきたアルファードを出迎えたのは、まぎれもなくシュヴァルツの恋人であるアリッサだった。最後にあったときよりもすこし痩せてしまった彼女に、アルファードはどう声をかけてよいものか、と迷った物だ。しかし、日がたつにつれ他は変わらないことが分かったし、特に気にかけることもなく過ごす。

アリッサは高校生の身で戦争に参加した少女だった。医者の子供であったからか、衛星兵としてシュヴァルツの隊に入り、そしてシュヴァルツを支えた。アルファードは何度か彼女とシュヴァルツの恋愛相談にも乗ったことがあるが、非常にお互いがまどろっこしかったのを覚えている。


今では昔のように笑顔を見せるアリッサだが、この地方に来たころは泣いてばかりだったらしい。この地方の住民が心配するほどに、だ。

 しかし、一人の男がアリッサを尋ねてきて、泣き止んだという。アルファードはシュヴァルツかと推測したが、そうではないらしい。

 医務室のベッドでごろごろとしながらアルファードは思考を巡らすが、これといった人物が浮かばない。誰だ。


「アルファードさん、こんなところでさぼっていないで、お仕事してください。仕事」


書類をとんとんと叩きながら、アリッサが口を開く。一介の衛生兵だった少女が医務室の主として居座っているのは可笑しな話だが、医者が足りないこの国では仕方のないことだ。優秀な医者は中央の地方にいる。


「仕事なら終えてきた」

「嘘ばっかり、貴方の上司が探してましたよ」

「げ」

「誰かが来たって」


その言葉に、アルファードはハッとして立ち上がる。そして、医務室から飛び出していった。

アリッサはそれを何時ものことのように――といっても、日常になりかけているそれなのだが――見送り、また書類整理を始める。扉は開いているが、アリッサの部下か通りがかった人が何時も閉めてくれる。最近になってようやくさまになってきた医務室の仕事は、アリッサにとっては救いでもあった。仕事をしている間は、恋人の置かれている立場など忘れてしまえるから。パタン、という扉が閉まる音がして、アリッサは顔を上げずに「どうしましたか?」と尋ねる。


「――腕に裂傷を負ってしまった」


聞こえてきた声に、まさか、とアリッサはそちらを振り向いた。


「シュヴァルツ、さん?」


そこにいたのは紛れもないシュヴァルツだ。あちこちに傷を負っているが、かすり傷程度のそれだった。驚いてペンを落とすアリッサに、シュヴァルツは微笑む。


「久しぶりだな、アリッサ」

「シュヴァルツさん!」


どうして、だとか、処刑はどうなったか、だとか。アリッサは聞きたいことが一杯あったが、どれも言葉にならない。たまらず抱きついたアリッサをシュヴァルツはいともたやすく抱きとめると、愛おしそうに髪をすいた。


「アリッサ、話を聞いてくれるか。時間があまりない」

「どういう、いみですか?」

「そのままの意味だ、俺は、今、脱獄犯という立場だからな。捕まっては意味がないだろう?」

「脱獄できたんですか?」

「ああ、レス――傭兵団の隊長のおかげで、な。お前とアルファードのおかげでもある。頼んでくれたんだろう?」


ふっと笑ったシュヴァルツに、アリッサは首をかしげた。泣いてばかりだったアリッサを尋ねてきたのは確かにレスだった。なんでも、腕の立つ衛生兵を探しており、偶々アリッサに目をつけたらしい。しかし、そこで頼んだ記憶はない。ただ、「私の上司はシュヴァルツさんだけ」とつげ、その言葉にレスが「なら、そのシュヴァルツごと仲間に引き入れる。助け出してやる」と答えただけだ。アリッサがその言葉に救われたのは確かだが、冗談だと思っていた。


「――俺はレスの傭兵団に入ることになった。この国が今のままでは、俺は一生脱獄犯という立場だ。だから、外の協力を得ようとも思う。この国を変えるために。アリッサ、共に来ないか」


シュヴァルツの言葉に、アリッサはハッと息を呑む。そして、ゆっくりと目を伏せた。


「アリッサ?」

「――シュヴァルツさん、そのお誘いは遠慮させていただきます」


ゆっくりと首を左右に振ったアリッサに、シュヴァルツは「そうか」と告げる。


「一応、理由を聞いておこう」

「私は確かにこの国が嫌いです。この国から出たいと何度も思いました。戦争が起こったときも、戦争中も、終戦後も、何度も何度も。でも、この国はそれでも私の祖国です。私は貴方のように何か罪をかぶせられたわけではありません。貴方のように、死を持って国を救うこともできません。貴方が外からこの国を変えてくれるのなら、私も同じようにこの国の内側から少しずつ変えて生きたいのです。それに、」

「それに?」

「貴方がこの国に帰ってきたときの、居場所が必要でしょう?」


ふわり、と笑ったアリッサにシュヴァルツの口角があがる。「ああ、そうだな」というと、アリッサの頭をグシャグシャと撫でた。


「なんだ、シュヴァルツ、説得失敗してるじゃないか」


ひょこり、と窓から顔を出したのはレスだ。隣にはアルファードもいる。


「すまない、レス」

「嫌、いい。お前のような立場なら無理にでも連れ出すが、そうでもないからな」


レスはそう言って肩をすくめた。


「ひさしぶりだな、アルファード」

「あー、はいはい、俺はいうこと特にないから二人でいちゃついときなよ」


ふいっと顔をそらして、アルファードはそう告げる。シュヴァルツは真っ赤になって固まった。


「俺達は邪魔だな」

「そう、邪魔だ」

「だが、そろそろ行かないと。雲行きが怪しくなってきたらしいからな」

「そうか」


レスの言葉にシュヴァルツはアリッサに向き直る。


「アリッサ、俺は――」

「言わないで。私に何か言葉があるなら、帰ってから教えて下さい」


シュヴァルツの言葉を制し、アリッサはふわり、と優しい微笑を浮かべ、優しい声色で口を開く。


「私は、貴方のことが嫌いです。だから、世界のどこへでもいってください」

「――」

「でも、怪我をしないで。死ぬなんてもってのほかです。たまにでもいいから、連絡をください。じゃないと、別の誰かを愛してしまいますよ」


シュヴァルツはきょとんとした表情をしたが、すぐに笑みを浮かべる。

「ああ、できる限り連絡をする」

「シュヴァルツさん、」


チュッという音と共に、シュヴァルツが固まる。キスをしたアリッサは悪戯っ子っぽく笑った。


「シュヴァルツ、いくぞ!」


レスの声に我に返ったらしいシュヴァルツは、首を左右に振ってもう一度アリッサをみる。


「またな、アリッサ。アルファードも礼を言う」

「ああはいはい、お礼は帰ってきたときでいいから」


ほら、置いていかれる。やすやすと窓から室内へ入ったアルファードはシュヴァルツの背中を押した。 シュヴァルツはふっと笑って、窓から外へ降りる。そして、レスと共に走り去った。



     終

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理想郷からの逃避 海波 遼 @seaisfar

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