第36話 #35
『拝啓 チハルさん
そっちの世界へ行かれてから10年が経ちましたが、元気に過ごされていますか? こっちの世界のみんなは今日も変わらず元気にやっています。おれ自身も大きなケガもせず、体調も崩すことなく10年を過ごすことが出来ました。強いて言うなら口の周りに生えるヒゲが濃くなってきた気がしなくもないです。リッカもたくましく少しずつ日々成長しています。時々、笑った顔がチハルさんに似てきていてドキッとさせられることも多々あります。そんなこんなで今日、約束を守ってリッカの誕生日ということで10年前にチハルさんから託されたビデオを見ました。おれはもう、開始数秒で涙を堪えるのに必死になっていました。10年ぶりに笑っているチハルさんを見て、10年ぶりにおれと目が合うチハルさんを見ると、たまらない気持ちになりました。おれはどうして、チハルさんがリッカが10歳になった時にあのビデオを見せてほしいと言ったのかあんまり分かっていませんでした。けど、今なら分かる気がする。チハルさん自身が10歳の時に、大きな転機があったからだよね? いつか話してくれたチハルさんの両親のこと。チハルさんが10歳の時に目の前からいなくなったことがトラウマになっていたという話を思い出した。何の前触れもなく、突然家に帰ると自分しかいなくなっていた。それからチハルさんは優子さんに手を差し伸べられるまでたった1人で日々を過ごした。リッカにはさ、そういう思いをしてほしくないんでしょ? 長年、一緒にいて側でチハルさんを見てきたおれはそう思った。リッカの周りにはたくさんの人がいる。一番近くにはチハルさんが側にいるということ。そういうことを伝えたかったんだよね。映像に映るチハルさんの顔を見て分かったよ。
大丈夫。チハルさんがリッカに伝えたい3つのこともリッカはちゃんと聞いていたよ。チハルさんを見て涙を流してたよ。リッカはちゃんとチハルさんを自分の母親だと思っている。すっごく綺麗だって言ってて何だかおれまで嬉しくなって笑っちゃったけどね。おれはリッカの父親でいられることに幸せを感じたと同時に、チハルさんの夫でいられることにも改めて幸せを感じている。聞き飽きたかもしれないけれど、僕の人生がこんなに素敵に変わったのはチハルさんのおかげです。あの時、おれと出会ってくれて改めてありがとう。おれの妻でいてくれて本当にありがとう。おれはこれからもリッカと一緒に生きていきます。大切な友だちもいっぱいいるおれはもう本当に幸せ者です。おれがチハルさんのいる世界に行ったら、また一緒にいたいです。いつか見たあの綺麗な海辺で星空や海の景色をを心ゆくまで一緒に堪能したいです。美味しいご飯を食べて美味しいお酒を酌み交わしたいです。それで、生まれ変わる時が来たら一緒のタイミングで生まれ変わって、どこかでまた運命的に出会いたいと思っています。おれとチハルさんなら、そういうことだって出来そうだと思える根拠のない自信があります。だからチハルさん、少し長くなると思うけれど、気長に僕を待っていてください。チハルさんの分まで精一杯生きたら、すぐに会いに行きます。また会えるその日を楽しみにして、おれはこれからも胸を張って生きていきます。じゃあチハルさん、また会おうね。
カケル
p.s. もし、チハルさんもおれに会いたくなったら、ぜひ夢に出てきてください。そうしたら、おれも泣いて喜びます。今の時期に出てきてくれたら暑くなってきたし、それこそ海とかに行ったりしたいかな』
チハルさんへ向けた手紙を書き終えた僕は両腕をぐーっと頭の上に伸ばして大きく息を吐いた。すると、誰かが階段を登ってくる足音が聞こえ、その誰かが僕の部屋のドアをコンコンと叩いた。
「はーい」
扉が開くと、眠たそうに右目を擦るリッカがいた。
「おはようリッカ。早起きだな」
壁にかかる時計を見ると、普段よりも1時間ほど早く目覚めたリッカは、とととっと駆け足で僕の足に抱きついた。
「おはよう、父さん。さっき、母さんと一緒に海で遊んでる夢見た」
夢の世界で本当に海に行っていたリッカに驚きながらも、僕は寂しそうな声で話すリッカの髪を撫でて微笑んだ。
「昨日、母さんの顔を見たからかもな。それならさ、今日母さんの墓参りにみんなで行ってから、そのまま海に行かないか?」
「え! 行きたい! 瑠璃ヶ浜海岸行きたいー!」
「お、よく知ってるな。そこの名前」
「最近、社会で習ったんだ! 行きたいと思ってた!」
「そうと決まれば準備しなくちゃな」
「うん! みんなを起こしてくる!」
「あ、お、おい! リッカ!」
抱きついていた僕の足から離れ、リッカはすぐに僕の部屋を出て行って階段を勢いよく降りて行った。
「ま、まだ6時過ぎだぞ?」
チハルさんの映るビデオを見ていたらいつの間にか陽は上っていて僕の部屋に夜明けを知らせるようにカーテンの間から陽の光が入っていた。僕からは眠気は無くなっていて、それと同時にたまらなくチハルさんに会いたくなっていた。階段を下っていくリッカの足音が勢いよく聞こえ、それと同時に目覚まし時計よりも大きな声を出しているんじゃないかと思えるほどのリッカの声が聞こえてきた。
