第6話 咲き乱れる


 妹に狂乱の変調が見え始めて、すぐのことだ。

 純白の紳士服を着た怪しい男がルスファの邸宅へやって来て、妹が罹患者りかんしゃであることを言い当てた。


「このままでは、君の大切な妹さんは世界に殺されてしまう。たとえ上手く逃げ隠れしようと、狂気が彼女を内側から殺していく。そうさせたくはなかろう?」


 どうすればいいかとシャレイが問うと、男は声を潜めて答えた。


皇和国こうわこくへ向かいなさい。あの国の元首は稀癌きがん罹患者りかんしゃを無暗に殺さない。利用価値を知っているからね。そのうえあそこは島国だ。術理侵略を受けることもそうそうない。侵略に打って出ることも当分ないだろう」


「そこは私たちが受け入れてもらえる土地なの?」


「奴の方針は内部成長だからね。外国人も受け入れている。帰化も簡単だそうだ。何より皇和国の術理は稀癌きがん罹患者りかんしゃの心を守ることができる。あそこなら平和に生きられるよ」


 皇和国に着いたら僕の仲間に会いなさい。

 男はそう言い残して去って行った。彼がどうやって罹患者りかんしゃを探し当て、なぜ皇和国へ導くのかは分からない。シャレイの興味はそこになかった。とにかく妹を救う方法があるならば、それがどんなに困難だろうと追い求めるのみ。


 そうしてシャレイは見送る両親に別れを告げて、妹と二人旅へ出た。

 皇和国に着くと言われた通りに港を飛び出し、男の仲間へコンタクトを取る。


 罹患者りかんしゃの自由と解放を謳う彼らは、罹患者の狂気を抑えるためには隔離が一時必要だと言った。そうして眠らされた妹は連れて行かれた。罹患者の保護のため、部外者であるシャレイはもう妹に合うことはできないと告げられる。


 落ち込むシャレイに、彼らはさらに言う。


 もしも自分たちの仲間になるのなら、その覚悟を見せてくれるなら、君はまた妹と過ごすことができるよ、と。



       ◇   ◆   ◇



 山人刀さんじんとうは確かに少年の心臓をえぐった。

 刃は骨を避け、筋組織を掻き分け、瑞々しい唯一絶対の臓器にまで深々と突き刺さった。


 はずだった。


「えっ……?」


 強く握り締めた柄が少年から抵抗なく離れる。なぜか柄の先に刃はなかった。

 思わず後退るシャレイを、さらなる驚愕きょうがくが襲う。


「びっくりしたぁっ。驚いたじゃないですかっ」


 声に見上げると、少年は何事もなかったかのようにそこに立っていた。刺したはずの腹部に傷はない。刃に裂かれた服が地肌を露出させている。布の端には血がついているものの、なぜか出血している気配がない。


 おかしい。肉を断つ感触を手で感じたはずだ。傷は、血は、刃は、どこへ消えた。いったい何が起こっている。


「どうして──」


 言葉が途切れた。引き倒されて視界が天地を返す。気づけばシャレイは地面に抑えつけられていた。


「悪いなシャレイちゃん。大人しくしていてくれ」


 低い声で気づく。自分はしょうに取り押さえられたのだ。

 さっきの異常も彼が何かしたのか。


 あんな理解不能な現象、起こせるのは稀癌きがんくらいだから。


「お前ら、こいつになに吹き込んだ。まあ想像は付くがな。純粋な奴をやぶらかして楽しいか」


「何を言います。彼女は快く自ら進んで行動したのですよ。罹患者の自由を奪う術理使を消す。そして罹患者を保護する。協力してくれれば仲間に入れる価値を証明できる。簡単なことです」


「ようは人質だろう。やり方が気に食わないな。何よりその目。自分の正しさを欠片も疑ってない無神経な目だ。昔の自分を思い出して虫唾むしずが走るよ。どうやらお前ら、報告の通り浅い人間らしい。生かす価値なし。歯向かうのなら全部壊すか」


