第4話 思い出は記憶の鍵


 夢を見ていた。


 とても大切な日常で、忘れてはいけないもの。だけど忘れていたもの。そして、最愛の彼女。


 ―――――


 悠輝の家は大財閥だった沙織の家と違って普通の中産階級。


 悠輝は幸せだった。両親から多くの愛情を注がれ、すくすくと成長していった。


 自分が他の人と違うと認識したのは幼稚園に入ってからだった。


 自分と他の人とでは考えていることや見えているものが違う。

 入園してからはしばらくその差異に苦しんだ。

 しかし、成熟した精神を持つ悠輝は排斥されることを何より怖がった。

 だから、彼は沙織とは違って周囲に自分を合わせることを選んだ。

 だが、次第にその道を選んだのは失敗だったのかもしれない。そう考えるようになった。

 天才が他の人に合わせる。それがそもそも無理があったのかもしれない。


 そんな苦痛の日々を送る中、悠輝は運命に出会った。

 自分と同じ天才。だけど自分とは違う道を選んだ天才。その生き方に憧れるのは一瞬だった。

 思い切って話しかけてみるとやはり、他の子とは違って楽しい。惹かれていくのも当然だった。

 常に一緒にいた。初めて出かけたのは水族館だった。漂うクラゲが宝石のように見えて、綺麗だと言った。だけどそれより輝いているのはさーちゃんだよなんて今思い出すと恥ずかしいことを言ってみたこともあった。


 幸せな日々。決して忘れてはいけない日々。


 そんな悠輝の幸せな記憶は火事と一緒に焼け落ちてしまった。


 あの日。悠輝は幸せの最中だった。


 だけど、突然日の出が上がり、たちまち炎に包まれた。

 すぐに、あたりを見渡し、沙織を探す悠輝。

 燃え盛る壁の近くにいた沙織を見つけた悠輝が沙織の元に駆けつけようとしたまさにその時。


「さーちゃん!」


 壁が焼け落ち、沙織の首に当たって沙織が倒れ込んだ。崩れてもなお燃え盛る柱が邪魔をして沙織の元へ行けなくなった。そして、完全に焼け落ち、沙織の姿が見えなくなった時、悠輝の中で何かが切れた。

 

 心の防衛機能が過剰に働き、悠輝の感情を守るためにこの時以前の記憶を全て消しにかかる。

 その処理の負荷に耐え切れず、悠輝は気を失った。


 悠輝は幸いにも目立った外傷はなかったが、気を失ってしばらく目を覚さなかった。

 目が覚めたとき全てのことを忘れていた。両親のことも。幼稚園のことも。自分のことも。そして、沙織のことも。


 その後、大人たちが協議して、死んだ両親の代わりに母方の祖父母が悠輝を引き取ることになり、苗字が変わって、萩原となった。

 遠く離れた場所に住んでいた祖父母のもとで暮らすため、街を去っていった。


―――――


「あの時と同じ、知らない天井だ」

 

 悠輝は目が覚めたときそう言った。


「よかった!」

「ぐはっ!」


 悠輝が目覚めたと分かった途端、近くの椅子に座っていた沙織が抱きついてくる。


「こらこら、彼は目覚めたばかりだよ。離れなさい」


 悠輝を見ていた医師が沙織に苦笑しながら注意する。


「ごめんなさい」


 沙織はすぐに離れた。そして、壁の隅に寄り、ずっと彼を見つめた後、俯いた。


「気分はどうだい?」

「大丈夫です。ありがとうございます」

「気を失ったところを救急車で運ばれたんだけど覚えているかい? 今日で三日目なんだが――」

「そんなに経っていたんですか。いえ、覚えていません」

「ふむ。大丈夫だとは思うが一応検査させてもらうぞ」

「お願いします」


 医師が悠輝の体について尋ねた。

 気を失った原因は疲れからと診断されたが、その診断結果に医師自身が納得していなかった。

 それゆえ一応検査することになった。


「じゃあ移動するから車椅子に移動してもらえるかな?」


 まだ、目が覚めたばかりなため、歩かせるのは危険と判断し、車椅子に乗るよう医師が言う。

 

「その前に、一言彼女に言いたいことがあるんですけどいいですか?」

「あぁ構わんよ」


 悠輝のその真剣な目に押されて医師が一旦部屋から出ていった。

 悠輝はずっと俯いて立っていた沙織を呼んで、顔を合わせる。

 そして、言った。

 

「ただいま。待たせてごめんね”さーちゃん”」

「う、そ、えっほんとにゆーくんなの……?」

「うん。ごめんね。ほんとに一人にしてごめん」

「ううん。ゆーくんが無事に私の元へ帰ってくるって信じてたから。でも待たせすぎなの」


 そう言った瞬間、彼女の心は十年ぶりに満たされ、そして、十年ぶりの涙が溢れた。

 まさに号泣といった感じで、悠輝の元に駆け寄る。


「ゆうくん! ゆうくん! ずっと寂しかったの。ずっと探していたの。ずっと辛かった――」

「探し続けてくれてありがとう。思い続けてくれて本当にありがとう」


 二人は自然と抱き合ってキスをする。


 「こんこんっ」


 ここで、扉をノックする音が聞こえた。


「むう。鍵閉めちゃおうかな」

「あはは……それはダメだよ」


 二人の再会の時を邪魔された沙織が不満げな顔で不穏なことを言うと、悠輝がそれを苦笑して流す。

 十年経っても変わらないこのやりとりをひどく懐かしく思い、想いが溢れた悠輝が不意打ちで沙織にキスをする。


「んっ」

「おい! いい加減入るぞ!」


 ここで、痺れを切らした医師が入ってきた。

 病室の中で見たのは愛おしいという目で沙織を見つめる悠輝と茹蛸のように真っ赤になって唇に手を這わす沙織だった。


「イチャイチャするな! ここ病院!」


 怒り狂う医師(36)独身。


「一言だけっていっただろが! お前はさっさと検査に行ってこい!」


 そして、その怒りのままに、悠輝を検査送りにする。


 その後で、沙織に詳しい経緯を聞こうと、後ろを振り返ったところ、激怒している沙織の様子が目に入った。

 

「お父さんとお母さん呼び出して連れてこい」


 悠輝が運ばれた病院は柏原グループ系列の病院。そこの医師である彼に逆らう手はなかった。

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