第2話


 葉が黄色く染まりはじめたある日、エリックが家族を連れて教会にやってきた。教会の外で掃除をしていたスノーはエリックを見つけると、箒を持ってエリックに駆け寄る。エリックは照れくさそうにそれを迎えた。

「おはよう、エリック」

「ああ、おはよ」

 何時ものように、ふいっとそっぽを向いたエリックを気にせず、スノーはエリックの隣にいた彼の両親にも挨拶をする。

「おはようございます」

「ああ、おはよう。今日も元気そうだね、スノー」

「はい、元気です」

 ふにゃり、と笑みを向けたスノーにエリックの両親――マーレイ夫妻は微笑む。ふと、マーレイ夫妻の奥にいた老夫婦を見つけ、スノーは首をかしげた。知らない人である。エリックの家でも見たことがないし、この街でも見たことのない人だった。観光客だろうか、とスノーが迷っていると老夫婦の夫人がスノーに目線を合わせてかがんだ。

「はじめまして、私はアイリーン・セイラーよ。エリックの叔母に当たるわ」

「はじめまして、私はスノーです。エリックのお友達です」

 ぺこり、と頭を下げたスノーのセイラー婦人は微笑を浮かべた。

「貴方にぴったりな名前ね」

「?」

「だって、貴方はスノーホワイトみたいだもの」

 そういったセイラー婦人にマーレイ夫妻は頷いた。艶めかしい真っ黒な髪に、透き通った青い目、そして林檎のように赤い唇にピンク色の頬。スノーは所謂「美しい子供」の部類に入る。だからこそのセイラー夫人の言葉である。スノーは嬉しそうに笑った。

「ふふふ、エリックと遊んでらっしゃい。子供は遊ぶのが一番よ」

 セイラー婦人の言葉に、スノーは頷く。エリックが差し出した手を握ると、箒を持ったまま駆けていった。セイラー夫妻は優しい笑みを浮かべたそれを見つめる。

「とても可愛らしくて、いい子でしょう?」

「ええ、そうね」

 マーレイ婦人の言葉にセイラー婦人は頷いた。



 箒を置いてくるね、とエリックをおいて駆けていったスノーに、エリックはため息をついた。広い礼拝堂でぽつんと一人待つのは苦痛である。目の前には十字架やキリスト像とマリア像が掲げられていて、キラキラとステンドグラスが反射している。ふと、目に入った小部屋にエリックは興味を持つ。石でできたこの教会に、アンティーク調の木の扉は何処か歪に思える。近づいたエリックはそこに書かれていた文字を何とか読むことができた。

「ざ、ん、げ、し、つ? 懺悔室」

 神父に罪を打ち明け、神に許しを請う部屋。エリックはそう父親から聞いたことが会った。入ったことはない。すこしだけ扉を開ければ、思ったよりも音が鳴った。中には誰もいない。これ幸いとエリックは中に入り込む。そこにあったのは大きなウォールミラーだ。美しい装飾が施されている。その後ろには黒いカーテンがひかれており、中が壁なのか何なのかわからない。

 ――鏡といえば。

 エリックはスノーから聞いた話を思い出した。あのね、あの教会にはね、白雪姫に出てくる鏡があるんだよ。

 そう言ってはにかんだスノーに、思いっきり否定の言葉を浴びせて不機嫌にさせてしまったのは記憶に新しい。次の日には何もなかったかのように、けろり、としていたが。

「この鏡だったのか」

 エリックはそういって鏡を見る。自分がうつるだけのそれだ。ためしに、エリックは「鏡よ、鏡」と呼びかけてみる。やはり、反応はない。しばらく鏡を観察して、スノーの勘違いか、と思ったとき、何処からか扉を開ける音が聞こえてエリックは方を跳ね上げた。

「おや、君は――」

 声が聞こえてきたのは鏡の向こう側からだ。しかし、鏡の中は自分と同じような表情の――驚いて固まってしまっているエリックの表情が見えるだけで他の誰も映っていない。

「スノーと遊びに行かないのかい? エリック」

 優しく呼びかけられた声に、エリックは固まった。どういうことだ、とか、スノーの言葉は本当だったのか、とか、ごちゃごちゃと考える。

「鏡の精、なのか?」

「……君がそう信じるのなら、そうだよ」

 尋ねた質問の答えは曖昧なそれだ。しばらく硬直していたエリックだが、すぐにはっと意識を取り戻し、後ろにあったカーテンをめくる。その奥、カーテンで隠された金網の奥にいた年老いた神父――アランは一瞬驚いた物の、すぐに笑みを浮かべた。

「こらこら、めくってはいけないよ」

「やっぱり鏡の精なんかいないじゃないか」

 カーテンを元に戻しつつエリックは不満そうに椅子に腰掛ける。それをみたアランは困ったように笑った。

「そうだね、君や私にとってはそうだ」

「? どういう意味だよ?」

「そのままの意味さ。言っただろう、信じるのなら、そうなのだと」

「もしかして、スノーのこと言ってるのか?」

 エリックの言葉に、アランは数秒間をおいて「そうだよ」と答えた。

「スノーをだましてるの? 聖職者の癖に?」

「結果的にはそうなってしまってるかもしれないね。でも、あの子は私を鏡の精だと信じてるんだ。それを裏切りたくはないんだよ」

 そう言ってアランはまた、困ったように笑った。カーテンを隔てているので、エリックには見えないのだが。

「いつか、スノーが自分で気づくまで。黙っていてくれないかい?」

 そう尋ねたアランの言葉に、エリックは「しょうがないな」と頷いた。



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