第1話 望み通りの邂逅


 港から皇都こうとへ通じる舗装された唯一の公道は、夕暮れ差し迫る時刻になってもたくさんの人が行きかっている。その道行きにレンガ造りの大きな建物がある。軍人が入り口を守るそこは、皇都こうとへの出入りを管理する関所であった。


 いまも荷を運ぶ者や外国人の一団が呼び止められ、首都の警邏けいらを行う邏卒らそつに素性を検められている。怪しいところがあればさらに中で詳しい取り調べを受けるようだ。


 関所の中でも三階の角に位置する一室は、鉛のように重苦しい沈黙に包まれていた。


 中央と端に一つずつ机があり、端のほうでは制帽の軍人が聴取の記録を取っている。逃走をはばむため、入口と窓横にも見張りの邏卒らそつが一人ずつ。黒を基調とした洋風の制服に身を包んだ邏卒らそつたちは、中央に座る異国の女性を絶え間なく監視している。


 女性は白い肌をさらに緊張で青白くさせ、固い面持ちでうつむいていた。対面の椅子は今はからだ。脅すような聴取の恐怖がいまだ空席の上に漂っているようで顔を上げられない。


 血管を引き絞るような終わりの見えない緊張感がかれこれ一時間は続いている。


 沈黙が重く降り積もる部屋に、ふいに冷たい空気が吹いた。


 扉を開けて新たに二人の男が入室してくる。新しい尋問官だろう。シャレイはブロンドの間から彼らを見上げた。


 先に立って椅子に腰を下ろしたのは、黒髪の青年だった。短い髪を縛る鮮やかな飾り紐が前つばの帽子から覗いている。銀縁の眼鏡が鋭い目つきを助長させるようだ。服装は他の邏卒らそつと同じだった。ただ袖章の形が少し違う。


 青年は不機嫌そうに顔をしかめ、冷たい空気を放っている。


 もう一人は青年と対照的に暖かな雰囲気をまとった少年だった。青年が二十代序盤とすれば、こちらは二十になるか否かといったところか。制服ではなくシャツの上から和服を着ており、頭も無帽だ。おかげで赤い巻き毛の揺れがよく見える。長い襟足は毛先が襟巻えりまきに隠れてしまっていた。よく見れば頭と手の甲に痛ましい包帯を巻いている。


 とても邏卒らそつには見えない。青年の御付きか何かだろうか。


 青年が見張りの男たちに何事か呟くと、彼らは険しい表情で出て行ってしまった。部屋には新顔の二人とシャレイだけが残される。


 扉が閉まると同時に青年がさっそく口火を切った。


「お前が密入国容疑者シャレイ・ルスファだな」


「…………」


「どうした。もしや言語置換が働いていないのか。まいったな」


「……あなたたちは」


「なんだ通じているじゃないか。俺達を見て分からないか。尋問に来たんだ」


 青年が土足のまま机上に足を乗せ、姿勢悪くシャレイを睨みつけてくる。今までのどの尋問官より高圧的だ。そんな青年の肩を少年が掴んだ。


「駄目だよしょうくんっ、お行儀悪いよっ」


「のわあっ!?」


 言うが早いか少年は青年を放り投げるように椅子から落としてしまった。

 盛大に尻餅をついた青年がすぐさま立ち上がり拳を振りかぶる。拳は少年の頬へ吸い込まれていった。


 何が起きたか理解できず、シャレイは意図せず顔を上げた。


 反対側の壁まで吹っ飛び、逆さに転げた少年が頬を膨らませる。


「痛ぁい。そんな怒らなくてもっ。あっ、もしかしてお尻とか割れた?」


「とっくに二分割だ。落とした理由をく述べろ」


しょうくんは態度が威圧的すぎるからっ。女の人は怖がっちゃう。だから俺が代わろうと思ってっ」


「そういう事は先に口頭で伝えろ。とどこおりなく退いてやるから」


「あ、そっか。そうだね。次からそうするっ」


 親切心に応えるような笑みで少年は椅子に腰かけた。しょうが眼鏡のズレを直して少年の横に立つ。少年が机の上で手を広げた。尋問が始まるらしい。


「おれは忽那くつな夕俄ゆうが。こっちの黒くて怖そうな人がっ、美作みまさかしょうくん。よろしくルスファさんっ」


 少年の喋りかたはどこか焦って聴こえる抑揚をしていた。そんな彼の後頭部をしょうが掴む。


「誰が黒くて怖いだ」


「あだだだだだ握力ぅっ! そういう痛みは求めてないっ!」


「ふんっ」

 

