第4話
三ヶ月、という月日は、あっという間に過ぎていくもので。明日になれば、スノーはセーラー夫妻に引き取られることになっている。「鏡の精」として話を聞くに、スノーはとても喜んでいた。念願の家族が手に入るのだから、当たり前だろう、とも思う。
杖をつきながら礼拝堂を進んでいく。夜となり、ライトアップされたそこは美しい。外には雪がちらついているのが見えた。アランがこの場所に来たのは、なんとなく、だった。祈ろうとか、そういう考えが浮かんだわけではない。ただ、眠れなくてこの場所にやってきた。ちらり、と視界に映った懺悔室に、アランは気が向いた。そちらに向かってゆっくりと歩き出す。少し時間をかけてアンティーク調の扉の前に立つと、なんだか懐かしい気持ちになった。神父になるもっと前のことだ。アランは何度か告解をしたことがある。それ以来だ、この扉の前に立つのは。
ゆっくりと扉を開ければ、やはり、きぃ、という音を出して扉は開く。電気をつければ、大きな鏡のなかの自分と目が合った。鏡の前の椅子に腰掛け、確かに幼い子供なら自分を鏡の精だと信じてもおかしくはないな、などと考える。鏡の精、といえば。どんな質問にも答えてくれる鏡だ。本当に鏡の精がいたとすれば、アランは頭の中でごちゃごちゃと考えている問題をぶつけられただろう、などと思う。
「……鏡よ、鏡。少し、聞いてくれないか」
そういって鏡を覗き込んでも、別段変化はない。アランはゆっくりと目を閉じる。鏡の精がいなくても、カーテンの向こう側に人がいなくても、誰かに打ち明けたかった悩みを吐露する。
「私は、あの子を騙しつづけた。これは罪なことだ、だが、あの子の傷ついた表情をみたくなかった。自分で気づいてくれれば、笑い話にでもなる。私は成長を見守るつもりでいたが、神はそれをお許ししてくれなかったようだ」
そこで一度区切り、アランはもう一度問いかける。
「鏡よ、鏡。教えておくれ。私はあの子に真実を告げるべきであるか、それとも夢を見させ続けるべきであるか」
アランが喋り終えると、無音の空間が広がる。何を馬鹿なことをやっているのだ、と、アランが目を開いて、杖を持って椅子から立ち上がろうとしたとき、不意に優しい女性の声が聞こえた。
「そのまま、黙っておきなさい」
アランが驚いて、鏡を見れば美しい女性がアランを見て微笑んでいる。
「『気づくこと』は、子供の成長にとって大切な物です。その子が成長すれば、いつか、どんな夢物語も大人が見せてくれた夢なのだと理解し、そして同じように夢を見せるでしょう。しかし、大人が無理矢理夢を奪ってしまえば、その子が大人になったとき、子供の夢を奪う存在になってしまいます」
「――しかし、このままでは、あの子は気づかず成長してしまうのでは?」
「いいえ、いつか、必ず気づきます。それは何年先かわかりませんが。子供は大人が思っているより、賢い物ですよ」
そう答えて微笑みながら薄くなっていく女性。それを唖然とした表情でアランは見つめていた。
「神父、アラン神父」
ぐらぐらとゆすられる感覚に、アランはゆっくりと目を開く。視界に映ったのは、あの懺悔室の室内だった。アランを起こした若い神父は「こんなところで寝てるとは思いもしませんでしたよ」等といいながら苦笑いをする。寝起きで付いていかない頭をどうにか回転させ、アランは室内の鏡を見た。自分を映す変哲もない鏡。
「夢、か。何処から何処までが夢なのか」
「どうかしました?」
若い神父がアランをみて首をかしげる。「いや」と、アランは左右に首を振って、杖を持つと立ち上がった。若い神父が扉を開け、アランはその部屋を後にする。
「そういえば、神父。鏡のこと、どうするんですか?」
「鏡のこと?」
「ほら、あの鏡の精の――」
「ああ、それか。黙ったままにしておくよ」
「どうして? あのままじゃメルヘン思考の変な大人になってしまいます」
「君は、どうしてそう思う?」
「だって、あんな夢物語、現実じゃありえないじゃないですか」
「でも、否定することはないじゃないか」
「いいえ、否定しますよ。そうじゃないと、碌なやつに育たない」
「大人が否定しなくても、いつか子供が気づくだろう。子供は私たちが思っているより賢いのだから」
そういて微笑んだ神父に若い神父は口をへの字に曲げた。納得がいかないらしい。そこから話をきりかえて、雑談をしながらアランと若い神父は礼拝堂を出る。そこで、ドン、と走ってきていたスノーとアランがぶつかった。アランは若い神父に支えられ、何とかこけずにすんだが、スノーはアランにもたれるような形になった。慌ててスノーは飛びのき、「ごめんなさい」と口にする。
「いや、私こそ悪かったね。大丈夫かい?」
アランの声にスノーはきょとん、とした表情をした。そして、アランに聞き取れるぐらいの声の大きさで小さく「鏡さん?」と首をかしげる。その言葉にアランは頷く。
「今日は君とお別れだからね、君にお別れをいうために鏡から出てきたんだよ」
アランの言葉に、スノーは目をキラキラとさせた。アランはスノーと手をつなぐと、ゆっくりとまた歩き出す。
さて、この少女が自分の正体に気づくのが先か、それとも、自分が死ぬのが先か。どちらにせよ、少女の笑い話の種になればいい、だなんて思いながらアランは歩く。ちらりちらりと雪が降る、寒い日のことだった。
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