第4話 人心は奇


 陽が落ちきって空が黒くなるにつれ、ガス灯の明かりがその主張を強めてゆく。


 シャレイたちの前の通りで三人の男たちを邏卒らそつ二人組が追いかけている。邏卒らそつの注意の叫びで通行人たちが道を開けた。


 止まれという声に逃走犯が従う素振りはない。邏卒らそつの一人が紐の先に重りを付けた薄く発光する何かを回転させ勢いをつけ、男たちの前方へと投げ込んだ。


「うわっ!?」

「眩しっ──!」


 地に落ちた球体が弾けた。轟音と盛大な火花が散って行く手を遮る。足を止めた三人組を邏卒らそつたちが取り押さえにかかった。


「今の、分かるか」


 いつの間にか隣にいたしょうにだしぬけに問われる。シャレイは思ったことをそのままこぼした。


「えーっと……。しいて言えば、あんな小さい球があれほど爆発するなんて?」


「正解だ。投げるときの遠心力、投擲、破裂の規模、ぜんぶ術理じゅつりで増幅させている」


「増幅……。それが皇和国の術理?」


「あとはアレだ」


 視線が示すほうを見る。もう一人の邏卒らそつが一番ガタイの良い男と攻防を繰り広げていた。


 大振りを避けた邏卒らそつが懐から拳銃を取り出す。雑な攻撃を避けつつ手早く発泡準備を済ませ、がら空きになった胴体へ引き金を引いた。


 思ったよりも音はない。打ち込まれた二発に男が身体を折りたたむ。激しく咳き込んでいるが出血している様子はなかった。隙をついた邏卒らそつが男を取り押さえる。


「今のは着弾直前に威力を抑制させていた。聴取が終わっていない奴に死なれたら困るからな。邏卒らそつがよく使う術だ」


「じゃあこの国の術理じゅつりの正体は……」


「所有物に生じる現象を制御する。それが皇和国の術理だ。制御とはすなわち増幅と抑制。摩擦や浮力、慣性、弾性そのほかあらゆる法則に干渉する。法則を捻じ曲げることはできない代わりに、増幅抑制の幅は広い。鉄板な説明に『術理使じゅつりしはそうめん流しで人を殺せる』という冗談があるのだが」


「そう……めん?」


 シャレイが首を傾げると、夕俄ゆうがが苦笑して入って来た。


「外国人には通じないよねっ。気を落とさないでっしょうくん」


「ぬぐぅ、お、面白くないか? 亜音速で滑っていくそうめん。拾う側も命がけで箸の強度が肝心という」


「たぶんっそうめんが通じてないんだと思うっ。国を越える唯一のことわりも、知らない固有名詞の翻訳まではできないみたいだねっ」


 フォローもむなしくしょうが肩を落とす。


 そこへ捕縛を終えた邏卒らそつが一人こちらへ速足に向かって来た。

 その表情は硬く険しい。


「おいそこの邏卒らそつ! 見ていたのなら手伝え──ってお前らは美作みまさか忽那くつな!? どうしてここに。貴様らの担当地区はもっと端だろう! どの面下げて恐れ多くも皇居の周辺を歩いているこの気狂い共が!」


 邏卒らそつは途端に表情を嫌悪に歪めて足を止めた。

 二人のほうも彼を知っているようだ。


「お久しぶりですっ帆足ほあしさん。相変わらず発声が怒声ですねっ」


「おお、帆足ほあしちゃん久しぶり」


「挨拶などいらん! 近寄るな! 狂気が感染うつる!」


感染うつるわけないだろう。本気で言っているなら初等教育からやり直してこい。ほれほれぐりぐり」


「言われずとも分かっている、ただの嫌味だ! おいっ、すり寄るな、腕を掴むな!」


ゆうちゃんも来い」


「はーいっ」


「増えるな! 挟むな!!」


「シャレイちゃんもほら」


「ほらって言われても……。え、ちゃん付け?」


 よく知らない男三人が乳繰り合っている中に混ざりたくない。


 嫌がる帆足ほあしにおしくらまんじゅうを強制しつつ、しょうは真面目な目つきになった。


「それで、あいつらは何だ? またあのはた迷惑な罹患者りかんしゃ解放連盟とやらか」


「逆だ。頭のいかれた罹患者を邏卒らそつに引き立てるのは蛮行だと皇居前で抗議運動を行っていた。クェイン信教に感化された連中だろうな」


「またか。いい加減に布教を禁止すべきではないか? 宣教師狩るか」


「阿呆が。外交問題になる。とはいえすめらぎの御意向に公然と異を唱えるなど万死に値するからな。奴らの主張は理解できるが、問題を犯せばこうして捕まえる。おいっ、いい加減に離れんか貴様ら!」


 頭をわし掴みにして抱き着く二人を無理やり引き剥がす。

 ちょうどもう一人の邏卒らそつからお声がかかった。


「誰か、ちょっと手伝ってください。そこのえーっと、制服着てる」


「お呼びだ美作みまさかしょう、行け」


「仕方がない。少しなら手を貸そう」


「いや仕事をしろと言うとるのだ」


 しょうは制服を着ているためか当たり前のように連れていかれた。さっき捕まえた男たちの引き渡しがあるようだ。向こうの邏卒らそつ帆足ほあしより若く、しょう稀癌きがん罹患者りかんしゃであることを知らないようだ。


