第3話
「あの、そろそろどこへ行くかくらい教えてほしいんですけど……」
淀みのない足取りで幹線道路沿いの歩道を行く課長が履いているのは一般的な革靴。一方の私は置いていかれまいと小刻みにカツカツと音を立てるヒール。正直言ってこの差はズルイと思う。うっかり捻ったりでもしたらどうしよう。
「ねぇ、課長――」
「多くの人が最期を迎える場所。キミはどこだと思う?」
「はい?」
「病院だ」
足を止めることなく、振り返りもせずに課長は言った。突然のことが重なって感覚が麻痺しているがこの人は本当に課長なのだろうか。
再び口を閉ざした課長は心なしか歩く速度を上げている。体格も足の長さも全然違ってどうして私だけが息を切らせなくちゃいけないのだと文句のひとつでもぶつけたくなった。どうせ目的地に着くまでは何を訊いても無駄だろう。本当に死神だったとしたらどうすれば良いのかなんて、分かりっこないし。
やがて大きな大学病院が視界に入り、課長がその敷地の中に入っていったので私は思わず足を止めた。
「ここって……」
「どうした?」
先を行く課長が足を止めて振り返る。子どもが迷子にならないよう見守る親みたいに。
「あ、いえ。なんでもないです」
「そうか。なら行くぞ」
私に選択権なんて存在しないと言わんばかりに課長は再び病院へ足を向けたので仕方なくそのあとを追った。そびえたつ巨大な建物は薄い茶色を基調としていてちょっぴりレトロな雰囲気が漂うため、一目見ただけでは病院というよりイイトコの女学院や昔の軍隊の庁舎を彷彿とさせる。昔からちっとも変わってないなぁ。
そんな私をよそに、課長は夜間通用口で警備員と一言二言話して中へ入って行った。なんて伝えたんだろう。ちなみに私は付き添いの見舞い人だと思われたらしく、何も言われなかった。
「このあたりのはずだが……」
夜間用の照明に切り替えられた薄暗い廊下で立ち止まった課長はしばし目を瞑った。複雑な暗算でもしているかのように集中する姿からピリピリと肌がひりつく感覚が伝わってくる。口を挟んだら怒られそうでちょっと怖い。
「こっちか」
どうやって当たりをつけたのかは分からないが課長は再び足を運んでとある病室の前で立ち止まった。
見上げて【
「……失礼ですが、どちら様で?」
「私をお呼びのようでしたから」
思わず課長に目をやる私を男性が一瞥したことで妙にいたたまれない気持ちになり、取り敢えずといった体で頭を下げた。それにしても課長、いくらなんでも単刀直入すぎやしないだろうか。そもそも言葉の意味が通じるわけが――
「……なんのことだ?」
――ほら、案の定。
どうするのかと思っていると課長は「詳しいことはのちほど。失礼します」と言って男性の脇を通り抜けた。あまりにも堂々とした振る舞いに反応が遅れたのか、男性は呆然としている。
我に返った時には課長は既にベッドへ横たわる女性に寄り添っており、男性が 「待て待て。なんなんだ急に。妻の知り合いか?」と尋ねてもどこ吹く風で 「いえ、奥様とは初対面です」と言い切ってしまう。目を合わせるどころか振り向きもしなかったことが癇に障ったのか、男性は苛立っている様子だった。
身なりからしてもう少し落ち着いていても良さそうな雰囲気だが、そうさせない理由は痛々しく包帯が巻かれた妻・涼子さんの姿だろう。これほど騒がしくしているのに一向に目を覚ます気配がない。
心電図は規則正しい電子音を奏でてはいるものの……。
「初対面のアンタが涼子になんの用だ。医者でもないし、その服装からして記者でもないだろ」
「記者?」
そう尋ねたのは私だ。涼子さんは新聞社勤めなのだろうか。それとも何かの事件に巻きこまれた?
しかしその疑問は男性から剣呑な眼差しを送られたことで萎んでしまう。明らかに気分を害してしまった。失策だ。身分すら明かさない怪しい男のあとに続いている時点で私も完全に不審者なのだから。
「申し遅れました。私は死神です」
時が止まったような気がした。事実、私だけでなく男性も動きを止めている。どこからか聞こえる秒針の音だけが、現在進行形であることの証左だった。
その静寂をドアの開閉音で破られるとは露ほども思わなかったけど。
「なにしてんだよ親父。誰だよその女の人たち!」
中学生くらいの男の子が憎悪に歪んだ顔つきでがなり立てる。対象は父親と課長、そして私。
ホイホイ付いてきた私の身から出た錆だが、これだけは言わせてもらっても良いだろうか。
あぁもう……勘弁して、と。
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