陽狂ルナティック

まじりモコ

月を呑む

プロローグ


 陽がやっと上って、月の影が薄くなった時分だった。


 西洋化の波いちじるしい皇都こうとにしては珍しい、古い造りをした旅籠はたごの二階。きしむ窓枠から空を覗く青年があった。


 苦々しい表情で舌打ちを漏らす。短髪を結った飾り紐が揺れた。


「失敗した。おろしたての細袴ズボンがびちゃびちゃだ」


 青年がシャツの袖に染みた水分を払う。重たい雫が飛んだ。足元に散って水音を立てる。


「ずっと思ってるけどっ、細袴ズボンって股がきつくないの?」


 青年にそう問うたのは、屈みこんで沈む物体を三尺棒でつついていた少年だ。赤毛の縮毛で顔立ちが幼い。成人しているか怪しいほどだ。少年の目元は青年と違って柔らかだった。


 青年が赤くまだら模様になったシャツの襟元をきつく締めるのに対し、少年は切り裂かれて布切れと化した和服と襟シャツを、大きすぎる軍服を羽織って隠している。不思議と怪我はないようだ。


 青年はため息を押し殺して眉間のしわを深めた。


「慣れればこれほど動きやすい物もない。お前も着ておけ。支給されているだろ」


「やだぁっ。布地が少なすぎて、斬られたら丸見えになっちゃう……」


 少年が不満顔で頬を膨らませる。青年は今度こそため息をついて、少年の頭に拳を落とした。


「あたっ。痛いよしょうくんっ」


「とぼけた顔をしているお前が悪い。それより、さっきの拾いモノはどうするつもりだ」


「そりゃあ落とし主に返してあげないとだよっ」


「お前はまた面倒事を」


 ため息は深くなるばかりだ。靴底が苛立たしげに床を叩くたび、波紋が広がっていく。

 その波紋が、逆方向からのものとぶつかった。


しょうくん、あれっ」


「ん?」


 二人の視線の先。幾人もの死体で作られた血の海から荒い息で這いずって来る男が。


 腹と肩に大きな風穴を開けられながらも、浪人風の男は怒りで意識を繋ぎ止めるように二人を見上げていた。


「へえ、生きてる奴がいたのか」


「すごい生命力っ」


 関心して口笛を鳴らす青年と、唖然と口を開ける少年。二人の反応に男は血を吐きながら激昂を上げた。


「くそっ、くそっ! このっ気狂い共が──!!」


 腕を掲げて指差してくる。


 少年が青年の足にしがみついて影に隠れる。青年は立て掛けていた黄銅製の小銃を手首で回して銃口を男に突き付けた。


「それは褒め言葉だ、気違い野郎。……って、こいつ」


 男の手には導火線に火のついた筒状の棒が。最近都中に出回っている粗悪品だが正真正銘の爆弾なのが見て取れる。叩き落とそうとするがもう遅い。


「のわあああああああああああっ!?」


 直後、夜明けの空に爆音が鳴り響き、旅籠の一室が吹き飛んだのだった。



        ◇   ◆   ◇



 各国が独自の魔術体系『術理』を用いて侵略戦争を続ける時代。

 侵略そのものを拒絶する東の島国、皇和国こうわこくにはある噂があった。


 曰く、かの国は急激な富国強兵を掲げるが故に、どの国も発見次第即処分するような危険な異能発狂者──『稀癌きがん罹患者りかんしゃ』を国防に登用しているらしい、と。



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