第8話 執着したのは誰だったか
「あの、
「大丈夫。正気に戻った
ニアと
「違うの……。違うのよ! 発狂中は頭が変になるから。アレはあたしの本音なんかじゃないのよ。あ、愛とかなんとか……ただの世迷言なんだから!」
「分かってるって」
軽く言って手を差し出す
「~~っ! 嫌い! 死ね!!」
「酷い!」
咳ばらいをし、何ごともなかったふうを装う。
「さっきから表のほうが騒がしいわね」
「
「げっ、あいつら? あたし反りが合わないのよね」
「そうだニアちゃん、彼らが居るってことは、君のお姉さんも来てるはずだよ」
「え? あの人が?」
意外な発言に聞き返す。
「君は覚えてないかもしれないけどね。そもそも
「私が……?」
「そそ。罹患者解放連盟に拘束されて移送中だった君を、たまたま彼らが見つけてね」
まったく覚えていない。そういえば
「君は半狂乱で事情を説明してくれたらしい。お姉さんが利用されてる。危ない。お姉さんを助けてくれって。相手を
向けられた二人の視線に、
「別に貴女のためだけじゃないわ。下っ端に扮してる
「その辺の調査はこっちの都合だ。利用してごめんね。それで、君の願いを聞いた
連れだって表を目指す。だがニアの足取りは重かった。
気づいた
「どしたの? もしかして……会いたくないとか?」
「そういえばどうして、お姉さんは貴女を妹と勘違いしてるの?」
今更な質問にニアは数秒の躊躇のあと、決心したように服の裾を握りこんだ。
「たぶん要素が似ていたからです。それで、妹が馬車に
「えっと……。妹さんが死んだショックで記憶がすり替わったってことかしら。頭おかしいんじゃない? なにそいつ罹患者なの?」
「なにも精神の狂いは罹患者の専売特許じゃないよ
「へぇ。あんたもちょっとは勉強してるのね」
「任せて。君の相棒だからね」
いつの間にか周囲は静かになっていた。建物の中にも、生きた人間の気配はない。
「先代の妹は茶色の毛色をした、碧眼の女の子でした。でもあの人は正真正銘の一人っ子です」
転がる死体を慣れた様子で踏み越えてニアが続ける。
「あの人は幼いことからずっと、青いボタンの目をした茶色いクマのぬいぐるみを、まるで生きている人間の妹のように扱っていたそうです。たぶんお姉ちゃんの中で、姿形は媒体に過ぎないんですよ。だからクマが
屋敷の表に出た彼女の目に入って来たのは、どこか見覚えのある気がする二人の男と、紳士服の男に突き飛ばされる女性。
褐色の肌に黒髪碧眼のニアとはまるで違う、金髪白人の女だった。
◇ ◆ ◇
深海から浮上して、水面にやっと顔を出したような目覚めだった。
「っ!?」
目を開ければ真暗闇。自分が寝転がって空を見上げているのだと理解は遅れてやってきた。
そんな脳みその機能を置き去りにして、シャレイは自分の腹部に手をやる。記憶の通りならば、えげつない威力の小銃にそこを撃たれたはずだった。
だがいくらまさぐっても傷はない。出血どころかかすり傷一つなかった。ただ服に残った穴だけが貫通を物語っている。
「あっ、起きた。一回見殺しにしてごめんねっルスファさん」
声に目を向けると、ズタボロの布切れをまとった
「発狂中って
なぜか疑問形で終えて、おもむろに視線を
「当然だ」
「そ……そう……」
納得はしたが、それを実行できる神経がシャレイには理解できなかった。
撃たれた瞬間の痛みと衝撃、それから恐怖。思い出すだけで身の毛がよだつ。たとえ受けた傷を帳消しにできると理解していたとしても、何度も経験したい感覚ではない。
こんなことを何千回と繰り返して心が壊れないなんて。この純朴そうな少年は本当に気が狂っているのだ。
辺りを見渡すとすでに敵は制圧されていた。死体は一か所に積み上げられ、押収したと思しき刀剣類や爆薬が松明と離れた場所に集められている。あとで尋問にでもかけるのか、あの紳士服の男を含めたほんの数人だけ縄で縛って転がしてあった。
「怪我してる? どうして」
「ああこれはっ、逆行は三秒くらいが限界で。
「そういうことを言うと
「さて、お前らの言い分は?」
「なぜだ。なぜ貴様らは理解しない!? 我らの思想の崇高さが! 幸せを願うなら、我らと来るのが救済だとすぐ分かるはずだ!」
紳士の態度を投げ捨て男が噛みつく。呼びかけられた当人は、気の抜けた顔でぼんやり答えた。
「おれは今でも十分に幸せですからっ。それにあなたの言葉は、なんか響かないなっ」
指で作ったバツに、洋装男が絶句する。
「本当に相手のためを思っている人はっ、もっと思い悩むものですよ。だって相手の幸福が自分の思い描くものと同じかなんてっ、分かんないし。あなたがそんなに確信を持てるのって、それが“他人のため”じゃなくて“自分のため”だからじゃないですかっ?」
「何を言っているんだ!? 我らの活動はすべて
半ば命令のような質問。
「おれは……いままでずっと我慢して育ったんだ。酷い父親に恵まれて、母親のため、弟のため、おれだけ頑張ってっ、痛くても辛くてもお腹が空いても
控えめな笑みに、男は今度こそ言葉を失ったようだった。
静かに聴いていた
「想いに絶対の正解などない。最善を尽くしたとて、それが正しいとは限らない。想いと過程はどうあれ今回お前は間違っていた。確かなのはその結果だけだ」
責める口調ではなかった。ただ静かに、自分に言い聞かせるようにも聴こえる。彼らのやりとりに、シャレイは心臓を締め付けられるようだった。
「認めない……」
だが、それが届かない人種もいるのだ。
男が飛び起きる。
「我々は間違っていない!」
縛られていたはずの男が血走った目で駆けだした。
「おいぃ! 縄抜けされているぞ夕ちゃん!」
「結ぶの
「邪魔だ!!」
「きゃっ!」
向かって来た男にシャレイは突き飛ばされた。
男がシャレイの後ろにあった松明に手を突っ込み、火のついた木片を掴む。火傷も気にせずそれを持ってまた駆けだした。その方向には押収して集めておいた火薬の山が。
「おいおい、連日爆風は勘弁してくれ!」
男が火薬を視界に収める。まっすぐ向かっていく。
勝利を確信した笑みが、しかし直前でぐりんとあらぬ方向を向いた。
「はっ!?」
首につられて身体ごと回転する。バランスを崩して滑り倒れてしまった。木片は血だまりに落ちて火を消す。
見ていた全員が驚きの声を上げるが、一番混乱しているのは男自身だ。
なぜ自分がそっぽを向いたのか。なぜこっちに大股で近寄って来る小さな褐色の少女から目が離せないのか。
「
「お姉ちゃんに何しくさってんだテメエ!!」
駆け寄って来た少女が、男の顔面を勢いのまま蹴り飛ばした。
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