第8話 帰り道

 天空都市にはない自動ドアをくぐり、二人は薄暗い部屋へと入った。正面には巨大なモニターが三台と、ズラリと並んだデスクに、それぞれ設置された小型モニターが複数。

 部屋にいる者たちは、タイクウたちを気にした素振りもなく、デスク上のキーボードを忙しなく操作している。管制室もしくは司令室と言った所だろうか。


 部屋の奥に立っていた、グレーのスーツをまとう男性がこちらを振り返った。

 眼鏡の奥にある瞳が一瞬だけタイクウをなぞり、すぐに隣を歩くヒダカへと移動して止まる。


「戻ったか」

 彼は淡々と声を発しながら、こちらへ悠然と近づいてきた。

「はい、ありがとうございます。時雨しぐれさん」

 時雨はタイクウへ視線を戻し頷くと、黒檀色こくたんいろの瞳で再びヒダカを見つめた。


「今回の装備に問題はないか?」

「相変わらずだな、テメェはよぉ」

 ヒダカにしては珍しく、少し視線を逸らせて弱々しく舌打ちをする。その仕草をどう思ったのか、時雨は眉を顰めて眼鏡のズレを直した。

 この二人の雰囲気は真逆。しかし、睨むような表情はとてもよく似ている。


「ヒダカもそれは、久しぶりに会ったお兄さんに対する態度じゃないと思うよ」

「うるせぇ……」

 拗ねたような態度のヒダカは、なんだか弟っぽくなる。タイクウは微笑ましく思い、つい声を漏らして笑ってしまう。


 ヒダカの実の兄、松風時雨まつかぜしぐれは、天空鬼スカイデーモンへの対抗手段を探る組織のリーダーだ。そして運び屋、藍銅鉱アズライトのスポンサーでもある。

 天空鬼に対抗する武器や装備の提供、そして地上へ下りてきた依頼人のアフターケアなど、その活動は多岐にわたる。


「テメェの部下の汗と涙の結晶なぁ。問題ねぇと言いてぇトコだが、まだまだ足りねぇな」

「だろうな」

 時雨は当然のように、その言葉を受け止めた。

 そして脇に挟んでいたタブレット端末を二つ。それぞれタイクウとヒダカに手渡した。


「また今回の天空鬼に関する報告と、装備の問題点と要望をまとめておけ。お前たちのデータが、今後国民の役に立つ。他国はそれぞれ自国の天空鬼で手一杯。頼りになどできないからな」

「国民、ねぇ……」

 ヒダカが上目遣いで時雨を見上げ、苦々しい口調で言う。


「テメェが本当に助けたいのは、初恋のおうみさくらだけだろ? 大事な女が絶対安全に地上へ下りられるように、俺らや依頼人で実験してるようなモンじゃねぇか。『彩雲の希望』の名が聞いて呆れるな」

「……なんとでも言え」

 時雨は目を伏せ、ため息混じりに淡々と告げた。

 機嫌が悪そうに、ヒダカが頭を激しくかく。


「やっぱり、テメェは嫌いだ」

「まあまあ。時雨さん、今回も僕たちの依頼人のこと、よろしくお願いします」

 時雨が頷いたのを見て、タイクウはヒダカの背を押して部屋を出て行った。




 午前二時。松風時雨の所有する高層ビルの屋上で、タイクウとヒダカは空を見上げていた。

 深夜でも賑やかなネオンの明るさで、空の星たちはすっかりその輝きを潜めている。その明るい夜空の先に、天空都市『彩雲』は浮かんでいるのだ。


「もう少し、眠ってねぇで良いのか? 途中で油断して墜落はゴメンだぞ」

「あー、昼間のは短時間だったからね。もう平気」

 タイクウは右腕を肩からグルグルと回してみせる。


「なら、暗い内にさっさと帰るぞ」

「そうだね。桜さんに頼まれてた物も買ったし」

 行きよりも増えた荷物を抱え直し、ヒダカはヘルメットを身に付ける。

 対するタイクウは行きよりも身軽な格好だ。黒のボディスーツのみで、何故かヘルメットも被っていなかった。


「じゃあ、準備するね」

 タイクウは右手のグローブを外す。露になったその右手は、鋼色をしていた。

 彼は右手に意識を集中させ、目を閉じる。もう願うだけで容易に変わることができた。


 あの時と同じように、右腕の方からどろりと熱いものが流れ、全身に広がっていく。そして再び襲ってくる、身を引き裂かれるような激痛。

 目の前のヒダカに気取られぬよう、タイクウは呼吸を止めて目をキツく閉じた。

 やがて痛みが少し引いた頃を見計らい、彼は目を開く。


 タイクウの姿は、姿


『よし。帰ろうか』

 普段よりも少し雑音の混じったタイクウの声が響く。少しだけボディスーツに違和感を感じ、彼は思わずボヤいた。

『んー、でもやっぱり羽の所に穴が空いちゃった……。時雨さんにスーツの改善要望、出せば良かったかなぁ』

『どーでも良いこと言ってんなよ』

 昼間のようにクリアになった視界で、ヒダカの呆れ顔が見えた。




 異形と同様の双翼を羽ばたかせ、タイクウはどんどん上昇していく。背負ったヒダカと荷の重さも何のそのだ。

 急激な気温や気圧の差も、今の身体には全く負荷にはならない。


『やっぱり、思うんだけどさー』

『ああ!? 何だよ?』

 風に紛れて呟くと、ヘルメット越しにヒダカの声が聞こえる。


『行きも僕がこの状態で戦えば、もう少し楽に、安全に地上へ行けるんじゃないのかなぁ?』

『はぁ? 馬鹿か、テメェ! この状態がどれだけ異常だと思ってんだよ!? どんなことが起こるか分からねぇのに、ホイホイ使えるか! 使って良いのは非常事態と――現状手段のない帰り道だけだ』

 それに、とタイクウの無駄に良くなった耳が、ヒダカの僅かに震えた声を拾う。


『お前の力なんて、今は帰りの足代わりで十分なんだよ』


 タイクウは意外にも、自分がこの姿に変わってしまったことを後悔してはいなかった。

 これは自らにとって最善を選び取った結果、起こってしまったことだから。

 彼にとっては珍しく、仕方がないと割り切れることだったのだ。


 しかし唯一、この結果で悔やむことがあるとすれば。

 

『来たか。もう一仕事だな』

 彼は謝罪など死んでも望まないだろうから、これはあくまで自己満足。


『ごめんね。ヒダカ』

 ヒダカが天空鬼の群れに気を取られている内に、タイクウはこっそり呟いたのだった。

 



 三年前。彩雲の政府が現状打破の為に計画した『武装降下作戦』。

 現在の藍銅鉱アズライトが行っているように、それは彩雲から地上へその身一つでダイヴし、天空鬼と戦いながら地上を目指す作戦だ。


 志願者は三十四名。表向きの発表では生存者なしとされていた。

 地上への想いと少しの傲慢で志願したタイクウとヒダカは、その作戦唯一の生き残り。


 それはタイクウが人でなくなり、それぞれの胸に大きな後悔を遺してしまった日だ。

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