 帆足ほあしは虫でも払うように服をはたいて、これみよがしに大きなため息をつく。


「まったく。おい忽那くつな夕俄ゆうが!」


「はーいっ」


「お前なぁ。しっかり美作あいつの手綱を握っておけと言ったであろうが! なぜ混ざる!?」


「ごめんなさいっ。楽しそうでっ」


「理由になっていない。貴様らのようないつ暴発するかも知れぬ奴らは、ひたすらすめらぎの御威光にひれ伏していればいいのだ! 身の程をわきまえろ! 存在そのものが臣民の害であることを性根に刻み込んでおけ!」


「はい。ごめんなさい。気を付けますっ」


「ふんっ。分かればいいのだ」


 侮蔑ぶべつの視線を残して、帆足ほあしは大股で現場に戻って行った。


 見送って振り返った夕俄ゆうがは、シャレイが難しい顔をしているのに気づいて頭を下げる。


「ああっ、鼓膜は大丈夫でしたか? 帆足ほあしさんっていっつも騒音だからっ」


「声の大きさより、内容が……」


「内容っ? そんな変なことは言ってなかったようなっ。……ああ、そういう。けど大抵の人は、罹患者とその関係者にはああいう態度だよっ」


 少年が当然のように言うから、シャレイは胸に不快感が溜まるのを感じた。


「あなた、あんなふうに言われて悔しくないの?」


「悔しい……ですかっ? ははっ、稀癌きがん罹患者りかんしゃは、周りから見れば野ざらしの爆弾と変わらない、恐怖の対象だよっ。それはこの国でも同じっ。罹患者は命が保証されてるだけ贅沢なんだからっ。だからああいう言葉は甘んじて受けるべきだっ」


「でも、あの人は同僚でしょう」


「普通の邏卒らそつとおれたちは指揮系統が違うからっ、正確には無関係だったり。例えるなら陸軍と海軍くらい違うっ」


「その例えはよく分からないけど、それでも、理不尽な物言いをされれば普通は怒るでしょう。そうでなくても嫌な気持ちにはなるはずで……。ちょっと言い返すくらいは」


 思いのままに言い募るが、あまり響いているように見えない。

 どころか少年は、説明されてやっと理論に納得がいったというように笑う。


「……なるほど。言われてみればそうかもっ。次からそうしますっ」


 頷く少年に、シャレイは大きな違和感を覚えた。この少年の言動には、なにか大事なものが抜け落ちているような……。

 違和感の原因を手繰たぐろうとして、しかし邪魔された。


「おい忽那くつな夕俄ゆうが!」


「はーいっ?」


 大声に驚きもせず夕俄ゆうがが返事をする。なぜか帆足ほあしがまた大股にやって来る。まだ言い足りなかったかとシャレイが心内で身構えると、どこからか葉に巻かれた物を差し出した。


「忘れるところだった。これを。昼に暴漢を取り押さえたとき、店のご婦人に頂いた余りだ。甘味は得意だったろう。上手く処分しておけ」


「わあっ、おまんじゅうだっ!」


「二つしかないが……。そちらのやたら白い女性は。よもや異国のかたか?」


 心臓が跳ねる。密入国者と知れたら追われることになるが。


「観光案内中ですっ」


 すかさず夕俄ゆうがが答える。


「ふむ? そうか失礼したお客人。忽那くつな夕俄ゆうが、せいぜい面倒を見てさしあげろ! 皇和国こうわこく、延いてはすめらぎの顔に泥を塗るなよ!」


「はーいっ」


 夕俄ゆうがの機転で露見せずに済んだ。

 帆足ほあしは念を押して、今度こそ去って行った。


 残された白い饅頭まんじゅうにシャレイは困惑を隠せない。あれほどこき下ろしておいて、この親切はいったい。


「な、なんで……?」


 もはや唖然あぜんとするしかない。

 今度はさすがにシャレイの困惑を理解したらしい夕俄ゆうがが苦笑する。


「面白い人だよね。指標にしてる世間の評価と自分の実感が噛み合ってないんだっ。本人はそれに気づいてないみたいっ。けっこう良い人なんですよ」


 餡子あんこの入った蒸し饅頭まんじゅうを渡される。


術理使じゅつりしって、変な人ばっかり」


 白い生地に目を落とし呟く。

 道端で饅頭まんじゅうを美味しくいただいていると、仕事を終えたらしきしょうが帰って来た。


「おい、なんだそれは」


帆足ほあしさんにもらったっ。美味しいよっ。半分こしよう」


「あの無自覚甘やかし男めが。おいお前、朝にもこっそり甘味を食っていただろう。一日の必要摂取量は与えた三食で十分なはずだぞ。オレは健康的な食生活を計算して作っているんだ」


「えーっと……。でもこの後、普段より動くしっ。ね?」


 きゃるんと上目遣いに許しを請う夕俄ゆうが。その圧倒的な子犬さはしかし、相棒には通用しない。しょうは凶悪に笑って夕俄ゆうがの腕を掴む。


「ではさっそく動いてもらおう。ほら、シャレイちゃんも行くぞ」


「やっぱりちゃん呼び……」


 しかも自炊している可能性まで浮上した。


「それでしょうくん、どこ行くの?」


 夕俄ゆうがの問いに、しょうは制帽をかぶり直しながら答える。


「やっと連絡が来たらしい。おい、お前の妹を見つけたぞ」


 シャレイに向けてそう告げた。シャレイは饅頭まんじゅうを飲み込んで、顔色を失くす。


 妹と言われて、ただそれだけでカッと思考が熱くなる。


(守らないと)


 まずいと思った。まだ何も出来ていないのに。

 このまま妹を彼らと会わせるわけにはいかない。近づけるわけには。


(何があろうと、私がどうなろうと、妹だけは、守らないと……!)


 そのためだけに皇和国こんなところまで来たのだから。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る