 獰猛どうもうな笑みに、見た者すべてが背筋を凍らせ身構えた。


「いいのっ? 暁くん」


 刺した鍵を回す瞬間のような空気で少年が問う。


「ああ、好きなだけ、好きに暴れよう」


 青年が応えるように手首の黒い輪を松明の火にかざす。

 対する少年が襟巻きを外し、滑らかな首元があらわになる。その首を細く黒い刺青が一周していた。


 二つの刺青が、呼応するように微かに発光する。


「────稀癌きがん、発狂」


 しょうの声に合わせ刺青の首輪が太くなり、いばらのように首を侵食する。


「思う存分、狂い散らせ、


 呼び声にガクリとうなだれた夕俄ゆうがの目が怪しく歪む。横髪を掻き上げると、耳にはギラつく装飾ピアスが大量に光っていた。


「んふふふっ、ははっ、はぁい。りょぉかぁぁァい!!」


 瞬間、姿勢を低くした少年が敵陣に飛び込んだ。


「罹患者と付き合っていくなら、あいつをよく見ておけ」


 頭上からしょうの声がして、シャレイは関節を極められたまま上体を反り上げる。

 暁は少年の動きをまっすぐ目で追っていた。


「夕ちゃんの狂気は純粋で分かりやすい。他の罹患者に度肝抜かれる前に慣れておくことだ」



       ◆   ◇   ◆



 ニアは覚えている。

 雨上がりの早朝。道端で泣いていた小綺麗な女性の悲劇的な表情を。

 そんな彼女が自分を見上げてパッと瞳を輝かせた、あの瞬間の恍惚こうこつと優越感を。


『なんだ、こんなところにいたんだ。ほら、早く帰るよ』


『はっ? な、な、なんです? 誰ですあなた!?』


『変なこと言うなぁ。自分の姉の顔を忘れちゃったの?』


『はぁ?! いや本当に誰!? 怖い! 引っ張らないでくださいっ、どこに連れてく気ですか!?』


『どこって、私達の家だよ』


『い……え……?』


 覚えている。覚えているから、

 だから自分はきっと、狂気に魅入られたのだ。



       ◇   ◆   ◇



「ちょっと宇賀持うがじ、なにが『逃走経路は確保してる』よ。がっつり見張りがいるじゃない!」


「うが……?」


「あ、オレ宇賀持うがじっていうんだ。よろしくニアちゃん」


「女の子にコナかけてんじゃないわよ!」


「ただの挨拶だよ!?」


 ニアたちが地下牢から抜け出すと、そこは古びた土蔵だった。大きな屋敷の裏手らしい。外を窺うと七人ほどの人間が敷地外へ通じる門の前に陣取っていた。


 屈強そうな彼らを見て、宇賀持うがじが青い顔で陰に引っ込む。


「雇われっぽいけど、おかしいな……。この時間は本当に誰もいないはずなんだけどなぁ……」


「ガセ掴まされたんじゃない? 一か月も私を放置して潜入してたくせに、信用の一つも得られなかったってことでしょう。どれだけ無能なら気が済むの。存在が無為なの?」


「無為どころか危うい美丈夫イケメンとはオレのことさ。なんて、このままじゃ埒が明かないや。突っ込もう。けどオレ一人じゃこの人数はなぁ。ねえ在沙音あざね


「嫌」


 在沙音あざねが吐きそうな顔で峻拒しゅんきょする。宇賀持うがじは片膝をついて彼女の手を取った。


「そこをなんとか」


「絶対に嫌。自分でなんとかしなさいよ。主席術理使のくせに。同期が哀れよ」


「いやぁ、オレってば要領が良いだけで実力はそんなに。あのゴミ共よりはいくらもマシだったけどさ。ほらオレ、知っての通り瞬発力より持続力が持ち味だから」


「子どもの前で何を言ってるの!?」


「?」


 謎に庇われて首を傾げるニアの様子に、在沙音あざねは気まずげに唇を噛む。


「──っ。分かった。分かったわよ。その代わり、あいつら片付けたら即、終わりだから」


「うん、いつもありがとう、在沙音あざね


 にこっとんで手のひらに接吻を落とす。月明りでも分かるほど、在沙音あざねの顔が真っ赤になった。


「~~~~っ! 言っておくけど、あたしは貴方のことなんか心底大嫌いなんだから! そこのところ忘れないでよね!」


「承知してるよ。じゃあお願い」


 宇賀持うがじが袖をまくって腕をかざす。その手首には黒い布を巻いたような刺青があった。


稀癌きがん発狂────さぁ、狂い咲かせて在沙音あざね


 在沙音あざねの首にある刺青が微かに発光し、植物のつたのようにうごめほどける。


 俯いた在沙音あざね覚束おぼつかない足取りで蔵を出て行った。見張りたちが彼女に気づいてざわめき始める。


「なんだこの小娘」

「おい、誰が連れ込んだ」


 少女が顔を上げると、どよめきはさらに強くなる。

 在沙音あざねは見張り一人一人に視線を投げかけ、法悦に満たされるかのように口元をほころばせた。


「あ……ああ、ああ、あああああああ愛おしい! 愛しい愛しい貴方! あたしの良い人! こんなに並んで、感動で息が詰まりそう!」


 歓喜を叫んで身を震わせた。

