第41話 みんなあんたのせいなんだよ。

「よし、これはやっぱり呼ぶしかねえ」

「は?」

 唐突に悠介が慶奈を指さして、スマホでメール打って、みたいなジェスチャーをした。

「だ、誰をですか?」

「もちろん曽田に決まってる。あ、でも今日はどうせ唐津と一緒だよな」

「じゃあ二人とも呼ぶ?」

「雪乃呼んだらどうせついてくるよ」

 三年生たちが勝手に話を進めている。これはいったいプレゼン対策に関係があるんだろうか?

「あの、わざわざ今日呼ばなくても。って言うか、何の用で?」

 悠介が美緒とまともに向き合った。

「加津佐よ。お前とクラの怖いねーちゃんらとの昨日のアレな。お前は個人的なケンカか何かと思ってるかもしれんが、そう単純な話でもねーんだ」

「と言いますと?」

「さっきから聞いてる話をまとめるとだな、どうもあいつら、今回は陣津じんづ学園あたりをリスペクトの相手にしてるみたいなんだな」

「じいんず?」

「それか、模幣亜もへいあ女子学院かもしれんけど。要するに、指揮者を神と崇める中央集権制」

「はぁっ!?」

「って言うのはちょっと言いすぎか。まああれだ。図で説明すると」

 そこで悠介はテーブルの前に座って、美緒たちの使っていたメモ用紙にタケボウキのような図を書き入れる。一点から何本もの直線が放射状に出てる図柄の。

「こういう組織が理想だと考える連中」

「……これって、普通の組織の形だと思いますけど」

「いいや違うな。普通の組織ってのは」

 言いながら悠介はタケボウキをもう一つ作り、今度は放射線の先っちょに一つ一つ丸をつけ、次いで丸と丸の間を、何通りもの横線で結び始めた。

「こういうのを言うんだ。下っ端は下っ端同士、人数分だけ結びつきがあって、組織のボスは、そういうネットワークを上からゆるやかにチェックするって言うような」

「ああ……」

 もう一度最初のタケボウキを見る。なるほど、指揮者の棒だけ見て合わせなさいよって言うのは、こっちの方か……。

「あいつらがどこまで本気なのかは知らんが、お前相手に言ってたこと、他の金管と合わせる時にも、絶対問題になるはずなんだ」

 言われてようやく気がつく。クロスパート練習はまだまだこれからだ。美緒が疑問に感じたことは、悠介や光一も当然感じるはずで、そうするともっと激しい口論とか……

 うわ、やばい。また全面戦争になりそう。

「にしても、こんなこと考えて、金管とかとケンカになるのは分かりきってただろうに。お前相手だから丸めこめると思ってたのか……だから唐津が抜けてる時にチューバと合わせたのか」

 一度口を開きかけた美緒は、すぐに言葉を呑み込んだ。そうじゃない気がした。クラリネットの先輩たちはそこまで周到に準備していたようには見えなかったし、曽田雪乃が本気で美緒を味方につけるつもりだったのなら、もう少し他にやりようがあっただろう。まあ、元々あの人はそんなに手の込んだことをする人じゃない。どちらかと言えば成り行きに任せて勝った方に乗っかる、みたいな――

 まさか、自分の下のクラパート部員たちと美緒とをわざとぶつからせて、自分は様子見を決め込んでいた!?

 あり得る。あの人なら。

「そう言えば加津佐、ゴタゴタがあってからあいつとちゃんと話してないんだろ?」

「……はい、それは」

 昨日のクロスパート練習、最後はコントラバス・クラリネットとやらが現れて、そっちの方で話が紛糾していたようで、色んなことがはっきりしないまま、挨拶すらせずに時間切れになってしまった。雪乃としては、美緒が三年生たちと揉めている間はあえて何も言わず、頃合いを見てから自分が出て何らかの話をつけるつもりだったのかも知れないけど、ちょっと呼吸が合わなかった。……いや、わざと逃げたのか。

