第23話 新たな日々

 フローレンスは目を覚ました。自分のいる場所が分からず、彼女はベッドの上でぼんやりと天井を眺めていた。しばらくして頭がはっきりしてくると、バートラム家の邸宅の客間にいるのだと気がついた。彼女のために用意された部屋ではあったが、あまり長く滞在している訳ではなかったために、室内の印象が薄かった。

 彼女は上体を起こし、自身の身体の状態を確認した。いくらかの疲労感はあったが、深刻な怪我などはなかった。周囲を見回すと、机の上に置かれた小瓶に目が留まった。親指ほどの大きさの小瓶で、少量の灰のようなものが入っていた。


 目が覚めたことを誰かに知らせようと思っていると、ロゼが部屋に入ってきた。彼女はフローレンスが起きていることに気づくと、言葉に詰まったようだった。

「……よかった。もしかしたら、目を覚まさないかも知れないと思っていたから」

「心配かけてごめんね、ロゼ。わたしはどのくらい眠っていたの?」

「今日で三日目よ。大聖堂の火災が鎮火してすぐ、あなたは救出された。小さな擦り傷や切り傷はあっても、あなたはほとんど無傷だったそうよ。一体、何があったの?」

「それは……」

ザイドのことを他人に話すのはためらわれた。相手が数少ない友人であっても、例外ではなかった。

 フローレンスは机の上の小瓶を指さした。

「あの小瓶のことは分かる? 何だか気になって」

「救出されたとき、あなたは灰の山に埋もれていたそうよ。そのほとんどは風に吹かれて飛んでいってしまったけれど、あなたはその一部を手に握って離そうとしなかった。何か意味のあるものかも知れないということで、瓶に入れて取っておいたと聞いたわ」

あれはザイドの遺灰だった。彼は灰になってもなお、彼女を守ろうとしたのだった。


 ロゼがフローレンスのことを知らせに行き、リリアとユスティアを連れて戻ってきた。リリアは嬉しそうな様子だったが、ユスティアは浮かない顔で視線を逸らした。

「心配しましたよ、フローレンス様」

「ご迷惑をおかけしました、リリア様。ところで、ほかのみなさんがどうしているか伺っても?」

「ええ。まず、あの場にいた全員、命に別状はありません。一番怪我が酷かったレッドも警備の仕事に戻っています。ガブリエル猊下は呪詛を受けたそうですが、本人が言うには完治しています。大聖堂の焼失に枢機卿と聖女の死、教会長の失脚という大事件の後ですから、教会で忙しくされています。まだしばらく当地にいらっしゃるそうなので、そのうちお会いできますよ」

 消えたクロードとアリスの亡骸のことは、今のところ何も分かっていないということだった。

「レイフォードも目を覚ましました。記憶が混乱しているようで、現在はアーカムとともにルークさんの監視下に置かれています。少なくとも、命は保証されるはずです。ルークさんは、異端審問に乗り込んで問答するだけなら同行する必要はないだろう、と言ったことが後ろめたいのか、猊下に言われるままに働いています」

リリアはユスティアに視線を向けた。

「ユスティアのことは、本人に聞いてください」

リリアとロゼは部屋を出ていった。


 フローレンスはユスティアに視線を向けた。ユスティアは黙ったまま、何も言おうとしなかった。

「わたしはあなたに酷いことをしたわ。謝ったからといって許されるとは思わない。それでも、言わせてね。ごめんなさい、ユスティア」

「……悪いと思っているのなら、それでいいわ。今回だけは許してあげる。あなたにとって大切なことだったんでしょう」

「……ええ」

 ユスティアの目から、涙が一滴、流れていった。それから、彼女は堰を切ったように泣き始めた。フローレンスは力の入らない身体を何とか動かして、ユスティアを抱き締めた。

「無事でよかった、フローレンス」


 ユスティアが泣き止むまで、フローレンスは彼女を離さなかった。涙を流し終えたユスティアは、気恥ずかしいのか頬を染めていた。

 フローレンスはベッドに腰を下ろした。

「これからどうするつもりなの、フローレンス?」

「しばらく休みたいわ」

「その先は? ミカエラ様はあなたを聖女に戻すつもりよ。王都に戻るの?」

「分からないわ。あなたは、どうしてほしい?」

ユスティアは逡巡するように視線を泳がせた。

「好きにすればいいわ。私が頼んだら、バートラム領に残るとでも言うつもり?」

「ええ。あなたのことは好きよ。一緒にいたいわ」

ユスティアは耳まで真っ赤になって、絶句してしまった。

「でも、今はまだ、先のことなんて決める気にならないというのが、正直なところね。せっかく、新しい日々を生きられることになったばかりなんだから」

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灰の聖女 梨本モカ @apricot_sheep

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