 やっと解放された夕俄ゆうがは、何でもないように続けた。


「ふぅ。でっ、おれたちはこう見えて邏卒らそつの任についてますっ。主に皇都こうとの警備巡回が仕事かな。ルスファさんはどうして皇和国こうわこくに? 観光ならっ、港で申請をしてくれてれば入国証と短期滞在許可証を発行できたんですけどっ」


「…………」


 夕俄ゆうがは困った笑顔で返答を根気強く待っていた。だがいくら待っても沈黙しか返ってこない。シャレイに答える気がないと納得したらしい夕俄ゆうがは、両の指先を合わせて話を変えた。


「そういえばっ、ルスファさんは人を探してるって調書にあったっけ。それって──」


「──罹患者りかんしゃ


「え?」


 問い返す吐息が聴こえる。シャレイは唇を噛んで重い口を開いた。


術理使じゅつりしと組んでるっていう稀癌きがん罹患者りかんしゃに会せて。ずっと、そう言ってるのに」


「だから俺たちが来たんだ」


 しょうが一歩前へ出る。見上げるその顔にはどんな感情も読み取れない。彼の言葉の意味に思い至った瞬間、心臓がいっきに拍動した。


「じゃあ、あなたたちが罹患者りかんしゃ術理使じゅつりし……?」


「だったらどうする」


 冷たい睥睨へいげいが降ってくる。シャレイは息を呑んだ。この粗雑な態度の青年が罹患者りかんしゃか。ではこの子犬のような少年が術理使じゅつりしなのだろう。


 シャレイははやる気持ちのまま問いかけた。


皇和国こうわこく稀癌きがん罹患者りかんしゃを生かしてくれるっていうのは本当!?」


 思わず腰が浮く。前のめりになったシャレイに二人は虚を突かれたようだ。我に返ったシャレイは頬を染めて硬い椅子に座りなおした。


稀癌きがん罹患者りかんしゃはどの国に行っても捕まって処刑される。異常者だからって。犯行の有無なんて関係なしに死刑になる。それが世界の共通認識でしょう?」


「そうだねっ。発狂したら理性ないしっ。危険な異能ならいつ人を殺すか分からない。自由にするのは危険かなっ」


 夕俄ゆうが相槌あいづちうなづいて、シャレイは続けた。


「けれど皇和国こうわこくは、この国は、罹患者りかんしゃを殺さない。生かしてくれる。守ってくれる。幸せになれる。それは本当?」


「どうしてっそんなことを訊くの? ルスファさんは発狂しているようには見えないけどっ」


 投げ返される困惑顔に、シャレイは心臓をつままれた思いで視線を落とした。


「…………妹が。それで、この国に」


「密入国してまでやって来た、と」


 しょうが嘆息して首を掻く。手首には黒い輪のような刺青が入っていた。この国では刺青は罪人の証だと教えられた。やはりこの青年が罹患者りかんしゃなのだと思うと、急に実感が湧いてくる。


 青年は言動に問題こそあれど、暴れ出しかねない精神状態には見えない。


 やはりあるのだ。溢れる狂気を抑えるすべが。

 たった一人の妹を狂気から救う、その手立てがこの国にある。


 シャレイの熱い視線を受けてしょうは部屋を見渡し、靴を鳴らした。


稀癌きがん罹患者りかんしゃがこの国で幸せになれるか。その問いに答えるには、この部屋はあまりに狭すぎるな」


 回り込んでシャレイの背後に立つ。声が上から降ってきて思わず首を縮めたが、どれだけ堪えても痛みはやって来ない。それどころか手首のいましめが解かれたのが分かった。


「ついて来い。お前の身元は俺達が預かる」


「えっ、ちょっと待って。どういう? なになになになに!?」


 急に腕を掴まれ椅子から引き立てられた。本当に部屋を出て廊下を進んでいく。


 この青年は何を考えているのか。密入国者を手枷てかせもせずに外へ連れ出すなど。


 隣に並んだ夕俄ゆうがが人懐こく笑って拳をぎゅっと握る。


「大丈夫っ。しょうくんは格好良いですからっ」


「…………はい?」


 美丈夫イケメンが好きという宣言か? 一瞬そう思ったが、たぶん違うのだろうと思いなおした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る