ミラー、ミラー、ミラー

海波 遼

第1話


 アランは小さな街の教会の年老いた神父である。昔は鉄鋼業で栄えたその町は、今はもう寂れてしまい、少しの人が美しい町並みをまもって暮らしている。アランの勤めている教会もその「美しい街並み」に溶け込む建物の一つで、小さいながらもまるで美術の教科書に出てくるような建物だった。歴史は古く、ルネッサンス期に立てられた物であるという。アランはその教会で一番偉い地位にいた。足を悪くしてからは、あまりミサなどに顔をださなくなったが、それでも続けているのが「告解」の立ち会いである。

 この教会の「懺悔室」と呼ばれる場所には、何故か黒いカーテンの上に美しい装飾がなされたウォールミラーがかかっていることで有名だ。この街の信者や、観光でこの教会に訪れた信者達が鏡に語りかけるように懺悔をする。その相手をするのが、年老いてしまったアランの唯一の仕事だった。

 今日も今日とて、告解に立ち会うアランは、小さな影が懺悔室に入ってくるのを見て、頬を緩めた。小さな影は、鏡に向き合うと、何時ものように鏡に向かって呼びかける。

「鏡よ、鏡よ、鏡さん。こんにちは」

「ああ、こんにちは。また来たんだね、スノー」

「だって、わからないことばかりだもん」

 小さな影の言葉に、アランは微笑む。このやり取りがアランの日課になっていた。

 年老いた神父であるアランと小さな影――スノーという子供の関係は一言で言って「奇妙」、もう一言付け加えて「御伽噺のような」関係である。表向きには教会の神父とその教会に預けられている孤児という関係であるし、アランは面と向かってスノーと会ったことはないに等しい。面と向かって対峙したのは彼女に名づけたときぐらいだ。なので、スノーはアランのことをよくしらない神父の一人としてぼんやりと認識している。では、なぜ、アランとスノーの関係を「奇妙」で「御伽噺のような」関係なのか。それは、スノーがアランのことを「白雪姫」にでてくる「鏡の精」だと思っているからである。



 はじまりは、些細なことだった。街の大人や知らない観光客の大人達がその部屋に入っては何かを会話し、そして晴れたような顔をして部屋からでてくる様子を幼いスノーは不思議に思ったのだ。部屋に入っても大きな鏡がかかっているだけの、暗く、小さな部屋。その部屋を見てスノーの頭には「白雪姫」の一場面が浮かんだのだ。自分の身の丈に合わない椅子に登り、鏡に向かってあの言葉を投げかけたのだ。

「鏡よ、鏡よ、鏡さん」

小さな子供からどんな内容の告解がくるのだろうか、と身構えていたアランは投げかけられた言葉に、驚き、そして、微笑む。小さな子供だから起こりうる、可愛らしい勘違いだった。

「どうしたんだい、お嬢さん」

 アランはこの幼い女の子の夢をつぶすのは可哀想だ、と呼びかけにこたえた。スノーは鏡から返答が来たことに驚き、そして喜ぶ。それから毎日のように、スノーは鏡のもとへ来ては質問を投げかけていくようになった。その様子が微笑ましくて、アランは嘘をつき続けていた。これが、アランの日課と、「奇妙」で「御伽噺のような」関係の始まりである。



「今日はね、エリックと遊んだの」

 そう話すスノーにアランは相槌を打つ。エリック、というのはこの街のなかでも指折りである裕福な家庭をもつ少年だ。キラキラとしたブロンドの髪を整えて、まるで人形のように青い目を持つ彼は親と共にこの教会に祈りに来ることが多い。意地悪な富裕層がいる中、エリックの家庭は大変慈愛的であり、時々一人で遊ぶスノーを遊びに連れ出してくれる家族だった。この街に子供が少ないことも理由になるのかもしれないが。いつもならエリックと遊びに出かけた日は楽しそうに話すはずなのに、今日は何処か不服そうだ。

「なにかあったのかい?」

 アランが優しく問いかけると、スノーはムッとしたような表情で口を開いた。

「エリックに鏡さんのこと話したら、そんなことないって、ありえないって」

 スノーの言葉に、アランは少し戸惑う。何時かはこの関係には終わりがあるのだろう、とアランは思っていた。スノーが真実に気づいてしまえば、この関係はすぐに終わる。ただの嘘で築かれた関係だからだ。スノーが大人になるまでは、と、どうしてもアランは終わらせたくなくて、ごまかすようにスノーに告げた。

「君が私を信じていれば、鏡の精はここにいるよ」

 小さな嘘だ。いつかはきっとばれてしまう。しかし、そんな言葉でも満足したスノーは満面の笑みを浮かべる。

「うん、信じてるよ。だって、鏡さんは本当のことを教えてくれるもの」


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