「お、おいおい。みんなまだ寝てるんじゃないか?」
僕は早足に階段を下りて、リビングへ向かった。するとそこには、もぞもぞと動き出しているみんなの姿があった。リッカだけ電源のスイッチが入っているようにはしゃいでいる。
「みんな! 瑠璃ヶ浜に海岸に行こうよー!」
「うーん、今何時だ? リッカ?」
ダイキが普段の半分くらいしか開いていない目を擦りながら体を起こした。
ダイキの声に反応するようにハルカさんもゆっくりと体を動かし始めた。チナツちゃんだけはまだ起きずにぐっすり眠っている。
「いま、6時をちょっと過ぎたとこ!」
「まだ大人は動く時間じゃねえぞー」
「パパ、アタシもそこいきたいー!」
リッカの声に呼応するようにツクシちゃんは目を覚ましていた。大人よりも明らかに元気のある子どもたちの計り知れない活力には驚かされる。優子さんやトシユキさんもチナツちゃんと同じようにリッカたちの大きな声に気づくこともなく、それに張り合うようにイビキをかいて眠っている。優子さんの隣では、普段よりも一際体を小さくさせて静かにミクちゃんも眠っている。こんな状況で寝ていられる方も逆に尊敬する。
「んー、子どもたちは行く気満々なんだけど、寝起きの大人たちはどう?」
「何でカケルは寝起きでもいつも通りな感じなんだよ」
「あ、おれ今日寝てない。でも車出すなら、全然行けるよ。頭は冴えてる方だから」
「おはよう~。カケルくん、意外とタフなんだね」
「ふふ、今日はたまたまだよ。さっきまでずっとチハルさんのビデオ見てたんだ」
「あー、それはアドレナリンしか出ないね。てか、今の笑い方、ちょっとチハルに似てた」
「ホント? それは気づかなかった」
「ねー!行こうよ父さん! みんなで瑠璃ヶ浜!」
「みんな、付き合ってくれる?」
ダイキは座ったまま腕を大きく伸ばして顔を2回、目を覚ますように両手でパンパンと叩いた。
「っしゃ! じゃあ子どもたちよりはしゃいじゃうかな!」
「子どもよりも大人たちがはしゃいじゃうよ! 行こっか、リッカちゃん! ツクシ!」
子どもたちの喜ぶ声が聞こえると、今日も1日良い日になりそうな予感がするし頑張ろうって思える。海へ行くことが決まった僕らは、チナツちゃんとトシユキさんと優子さんを何とか起こして最後にハルカさんがミクちゃんの脇腹を勢いよくくすぐって起こした。何でもミクちゃんはくすぐる以外に強引な起こし方が無いらしい。何か少し意外で笑えた。
「みんな、朝早くからごめんなさい。急遽、瑠璃ヶ浜海岸に行くことが決まったので今から行く準備をします。みんなも、少しずつ体を起こしてもらっていいですか。あ、運転はおれがするのでご心配なく」
「子どもたちの頼みは断るはずないよ! ね! トシさん!」
「あ、あぁ。たまにはオッサンも海ではしゃぐか」
「ふふ、お2人ともありがとうございます。ミクちゃんも平気?」
「うん、ハルカさんに強引に起こされたから絶対、海でやり返します」
表情のない顔でハルカさんを見つめるミクちゃんを受け流すようにハルカさんはへへへとゆったりした顔で笑っている。
「チナツちゃんも大丈夫?」
「うん。ちょうど涼しいことしたいなって思ってた」
「それは良かった」
子どもたちはもう準備が出来ているようで、早く行こうよと3分に1回くらいのペースで僕の肩を軽く叩かれる。
「さ、皆さん準備が出来てそうなのでそろそろ行きますか」
準備が出来た僕らはぞろぞろと家を出て、こういう時に使うために買った大きなファミリーカーに全員乗り込んだ。まるで遠足に行くみたいに子どもたちの声が車内に響いている。みんなもそろそろ目が覚めてきたみたいで、さっきよりも目が大きくなっているように見えた。バックミラー越しにみんなの顔を見渡すと、不意にチハルさんの顔が頭に浮かんだ。
「あ、ごめん。海に行く前に行きたい所、思いついたんだけどいい?」
「どこ? 父さん」
リッカが僕の席の後ろからひょこっと顔を出して僕を見た。同じようにみんなが僕の目をじっと見つめている。僕はみんなの顔を改めて見渡した。
「妻の、チハルさんの墓参りに行きたいんだけどいいかな?」
僕の声を聞いたみんなは、同じタイミングで微笑むように笑った。
「カケルならそう言う気がしてたよ」
「パパ、はかまいりってなにー?」
ツクシちゃんの声が爽やかな風に乗って聞こえた。それを聞いた車内には再び笑い声が咲いた。そのなかでリッカの声が一際大きく聞こえた。それにつられて僕も笑った。助手席に座るダイキも幸せそうな顔で笑っていた。車を動かし始めると、どこからともなく薔薇のような上品な花のにおいが僕の鼻をくすぐった。
fin.
10億人に1人の彼女 やまとゆう @YamatoYuu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます