第5話 何よりも妹


「妹はとっても可愛いの。もう生まれた瞬間から天使のようで。その可愛さで病院全体が黄色い悲鳴に包まれたくらい。私のもとに神が使わしてくれた守るべき宝石なの」


「あ、ああ神? お、おうそうか……」


 徒歩移動の間、シャレイはずっと妹について語り続けている。最初はにこやかに訊いていた夕俄ゆうがも、困ったような笑みに顔面を固定して口を閉ざしてしまっていた。それでもまだぐいぐいくるからしょうも押されている。


「私が八歳のとき、すごい高熱で寝込んだことがあって。そしたら当時三歳の妹がキレイなお花を摘んできてくれて。あの子なんて言ったと思う? 『おねえちゃんおねつだいじょうぶ?』って! もう愛らしさで熱も吹っ飛ぶかと思った。なんて優しい子。心が清らか。まさに妹という概念の権化と言っても過言じゃないどころかこの世の真理」


「ずいぶん大切なんだな、その妹が」


「そう、大切。誰よりも、何よりも大切。あの子のためなら私は命もかけられる。だから狂気に魅入られたあの子を救うために、危険な旅をしてまでこの国にやって来たの。その結果たとえ二度と会えなくなったって、あの子が幸福に生きていてくれればそれで構わないって、覚悟まで決めて」


 苦しそうに胸元を握りしめる。

 その手は力を込めすぎて、血の気が引いていた。


「でも皇和国こうわこくもやっぱり、差別がないとはいえないんだ。あの子は周囲に嫌悪されて喜ぶような子じゃない。住民に混じって暮すだけじゃ、本当に幸せにはなれそうにないな。この国の術理の原理を聞いてやっと意味が分かった。術理で制御できるのは術者の。つまり、稀癌きがん罹患者りかんしゃは物扱いってことでしょ?」


 シャレイの問いに、しょうは視線を落とした。


稀癌きがん罹患者りかんしゃは国に管理されている。すめらぎからお言葉をたまわることで狂気を抑制され、そのと呼ばれる施設に入れられるんだ。稀癌きがん罹患者りかんしゃは字のごとくまれだ。総数は百もいない。その中でまともに戦えるほんの一握りが、所有権を術理使に移譲され、こうして邏卒らそつに登用されている」


「そうでない罹患者は?」


「想像の通り園から出ることは許されていない。皇和国でも今のすめらぎが即位なされるまで、罹患者りかんしゃは殺処分が基本だったからな。そう考えれば生存を保証されるだけ今は良い待遇と言える。だがあんな収容生活、死んだほうがマシだと言う奴も中にはいるだろうな」


 に、シャレイは薄く笑う。


「だから解放を叫ぶ人たちがいるんだ。猛獣じゃないんだから、檻に閉じ込めるようなことはやめろって。自由を与えてやれって」


 最初に降り立った港でも抗議活動をしている者たちがいた。すべて和人だった。


「罹患者解放連盟だな。ここ数年は特に組織立った動きが増えている要注意団体だ。あいつらの言う解放というのは──」


しょうくん。お出迎えだよ」


 話しながらいつの間にか目的地へ着いていたようだ。


 首都の外れ、森林に囲まれたその奥に、手入れを忘れられた屋敷があった。

 どうやら主を亡くして放棄された廃殿のようだ。前庭の玉砂利か踏み荒らされ、建物はすっかり自然の一部へと変わりつつあった。


 その主殿から浪人風の男たちがこちらを見据えて降りて来る。


 しょうたちから十分な距離をとって立ち止まった彼らの中央。一人だけ上品な洋装に身を包んだ男が芝居がかった笑みで手を広げてみせた。


「まさかそちらから来ていただけるとは。ようこそ稀癌きがん罹患者。そして彼を縛りつける非道な術理使さん」


 周囲の物陰からもぞくぞくと人が出て来る。帯刀した者だけではない。労働者風の者や、商人と思しき身なりの者もいる。


 その数は三十と少し。


 しょうたちはあっけなく包囲されていた。



       ◇   ◆   ◇



 自分を試す視線をまっすぐ見つめ返し、ニアは断言した。


「売られた? いいえ……がそんなこと……するわけありません」


 奥歯を噛んで眩暈めまいを耐える。歳に似合わないしわが眉間に深く刻まれていた。

 反抗的な空気を感じて、なぜか在沙音あざねは途端に機嫌が良くなった。


「あら調子が出てきたのね。気分は良くなった?」


「いえ……。ずっと最悪です」


「それは重畳。クスリが効いてる証拠よおチビさん」


 在沙音あざねが組んでいた足を下ろして、やっとニアに向き合う姿勢をとる。


「それで? 売られてないってどうして断言できるのかしら。金か恐怖を浴びるほど与えられて豹変しない人間なんてめったにいないわ。それに貴女、稀癌きがん罹患者りかんしゃでしょう。自覚があるってことは能力の発現まで症状が進んでいるはず。自分を保てない時間がどんどん長くなっていってるのも分かってるでしょ。そんなあなたを見てやっかい払いしたくなっても、お姉さんを責められないわ」


