1回表 桜花聖翔学園の攻撃は一番、センター、佐々木凛音

『大人しそうに見えるけど、ロックンロールなヤツ』


 それが佐々木凛音の鷹葉大附属高校先発左腕、黒木くろき紅梨あかりへ対する第一印象だった。水を撒いた瞬間に蒸発してしまいそうな暑さにも関わらず、黒木紅梨は結った髪をなびかせ、汗を拭うことなく涼し気な様子で返球を受け取る。


「へへ、まさかあたしが見送るとはね」と凛音はそう言うと、ストライクコールをした坂巻球審へウインクをした。ジャッジに不服はない、膝元に長身から投げ下ろす角度のついた素晴らしいストレートへ正しい判定を下した球審への感謝であった。


 ――マリンよりいい女だ。だいたい球速表示は120km/hくらいだろうけど、体感は140後半ってとこの速さだな。誰だこいつ?左でこんな背の高い女、中学にいたっけ?――


 小中合わせて8年野球をやってきた凛音の記憶にも無い、謎の女子選手。懸命に記憶を探る凛音に構わず、黒木紅梨は次の投球でも内角へストレートを投げ込み、ファールでカウントを稼ぐと澄ました顔でマウンドを降り、悔しがる凛音へひと言。


「わたしはあなたと対戦したことがあります。鎌倉かまくらえにしリトルシニアの佐々木凛音さん、いいえ、フィルインさん」


 それだけを言うと、黒木紅梨は所定の位置に戻り、次の投球に備える。凛音はなぜ彼女が自分の中学時代の異名を知っていたのか、しばし考えていたがそれは止めた。


「なら思い出させてもらおうじゃないの。あんたとあたしのロックなマッチアップの中で!」


 三球目、またもや同じコースに同じ軌道の速いボールが来た。凛音は今度こそ逃すまいとスイングを仕掛ける……しかし。


「ストライクスリー!」


 グラウンドに鳴り響いたのは打球音ではなく坂巻球審のコールであった。完璧に捉えたという喜びを掠め取るような空振りが不可解な凛音は、とっさに捕手の郷田ごうだの方へ振り向くと、彼は両膝を地面につけて黒木紅梨の球を捕球していた。


 ――フォーク!?


 桜花聖翔側には黒木紅梨のデータが存在しないのでそれがストレートとほとんど球速が変わらない高速チェンジアップだとわかるはずもないが、途中までは確かにストレートの軌道でそして落差があった。問題なのは変化量ではなく、スイングとボールの交点が0コンマの世界でずれたことすら凛音が気づかなかった事である。それがどれほどの事か、全員総立ちで目を丸くする桜花聖翔サイドを見れば一目瞭然であった。


 アウトを宣告され、顔をしかめてベンチに引き上げようとする凛音にほんの僅かに柑橘系の香りが鼻腔に触れた。流れてくる風向きはピッチャー側から、凛音は直感した。


「ねえアンタ!」


 味方内野手のボール回しを頼もしそうに見つめる黒木紅梨は突然、自分の事を呼ばれ、たいそう狼狽した様子で振り返ると、凛音はベンチに引き上げながら満面の笑みで親指を立てていた。


「ナイスボール!あとダンセドール使ってんの」

「っ!?……好きな……香水なので……」

「やっぱりそうか!あたしも愛用してんだダンセドール」

「……」

「これからいいダチになりそうだな、あたしら」

「っっ!?」


 打ち取った相手から爽快に言われた黒木紅梨は外気の暑さと関係なく、顔が火照っていく感覚を覚える。それがバレないように、帽子を目深に被り直してつばを思い切り下げた。桜花聖翔の名誉終身マネージャーで三毛猫でオス猫のジョニーがベンチ裏で、短く、にゃっと鳴いた。


「ロックなバトルだったぜ。でも誰だっけかなあいつ」


 ひとり凛音は満足と謎を抱えてベンチに腰掛けたが、対して、不満と不安を抱えて打席に入らなければならない者がいた。


「佐々木さん、情報共有はしっかりね!」


 と自軍の切り込み隊長へ物申す二番打者、田中智美のよくある受難である。結局、桜花聖翔は黒木紅梨の高速チェンジアップの前に打者三人で打ち取られ、一回表の攻撃は無得点に終わった。


佐々木 空三振

田中  空三振

大河  二ゴロ

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