 見張りたちは半狂乱で隣近所をつつき合っている。


「ずいぶん熱烈だな。おい、誰の連れだ。お前か」

「違えよ。こんな別嬪べっぴんさんとお知り合いなわけねえだろ」

「じゃあいったい」


 冷やかしの空気が徐々に困惑に変わっていく。


「愛しているわ。貴方の喜ぶ顔が見たいわ。嬉しそうな顔が見たいわ。幸福にゆるんだ顔が見たいわ」


 男が一人、在沙音あざねに歩み寄る。


「おい嬢ちゃん、いったいどこから迷い込んだんだ?」

「待て、そいつまさか牢の──」


 止める間もなく男の手が少女の肩に触れる。少女はその手を握り返し、


「愛してる。愛してるから………………貴方の苦しむ顔も、いっぱい見たいの」


 綿毛を摘み取るような軽やかさで五指をもぎ取った。


「は──はあああああっ!?」


 血の吹き出す手を押さえて男が悲鳴を上げる。

 力などろくに入っていなかったはずだ。指を切断できそうな得物も持っていない。


「痛いいたいいたいっ、指っ、俺の指、なんでええええぇっ!?」


 男が顔を真っ青にして尻餅をつく。それでようやく他の連中も事態を察したようだ。遅れて臨戦態勢を取った。


 転げまわる血まみれの男を、在沙音あざねは子どものドジを見守るように笑う。


「アハハハハハっ! もっと苦しんで、痛がって、怖がって、恐れて、憎んで、絶望して。見たい。ぜんぶ全部、見たいのあたし! 愛してる貴方の色んな顔を! たくさん!!」


 奪った指を放り捨ててうっとり血に酔う。


 その様子を蔵の中から見ていた宇賀持うがじが自慢げに胸を張った。


「すごいでしょ。ああなった彼女ね、目に映る人間がぜんぶオレに見えてるんだって。愛されてるよねオレ」


 背筋の冷たくなることをさらっと言う。ニアは飛び出そうになる悲鳴を手で直接押し込めた。


「あ、あれが稀癌きがんですか? でもどうして狂気に呑まれて。クスリは」


「打ってないよ。打ったフリはしたけど。普段はオレの術理で狂気を抑えているからクスリなんか必要ないんだ。というか、常時狂乱しちゃう末期だとクスリとか効かない効かない」


 視線の先で、在沙音あざねがのたうち回る男の腕を掴む。芋ほりのように引っ張ると、武骨な腕はあっけなく肩から外れてまた血が舞った。


 その様はまるで、結合部の甘い玩具おもちゃを壊して遊ぶかのようだ。


 ニアが視線で問うと、宇賀持うがじが声を潜めて答える。


「彼女の稀癌きがんは『解体』。なんて言えばいいかな。こう、どんな接続部も簡単に外しちゃえるんだよ。工具や力も必要なくね。人体にも関節とかあるでしょ? そこ外しちゃうの。触っただけでポロって。彼女が言うには場所によって取れやすさって一応あるらしいけど。あんな細腕に自分の腕を引きちぎられたら、そんなこと考える余裕、なくなるよね」


 在沙音あざねは踊るように見張りたちの斬撃を躱している。男たちの表情は恐怖に引きつっていた。当然だ。少し触れられるだけで人体がばらけていくのだ。すでに三人ほど、身動きが取れなくなっていた。


 最初の犠牲者はもうピクリともしない。出血多量で死んだのかもしれない。


「ふふふっ、アハハハハっ! 楽しいわね。もっともっと遊びましょう?」


 血で紅をひいて在沙音あざねが優艶に誘うと、男たちはついに心が折れたように逃げ出した。


 在沙音あざねが残念そうにきびすを返し、こっちへ戻ってくる。

 その視線は宙を虚に彷徨さまよい、なぜかニアに定まった。


 好物を見つけたような輝く瞳に射抜かれ、ニアはぞっと身を強張らせた。まさに蛇に睨まれたかえるだ。


 彼女の一歩一歩がニアの寿命を縮めるよう。手を伸ばせば触れられそうなほど追い詰められる。


「駄目だよ在沙音あざね


 二人の間に、宇賀持うがじが割り込んだ。

 躊躇うことなく在沙音あざねの手を取る。


「隣のオレをほっぽってこんな小さい子に夢中なんて、酷いなぁ。君はオレだけ見てればいいんだよ」


 道端の女を口説くような口調で在沙音あざねなだめる。少女の視線が夢から覚めたように宇賀持うがじを捉えた。膝を折って彼の腕に飛び込む。


「そうね……ごめんなさい貴方。偽物で我慢しすぎたみたい。だって色んな貴方が見たいんですもの」


「うん。いくらでもいいよ」


「ありがとう。心の底から愛しているわ。あたしがいつか貴方を偽物と間違える日がきても、変わらずあたしを愛してね?」


「もちろん。君が盲目でいられるほどに愛してあげる」


 宇賀持の存在を確かめるように深く身をうずめる在沙音あざねと、そんな彼女を軽く受け止める宇賀持うがじ。重なる二人の影は不思議と噛み合っている。


、いいなぁ……」


 気づけばニアは、そんな呟きをこぼしていた。


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