1回裏、鷹葉大附属高校の攻撃 無死満塁 打者、潮崎大地

 自分より球が速い。

 マリンがそう感じたのは黒木くろき紅梨あかりが凛音に投じた第一球目の事であった。三塁ベンチから見る、彼女のしなやかな腕からボールが矢のように放たれた瞬間、マリンの体中に血沸いた衝動が駆け巡った。更に輪をかけて、大河と武蔵が手放しで黒木紅梨の投球を褒めちぎっていた。そこに三振した凛音がベンチに戻って来て、思わぬ好投手の出現に上機嫌になって球の速さを語っていた。マリンは最初は聞き流していたが、次第に、歯を食いしばって彼女の投球を睨みつけるようになっていた。


 ――なによ。ちょっと球が速いからって私がいる前でほめなくてもいいじゃない。


 夏の目標は球速を108km/hから3km/hあげる事だった。その為に努力した事が、たったの一球で凌駕され、チームメイトには話題を独占され、その球を放った黒木紅梨という中学時代も無名の投手を、マリンは強く意識するようになった。まだマウンドにも上がっていないのに手の平から汗が滲み出てきた。トンビが獲物を捕まえそこねた。


「ボール!ボールフォア!」


 一回裏、鷹葉大附属高校の攻撃は、一番、西尾にしおちからが初球にセンター前ヒットを放ち、二番、伊織いおり彰人あきとにはバントヒットを決められ、三番、冨久とみひさ一哉かずやへはフルカウントの末、四球を与えてしまった。これで無死満塁。ランナーがいる場面で一番回したくない打者、潮崎しおざき大地あるすを迎えることとなってしまった桜花聖翔バッテリー。双子の実弟と大会以来の対面にマリンの表情はいささかも緩まないが、しきりに相手ベンチを気にする素振りを見せることを不審に思った武蔵は、タイムをとってひと呼吸入れにマウンドへ向かった。


「マリンちゃん」

「なによ」

「猫はね、かわいいんだよ」

「は?そんなの当たり前じゃない」

「それでいて優秀なハンターなんだ」

「はあ。ウチのにゃんはこの前セミ獲って見せに来たけど」

「うん。それはね、目の前の獲物に一生懸命だからだよ。それをほめて欲しいんだ」

 マリンは伏し目がちに、「……私だって……」と武蔵に聞こえないように言った。

「ん?」

「なんでもない。バッター集中ね」

「うん。あ、そうだマリンちゃん」

「なに?」

「大地くんの嫌いな食べ物ってなに」と武蔵が聞くとマリンは笑顔で答えた。

「ないよ!」


 さあ困ったのは武蔵だ。しぶしぶ戻って、マスクを被って、座ってみたのはいいものの、マリンへサインが出せない。出したくないのだ、願わくば1点相手に与えてでも申告敬遠してもらって次打者と勝負した方がいい。武蔵は今一度、右打席でバットを構える潮崎大地を見た。


 何千メートル級の山脈のようなどっしりとしたそれでいてワルツでも踊るかのような優雅な構え。


 夏の大会以来見る彼のバッティングフォームは、より静に磨きがかかっており、いつ野鳥が羽を休めに来てもおかしくない状況だった。ここで焦らしても恐らく彼は動じない、武蔵が採るべき選択肢はアウトコースのストレート、それしかなかった。


「ストライク!」


 マリンの投げた球は武蔵の要求通りには来ず、こともあろうに99km/hがど真ん中に来た。武蔵は打たれると思い、目を瞑って捕球したが潮崎大地は構えたまま微動だにせず、野球とはどんな競技なのかを忘れてしまったかのように初球が過ぎ行くのを待っていた。カウントは0-1。潮崎大地が打席に立ってからというもの、一塁側ベンチは出場控えメンバー総出で声援を送っている。チーム全体が信頼を自分の言葉で示していた。その中には黒木紅梨も含まれていて、控え目ではあるがとても楽しそうに声を上げていた。大勢の男子に紅一点、しかしその声はよく響き、当然マリンの耳にも届く。マリンは奥歯にむず痒くなるのをおぼえ、黒木紅梨を鋭く睨めつけると不機嫌に武蔵とのサイン交換に応じた。


「相変わらず負けず嫌いですね、ウチの姉貴は」


 なかなかサインが決まらず、あたふたする武蔵へ潮崎大地はやや緩めにバットを構えたまま話しかけた。なんとか交換を終えた武蔵は少し空いた間を利用して。


「そうなんです。ボクじゃ制御なんてとてもとても」

「ですね。だから次のボール見送ります、確かめたい事があるので」


 ――次のボール


 潮崎大地は宣言通り、インコースの94km/hのストレートを初球のリプレイでも見ているかのようにただボールが通過するのを待っていた。そして武蔵が捕球した位置を確認すると、よしと言って足場を均した。カウントは0-2、追い込んだ。


「次で仕留めます」


 その落ち着いた言葉を受け取った武蔵は本来ならば喜ばしいところ、その反対で言い表すならば恐怖でしかなかった――大地くんはどこに何を投げるかわかっている。と自軍ベンチに向かってメッセージを送ったが、指揮官の命令はバッター勝負。だとすればマリンが納得し、打者の思惑を利用するほか手段がなかった。


 ――ツーシームもカーブもシンカーもマリンちゃんは全部首を振る。たとえ大地くんのハッタリだろうとここはライジングのボール球を叩き込むんだ。


 この武蔵の意思をマリンは喜び勇んで受け取り、ノーワインドアップの投球動作に入った。しかし潮崎大地はマリンの動きに合わせることなく、まだじっと構えている。マリンがぐぐっと重心を沈み込ませてもまだ動かずじっと構えている。そしてリリースする直前、彼は、動いた。後にこの出来事を武蔵はこう振り返っている。


「あの瞬間にやられたと思いました、まさか摺り足で来るなんて。ホームランバッターの特徴です、彼は特別な時間を創り出しました。漫画とかアニメでよくあるじゃないですか、走馬灯がぐるぐる回る表現。あれに近かったです。完敗でした」


 カキン!と耳をつんざく打球音がグラウンドを縦横無尽に闊歩した。潮崎大地は打球の行方をレフトのエリカが追いかけるのを諦めたのを確認した後、ゆっくりと走り出した。102km/h、真ん中高めの見逃せばボール球だった。セカンドを回るところで大河に「よお悪球打ちにでも目覚めたのか」とからかわれたところ、「刺激になればと思ってね」と優男らしく柔和に返した。


 結局この回のマリンは実弟に満塁本塁打を打たれたものの、後続はしっかりと三人で切って、一回裏の攻撃を4失点に留めた。ベンチに戻って来るマリンの顔に表情はなかった。


 西尾 中前安打

 伊織 三前安打

 冨久 四球

 潮崎 満塁本塁打

 郷田 一邪飛

 堀込 左飛

 伊能 空振り三振

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