第7話 仕方がない


「ぎゃっははははははは! 好きなことしていいって、本っ当に楽しいよねぇぇェ!!」


 少年が腹から爆笑を上げて三尺棒を振り回す。


 蹂躙じゅうりんは一方的だった。


 少年は特筆するほど、腕力があるわけでも技に秀でているわけでもなかった。


 ただ異常なほど、動きに微塵の躊躇もない。それは相手へ振り下ろす鉄塊にだけではない。相手の殺意を込めた動作に少しも恐怖を抱いていないようだった。


 頭を殴られても、鳩尾を打たれても、足の腱を切られても、夕俄ゆうがは止まらない。それどころか傷一つ負っていない。斬られて血が噴き出した次の瞬間には無傷で棒を振りぬいている。


「あれは、なに……? 蜥蜴とかげみたいに再生しているの?」


 奇妙な化け物の起こす暴虐の嵐に、シャレイは思わず上ずった声を上げる。

 シャレイを押さえたまま、しょうは片手で真鍮しんちゅう製の小銃に弾を込めている。


「再生とは違う。それではあいつに刺さった刃が消えた説明がつかないだろう」


「じゃあいったい」


「『身体逆行』……あいつの稀癌きがんは身体の時間を数秒だけ過去のに戻す。だから怪我を恐れず突っ込めるんだ。どれだけ負傷しても、負傷する前に身体の時間を戻してしまえばいいから」


「私の刺した刃が消えたのは、数秒前には刃なんて刺さっていないはずだから?」


「そうだ。例えばなまり嚥下えんげしてもすぐ稀癌きがんを使えば、飲み込んだ鉛は体の中から消える。その物質の行方は知れずだが」


 物理学者がそれこそ発狂しそうなことを言って、しょうが薄く笑う。


「お前があの解放連盟に何をそそのかされたか知らないが、あんな化け物を首輪もせずに放り出すのがどれだけ危険か、少しは分かったか」


「…………それでも」


「妹の幸福が優先か。だがただ自由を与えることが、本当に罹患者りかんしゃにとっての幸福か?」


「どういう意味」


 声を荒げるシャレイをしょうが鼻で笑う。


「何よりお前は誤解している。まだ尻尾こそ掴めていないが、俺たちは解放連盟の後ろにはクェイン信教が絡んでいると睨んでいる。あの逃げ回ってる愚かな連中は利用されてるだけの阿呆共なのさ。クェイン信教の経典にはお前ら異国人のほうが詳しいだろう。あの経典は稀癌異常を嫌う。ゆえに連盟の言う罹患者の『自由』とは、あらゆる束縛からの解放。つまり死だ。お前、あいつらに預けた妹をそのあと一度でも見たか?」


「────」


 シャレイから思考が消える。それは停滞ではない。爆発する感情に言語化が間に合っていないのだ。

 しょうはシャレイから手を離した。


「とはいえ、宣教師に導かれた和人は真相を知らず、心の底から罹患者りかんしゃの救いを信じて行動しているのかもしれないがな。まったくありがた迷惑だ。だがこうしてわざわざ異国からも罹患者を集めてきている以上、殺す以外になにか別の目的があるはずだが……」


 左手で眼鏡の縁を押し上げ悩ましい表情になった。

 しかし推測は大声に中断させられる。


しょうくぅん、みんな隠れちゃったよぉぉォ。つまんなぁぁい!」


 夕俄ゆうがが駄々をこねる幼子のように叫ぶ。見れば視界から人が消えている。どうやら建物の中に逃げたらしい。


「お前は右手から向かえ。俺が左側からあぶりだす。さて、輸入したばかりの坊やこいつの出番だ」


 指示を出して小銃を構える。

 中に詰めた弾をレバーで自動装填させることで連発を可能とした、最新式のライフルだ。


 本来の射程はそれほど長くなく、威力も拳銃並みだ。分厚い木の板を貫通するのも難しい。遠距離攻撃には向いていない。戦場での使い道も、致命傷を与えるよりも相手の動きを止めることに重きを置いていた。


 だが皇和国の術理使が使えば、それも凶器へ変わる。


「さて、居るとすればあの辺か。増幅、調整──完了。ありがたく味わえ。これが皇和国一こうわこくいち繊細な術理の御技だ」


 迷わず発砲。開いた窓から侵入した弾丸が突然に軌道を変える。

 軌道上になかったはずの柱の影から絶叫が上がった。


 本来なら狙撃されるはずのない位置。なのに撃たれた理由は一つ。

 弾が直角に曲がったのだ。


「隠れても無駄だ。どんどん行くぞ。俺の弾丸は貴様らを地の果てまで追い詰める」


 用心金を兼ねたレバーを引いて排莢はいきょうし、同時に次弾の装填そうてんを行う。絶え間なく射出し、その度にでたらめな方向から悲鳴が上がる。右手でも夕俄ゆうがが暴れているようだ。左右から追い立てられて連中が表へ逃げ出て来る。


 強引な術理の行使は術理使にも反動を与えるようだ。しょうが耳から垂れてきた血を手首でこっそり拭う。すまし顔のしょうに、ちょうど夕俄ゆうがが合流した。


 三十人は敵がいたはずなのに、相手はすでにずいぶん数を減らしていた。中には戦闘に慣れて者もいたはずだ。だというのに、彼らはたった二人にもてあそばれている。


 紳士服の男が歯噛みして夕俄ゆうがを睨みつけた。


「なぜだ! 我らは君を助けたいんだ! 罹患者の幸せを本当に願って活動している! なぜ自分が縛られ利用されていることが分からない!?」


「言うことがいちいち難しいなぁぁァ。おれさぁこんなに自由なんだよぉぉォ? なんにも我慢しなくていいんだぁ。いろんなことから解放されてぇ、楽しくって頭イカれちゃうくらいに幸福なんだよぉ。そっちこそどうして邪魔するかなあぁぁァ!?」


 夕俄ゆうがの反論に、男は怒りのままに舌打ちする。


「っ、この気狂いがっ」


 会話はどこまで行っても平行線だ。しょうは嘆息を漏らした。


「……見えているモノが違いすぎるな」


 どうやらあの司令塔も大した思想を持っていないようだ。前言通りに全員処分するためしょうが指示を出そうとすると、横手から野太い怒鳴り声が響いた。


「お前ら動くなああ! この女がどうなってもいいのか!」


 筋骨隆々の労働者風の男がシャレイを羽交い絞めにして首元にナイフを当てていた。シャレイは目が虚ろだ。さっきのショックが抜けていないらしい。


 完全に人質状態だ。


「いつの間に……」


 しょうは近くで守っていたつもりだったが、シャレイが勝手にこの場を離れようとしたのだろう。そこを捕まったようだ。


 労働者は太い柱を背にしている。この位置取りだと、どれほど正確な射撃でもシャレイを傷つけず救うのは難しい。そんな狙いを付ける隙はさすがに他の連中が与えてくれないだろう。


「そうか何とも残念だ。では死んでもらおう」


「は?」


 しょうの即決に、労働者は呆けた吃音を出す。


「あっははは! そうだねぇぇ。そうしよぉ」


「おいっ、こっちに来るな!」


 夕俄ゆうがも追従して軽い足取りで労働者の命令を無視する。


「近づくなって言ってんだよ!」


「んははっごめんねぇぇェ、ルスファさァん」


「クソ共がっ。なんなんだおま───!?」


 男の視線が夕俄ゆうがへ向いたのを見計らって放った弾丸が、シャレイごと労働者を撃ちぬいた。


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