生贄

Slick

第1話

 男の前には、一台の風車かざぐるまがあった。

 深紅の羽根が、それの置かれている無機質な白い部屋の中で毒々しいまでの雰囲気を放っている。その異様な風車の真正面で、男は拘束されていた。

 風車は羽根の長さがおよそ一メートル、三方向に鋭く突き出している。直立姿勢で拘束されている男の、丁度へその高さに回転の中心があり、その羽根は 男の背丈を僅かに超えて伸びていた。

 男は身動きもせず、目の前の『処刑機具』をじっと見つめていた。


 この時代、世界は管理化され究極の進歩に到達していた。

 もはや戦争などは過去の記憶となり、世界は統一され、かつてよりさらに効率的な統治体制が敷かれた。

 その体制の下、人々は一人残らず中央保安局の指令通りに働き、日々己に割り振られた仕事をこなしていた。

 ――だがそんな世界では、人々の内に不満も溜まる。

 代り映えのない、ただ仕事を処理するだけの日々――、そんな人々が求めたものは『娯楽』だった。

 そうして生まれたのが、この制度。

 死刑囚の処刑の観賞を、有料で『娯楽』とすることである。

 何故なら、つまらない日々の中で『人の死』ほどの刺激的なスパイスはないのだから。


 男は、殺人の罪を犯した。

 理由はよく覚えていない。一時的な苛立ちのせいだった気もするし、何かの私怨だったかもしれない。

 思い出す価値は、もうない。

 男はこれから処刑される。

 処刑が娯楽となった後に法律が改正され、死刑の対象となる罪の重さが、以前よりずっと軽く定められた。

 『娯楽』は、安定して供給されなければならないからだ。

 男はもう、逃げられない。

 彼はチラリと横に目をやった。

 男のすぐそば。ガラス越しに見える隣の部屋では、安くない金を払った大勢の人間が『開演時間』を待っていた。


 白い部屋に設置されたスピーカーから、女の声が聞こえた。

 『囚人ナンバー:3271138。死刑執行の前に何か言い残したことはあるか?』

 「ない」

 男はふと、今の声は合成されたものなのだろうか、と思った。

 それとも肉声なのか?

 『では、今から死刑を執行する』

 スピーカーは律儀に告げた。

 死刑囚を出来るだけ怯えさせるためだ。でないと『娯楽』として面白くない。

 男の目の前、風車の鋭利な羽根の縁に、一際赤い電光が迸った。

 最新の技術を駆使した、プラズマ処刑機だ。

 電気椅子や絞首刑などつまらない。最新の『娯楽』は、常に最先端の技術で行われなければならない。

 どれだけ残酷エキサイティングに演出できるかが鍵なのだ。

 三本の羽根すべての装置が起動し、部屋に低く不気味な振動音が響いた。そして発生したプラズマ・シールドが安定すると……。

――風車が回転を始めた。

 隣の部屋で、観客が興奮に身震いする。

 最初はゆっくりと――、そして次第に、風車の回転速度が増してゆく。さざ波のようだった振動音は次第に唸りを上げ、遂には幾つもの爆音を重ねたような一つの不協和音へと変わった。

 三本のブレードは滲んで区別できなくなり、巨大な円盤のように融合する。

 そして、男の拘束台がゆっくりと、風車に向かって近付きはじめた。


 高速で回転する風車に、男の体が近付いていく。唸りを上げる深紅の羽根が、男の体を喰い千切らんと待ち構える。

 その渦が眼前に迫り、男は精一杯顔をそむけた。

 熱いオゾンの臭いに、胸がむせ返る。

 そしてついに、プラズマの牙が男の鼻の頭を掠めた。

 その熱さに思わず顔を歪めた時――、男は不意に思い出した。

 何故、自分が殺人を犯してしまったのかを。




 ……男もかつては、善良な一市民だった。

 与えられた仕事は漏れなくきちんとこなし、献身的に社会のため働く、優秀な『歯車』の一つ。

 そして休日には、この場所に通い『娯楽』を楽しんだ。

 その日の死刑囚が悲鳴を上げ、助けを乞い、そして苦しみながらじわじわと処刑されるのをゆっくりと眺め......、深い優越感と自尊心、そして心が掻き立てられるような、何とも言えぬ快感を味わうのが、男の日々の楽しみだった。

 ――だがそのうち、それだけでは満足できなくなった。

 ガラス越しでなく。もっと近くで。もっと真近から。相手の苦悶の顔を見てみたい。飛び散る血しぶきを味わい、その魂の最期を直に見届けたい。

 『人を殺してみたい』

 一度沸き上がり、心に巣食ったその怪物を抑えることが、男には出来なかった。

 そして遂にある休日、包丁を持って自宅を飛び出し――。






 空を薙ぐブレードが男の鼻を焼き切り、男は遂に悲鳴を上げた。

 観客が目をぎらつかせ、恍惚とした笑みを浮かべる。

 深紅のプラズマが、派手に火花を散らす。

 だが男の絶叫が続いたのは、ほんの数秒のことだった。



 その後たっぷり五分間かけて、深紅の風車は男の体をした。

 その体は蒸発し、後には何も残らなかった。

 そして、観客たちは帰っていった。

 一様に、表向きは満足したような、――しかし実際には、何か物足りなさそうな表情を浮かべながら。

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生贄 Slick @501212VAT

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