第5話 食い違う幸せの定義


 娘である沙織が呼び出したとはいえ、財閥の総帥を勤めている父親はすぐには来れなかった。

 しかし、なんとか時間を作り出し、病院を訪ねることができた頃には、すでに悠輝の検査も終わっていた。

 検査の結果はといえば、悠輝の体には特に異常はなく、健康体であった。

 ひとまず、その結果に安堵した沙織は離れていた時間を埋めるかのように悠輝に寄り添っていた。

 いや、イチャイチャしていた。


「なぁ沙織って呼んでもいいか?」

「ん? いいけど急にどうしたの?」


 悠輝が言いにくそうに沙織に呼び方を変えてもいいか聞いている。

 実のところ悠輝は高校生になって、沙織のことをちゃん付けのあだ名で呼ぶことに恥ずかしさを覚えていたのである。


「なら私も悠輝って呼ぶね。呼び捨ての方がなんか好きかも」


 沙織はデレデレである。それはもう「誰だお前?」となるほどに。

 十年間の間に際限なく積み重なっていった愛は枯れることを知らず、溢れ出している。

 

 それに対して、悠輝もそれを受け止めるだけの器があった。

 直接好きの言葉を口に出さなくても態度で伝わる。まさに熟年の夫婦といった感じかもしれない。


「お父様、お母様が到着されました」


 と、ここで沙織の両親が到着したことを知らされた。

 沙織の両親が病室へ入ってくる。


「沙織。いきなり呼び出してどうし――」

「ねえ。どうして私から悠輝を遠ざけたの? その理由を聞きたいんだ」


 沙織の隣にいる悠輝を見て、言葉を詰まらせる父親。

 その父を睨みつけて問いただす沙織。


「悠輝君……記憶が戻ったのかい?」

「えぇ。沙織の頸の火傷に触れた時に全てを思い出しました」

「そうか。よかったよ」

「ねえ! 無視しないで!」


 沙織の父と悠輝の父は仲が良かった。互いの子供を通じて知り合ったが、お互いに話していて気持ちがいい相手だった。だからこそ、悠輝の父が死んだと聞かされた時はショックを受け、まだ幼かった悠輝を心配した。実の娘である沙織と同じくらいに。


「沙織。君は当時、完全に悠輝君に依存していた。それはわかるだろ?」

 

「ええ。今も昔もそれは変わらないわ」

 

「その依存は良くないと我々大人は考えて、君たちを一旦引き離すのを考えていた。そんな最中のあの事件だ。記憶を失った悠輝君と状況把握が曖昧な沙織。この状況はチャンスでもあったんだよ。滅多に隙を見せない二人に初めてできた隙だった。悠輝君の祖父母とも話し合って、二人を引き離すことになった」

 

「そんなこと私は望んでいなかった! 勝手なことしないでよっっっ!」

 

「あぁ、今思えば失敗だったのかもしれない。悠輝君を失った君は次第に自分をも失った。その時気づいたよもう手遅れだったことに」

 

「苦しかったよ! 誰も助けてくれなかった! 私の半身を取り上げられたに等しかったの」


「悠輝君は君を知らないで生きていた。私はもうそれでいいと思ってしまったんだ。沙織もしばらく経てば現実を理解するだろうと。悠輝君は苦しまずに生きていけるとも思った」


 父と娘の会話を傍観して聞いていただけの悠輝がここに来て、口を出した。

 

「あなたには理解できないのかもしれないが、俺は今、記憶を取り戻せて良かったと思っている。何も知らずに、全てを忘れて生きていくのは確かに楽かもしれない。だけどそれほど怖いことはないんです。あなたがしたことは勝手で、独りよがりの最低な行為です」


「そうか。すまなかった。誤って許されることではないが、一つ聞きたい。私はどこで間違えたんだろうな」


「知りませんよ。自分で考えてください」


 沙織の父を睨む悠輝。その隣では悠輝の腕の中で沙織が泣いている。

 その光景を見て、沙織の父は二人の仲を裂いたことを今更ながらに後悔した。


―――――


 その翌日。幸いにも学校が休みだったため、無事に退院した悠輝は沙織と共に悠輝の両親が葬られている墓に向かっていた。


「父さん。母さん。全部思い出したよ」

「長い間なかなか勇気が出ずに尋ねられなくてごめんなさい」


 そんなことを語りかけながら長い間その墓に手を合わせた二人は顔を上げる。


「忘れられて、置いて行かれて、それをずっと追い続けるのと忘れて、存在も知らずに、過去を置き去りにする。どっちの方が苦しいんだろうね」

「決まってるよ。どっちも苦しい」


 少し感傷気味に悠輝が呟く。

 

「私のことを思って依存をやめさせるよう強制するのと、無理やり依存相手から引き離される。どっちが良かったんだろう」

「わからない。でも必要なのは言葉じゃないかな」

「確かに。もっと話し合うべきだったのかもしれない。人は一人では生きていけないのに」


 沙織が少し父を責めすぎたことを悔やむように言う。


「でも今が幸せだからそれでいいか」

「それもそうだな」


 そう言ってお互いに見つめ合う。


「沙織。愛してる」

「私も。愛してる」

 

 そう言って二人はキスをした。

 

 結局、愛も言葉で伝えるのが誤解がなくて一番伝わりやすい。

 

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比翼連理は記憶を繋ぐ 天鈴月 玲凪 @tenreigetu07

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