第3話 世界の理


「ルスファさん、もうすぐ降りるよっ」


 少年の柔らかな声音で、シャレイは視線を遠くへ移した。


 馬車に揺られて皇都こうとを走る。関所からどんどん離れていくから、どうやら中心地へ向かっているようだ。


「私を連れ出してどうする気なの」


「答える義理はない」

「まだ知らなくていいってさ」


 しょうの冷たい返しを夕俄ゆうがが優しく訳すが、どちらにせよ真意が掴めない。


 尋問部屋の緊張がまだ続いている。

 不法入国者への罰則は国外への強制送還だ。だがそれは国際法が適用される港でのもの。国内に深く入ってしまったいま、自分の命を法が保証してくれるか怪しい。


 二人は治安を守る邏卒らそつなのだ。気を抜いていい相手ではない。


 稀癌きがん罹患者りかんしゃしょうはもちろん、夕俄ゆうがだってそうだ。人畜無害そうな顔をして、鉄製らしき三尺棒を持っている。逃げようとすればあれが振り下ろされるのは間違いないだろう。


 平屋造りの民家や連なった長屋が立ち並ぶ通りを抜けると、いっきに道幅が広がり視界が開ける。馬車が停止し、押されるように下ろされた。


「ようこそ異国人。大君おおきみのお膝元、皇和国こうわこく首都、皇都こうとへ」


 しょううやうやしく紳士的な礼をし、夕暮れ時の景色を示す。シャレイはほうと息を呑んだ。


 石畳に舗装された広い馬車道。一段高くなった歩道には等間隔に街頭が立っている。木造の建物よりもレンガ積みのものが多い。そこはどちらかといえば故郷で見慣れているのだが。


「あれって、もしかして点燈夫てんとうふ?」


 ちょうど目の前を松明を持った法被はっぴの男が駆けていく。街灯一本一本の前で立ち止まっては火を付けて回っていた。


「あれ全部ガス灯なの……? あんな科学の産物がこんな大通りで堂々と使われてるなんて」


「お前の国では違うのか」


 信じられなくて足を止めると、しょうが振り返る。青年はいつの間にか細長い袋を背負っていた。三尺棒を覆っているのか。


 シャレイは困惑を誰かと共有したくてわたわたと説明した。


「だって、術理を持つ国は自国の術理に誇りを持っているから、すべての生活基盤が術理で補われるのが普通でしょう。この国に来るまで通った術理を有する国はおしなべてそうだった。もちろんあんな高等教育、庶民は受けられないから、民間には石油ランプだって広まってるけど」


 身振り手振りで伝えるが、しょうはまだしも夕俄ゆうがの心には届かなかったようだ。気の抜けた表情でしょうに寄りかかっている。


「外国って無駄に自尊心が高いんだねっ。良いモノは受け入れてかないと不便に思えるけどっ」


「他国の術理は皇和国うちと全くことわりが違う。出来ることが異なるからな」


 二人のやりとりを聞いていて、シャレイは胸に不安がよぎった。


「この国の術理はそれほど不便なの?」


「使い勝手は人によるかなっ。ただっ、科学とはすごく相性がいいよ。だからすめらぎは積極的に技術の輸入をしてるんだっ」


 夕俄ゆうがの言葉に頷いて、しょうがシャレイの背後を見抜くような目つきになった。


「お前の国……確かクェイン信教が術理を司っていたか。『変換』なら確かに手広くやれるな。さすが最大領土を有するクェイン信教だ」


「知ってるっ! いわゆる錬金術でしょ? 格好いいよねっ。そういうのでいけば皇和国うちの術理は魔術なのかな?」


「それは稀癌きがん罹患者りかんしゃを魔女だの悪魔憑きだのと呼んでいた頃の言葉だ。術理はあれほど荒唐無稽こうとうむけいではないだろう。術理はことわり。明確な原則と法則に縛られている。……まさかお前、その辺りをふんわりと理解しているんじゃないだろうな」


「いやあっ、ほらっ、おれ皇和国こうわこくから出たことない田舎者だからっ。術理って領土に根差してて輸入もできないしっ。他国の術理なんて見たことないんだよ。比べようがないから詳しくないのも仕方ないよねっ?」


「だからってお前な。感覚で生き過ぎだ! 己の生命線くらい的確に把握しておけ愚か者!」


「あぐっ、……痛ぁい」


 拳がもろに顔面に入った。夕俄ゆうががよろめき、その鼻孔びこうから赤いものが垂れてくる。


「血が」


「ああ、大丈夫ですっ。もう平気」


 シャレイが服の袖で拭ってやろうとすると固辞された。確かにそれ以上の出血はないようだが。

 先のやりとりと少年に巻かれた包帯から、シャレイに一つの疑惑が湧いてくる。


「もしかして、その頭と手の傷も……?」


「いやっ、これは自業自得だからっ。しょうくんは優しい人ですよ?」


 少年が笑う。いつも焦っているような口調だから、これが誤魔化しなのか本当なのか判別できない。


 彼らの関係性にあまり深く踏み込むべきでもないだろう。シャレイは意識を切り替える。


「それで、皇和国こうわこくの術理は──」


 詳しく訊こうとして、街中に突如として悲鳴が上がった。周囲の視線が一か所に集まる。

 見れば、数人の男たちが邏卒らそつの二人組に追いかけられている。


「ああ、ちょうど見れそうだぞ」


 まるで見世物でも観察するように、しょうが陰気に微笑ほほえんだ。


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