「お姉さん……とは?」


「姉よね? シャレイ・ルスファ。貴女と一緒に密入国してきた」


「あの人は……姉ではありません」


「ん?」


「あの人は私を妹と勘違いしている赤の他人です」


「んぉっ? ちょい──ちょっと待って、報告と違うわ。あたしは会ったことないけど、シャレイは身内よね。苗字が同じだし」


「ああ、それなら……確かに。私はルスファの養子になりましたから。そうか……書類上はちゃんと……姉妹になるのか」


「血縁関係がなかったのね。やっと理解が追い付いてきたわ。今度は振り落とさないように丁寧に駆けなさい。それで、養子になる前に面識はなかったの?」


「あるわけないです。私は薄汚い孤児……でしたから。本当はこの家名に相応しくないんです。ほんの三か月前まで……泥水すすってた側ですから。地元が術理侵略でめちゃくちゃにされて……裏路地を彷徨さまよっていたら、あの人に拾われて。本当にあの頃は私、ボロ雑巾みたいだったんですよ。そんな人間が……あの人と……姉妹なんて」


「えっ、だわ壮絶そうぜつ。あたし箱入りだったからそういう話に弱いのよね。酢昆布食べる? ……じゃないわっ。聞き捨てならない。三か月? 出会って三か月? そんな短い付き合いの義妹のためにわざわざ国をいくつも横断して海まで超えて皇和国まで?」


「それは──」


 言いかけて口を閉じる。人の気配がしたからだ。

 通路から姿を現したのは、さっきの軽薄そうな男だった。


「おーい、連絡してきたよ。そろそろ出ちゃおうね」


「遅いわよ。こんな薄汚い所に長時間入れておくなんて、あたしのカワイイお尻の形が変わっちゃったらどうするつもりよ、この木偶でくの坊」


 在沙音あざねが立ち上がると、その手にまっていた枷が、鍵も使っていないのに外れて落ちる。床に散らばったものを見れば金具が部品単位で取れて接続部の地金が出ていた。


 どうやったのだろう。疑問が言葉になるより早く、男が牢外へ在沙音あざねを導くするように片膝ついて手を伸ばす。


「オレより手早く仕事できる奴なんて他にいないよ、お姫様。連絡どころか逃走経路も確保済み。畑の案山子よりは役立つだろオレ」


「その程度の働きで褒めてもらえると思ってるお目出度めでたい脳みそ。一回取り出して日干ししておいたほうがいいんじゃない?」


「う~ん、辛辣しんらつ


 在沙音あざねが苛立たしげに男を罵倒する。言われている男は何やら楽しそうだ。

 その様子はやはり、知らぬ仲とは思えない。縄を切る用らしき短刀を投げ与えられ、ニアはつい訊ねた。


「やっぱりお二人って、協力者かなにか……ですよね。私も一緒に行っていいんですか」


「嫌なら残ってもいいのよ?」


 開いた牢から半身を出して、在沙音あざねがまた試すように笑う。


「いえ……行きます。あの人のところに行かないと」


「自分を捨てた相手に文句でも言いにいくの?」


「違います。あの人、妹のために何するか分からないから」


 手足の縄を断ち切って久方ぶりに直立する。その視線はすでに通路の向こう、義姉がいるはずのほうへ向いていた。


「あの人は妹のためなら何だってするんです。お金をかけ、時間をかけ……命すらかける。そんな人が私を売るなんて考えられません。あの人にとって妹の存在は、かけがえのないものだから」



       ◇   ◆   ◇



「やっと見つけた。お前が罹患者りかんしゃ解放連盟の支部を預かる村尾むらお隆生りゅうせいだな」


 問いただすしょうの睨みを、洋装の男は穏やかな微笑で受け流す。


「なんのことやら。ですが、僕らが罹患者のために活動しているのは確かです」


 指先まで意識の行き届いた仕草で手を差し出した。


稀癌きがん罹患者りかんしゃよ、我らと共に来ませんか。貴方達は哀れな家畜だ。この国は救いとうそぶき罹患者を縛り付けている。そのうえ君は術理使に支配され理不尽にも使役されている。なんともむごいことです」


「罹患者を自由にしていいと、本気でそう思っていると?」


「当然です。罹患者だって人間だ。こうして言の葉を交わすことだってできるのだから」


「はっ! 狂気を言葉で計ろうとしている時点でおかど違いが過ぎるぞ坊ちゃん」


 しょうあざける吐き捨てに、男は微かにこめかみを痙攣けいれんさせてため息をついた。


「……交渉は決裂ですか」


はなから同じ舞台に立っていないだろうが」


「残念です。ですが正念場はここから。欲しいものを手に入れたいのなら、今こそ覚悟を見せていただきたい。さあ、どうしますか」


「お前、何を言って?」


 通じていない会話をしょういぶかしむ。

 男は問いかけたまま、にこやかに何かを待っている。


「覚悟ならとっくにしてた」


 返事は二人の後ろから。


「……のためなら……」


「ルスファさ──」


 咄嗟とっさに振り向いた夕俄ゆうがの体が大きく揺れる。

 懐まで踏み込んだ彼女の手には、刃渡りの大きな山人刀さじんとうが握られていた。


 心臓に一突き。根元まで深々と刺さった刃に手首でひねりを加える。耳元で鳴るうめき声など彼女の一途いちずな意識に届きはしない。


「あの子のためなら、私は命も狩り捨てる」


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