「にしても、あのコントラバス・クラリネットって何なんです?」

「あれ? まあ見ての通りだよ」

「クラリネットファミリーのビッグボスってとこだよね」

「そもそもうちはアルトクラリネットもないんだけどな。先生もまた規格破りなことをするよ」

 思ってる方向と別にいきかけてる流れを、美緒は力づくで修正した。

「あの、そうでなく私が聞きたいのは、なんでそんな楽器を借りたのかっていう」

「それは――」

 三年生たちが一様に物憂い表情になって、美緒を見た。

「バスの音が足りないから、でしょうね」

 慶奈が率直な口ぶりで理由を口にする。美緒はがくっと首を折って、

「ですよねえ」

「タイミングが悪いよね。去年は手を挙げるやつが何人もいたはずなんだけど」

 光一がラインの画面を覗きながら言う。気になったので見せてもらうと、クラリネットパートのグループトークで、誰がコンバスを担当するか押し付け合いになっている。やっぱりバスパートにネガティブなイメージが出来てしまっているんだろうか。こういうパート差別はいけないっと美緒は思いつつ、自身の態度を考えると大声で批判できない気もする。

「毎年こういう楽器を借りてきてるんですか?」

「いや、去年から。コンバスクラが入らないとどうしようもないところがあったからさ。あれはチューバじゃ代用できないし、あんな曲やる時は仕方ないなと」

「はあ」

 あんな曲っていうのは、多分例の、貴之から聞くなと言われている自由曲のことなんだろうなと思う。そう言えば未だに曲名も聞いてないのだった。チューバに代わりが務まらない場所があるって、どんな音楽なんだろう?

「はあ、来ないって? 何やってるんだ、あいつ?」

 だしぬけに悠介がイラついた声で毒づいているのが聞こえて、美緒は顔を上げた。どうやら曽田雪乃が呼び出しを拒否ってるようだ。

「メールじゃ話にならんな。電話かけてみてくれよ」

「えっ、しょうがないなあ。……あ、どうも、砥宮です。電話するの、初めてだよねー。何してんの? デート中? うんうん、そりゃ今日ぐらいしかないもんねえ。うん、ごめんね。こっち? こっちはねえ、私の部屋でぇ――」

「ちょっと貸せっ」

 しびれを切らした悠介が、せっかちに慶奈の手からスマホを奪い取る。持ち主が睨みつけるのにも構わず、端末に向かってつばを飛ばして喋りだした。ああこれは……この二人がくっつくとしても、なんとなく今後の関係がほの見えるような……。

「あん? ああ、そりゃ悪うござんした。……いや、色々あんだよ。加津佐の件とか。お前、自分のパートがラインで何書き散らしたか知ってるだろ? 少しは……本人? ああ、いるけど」

 軽く首を振って、悠介が美緒にスマホを差し出した。

「曽田が加津佐となら話してもいいってよ」

 それからスマホに声が届かないように、ささやき声で付け加える。

「さっきの中央集権制、どこまで本気なのか探り入れてみてくれ」

 また難しいことを、と舌打ちしたいのを抑えて、美緒は平べったい端末を耳に当てた。固定電話の受話器の形をしているケータイと違って、ひどく持ちにくい。

「もしもし?」

『あー、美緒ちゃん? ごめんねえ、昨日はちゃんと話するつもりだったんだけど、急にあんな楽器も現れるし、次は合奏だったしぃ』

 この声音は半分嘘だな、と美緒は思った。

 なんだか急に、なにかもかもが面倒くさくなってきた。そりゃクラパートとの昨日のあれは納得いかないけれど、先頭に立って解決に尽力しようなんて気は毛頭ないし、宿縁の金管vs木管、なんて構図があるんなら、なおのこと関わり合いたくない。

 マックス。マックスがほしい。なぜか今になって猛烈に禁断症状が出てきた気分。もうコンクールもプレゼンも全部ほったらかしにして、一週間ぐらいあのふわふわのおなかに埋もれていたい。

 じわり、と美緒の内側で、何かが変質するのを感じた。この際気遣いとか礼儀とかどうでもいい。最短コースでさっさと終わらせてやる――

『うちのパート、悪いのは口だけだからぁ。ほんとはみんな美緒ちゃんのファンなんだよー? まあいろいろキツイことも言ったけど、愛のムチと思ってぇ――』

「組長、単刀直入にいきまへんか? あんたはんも忙しいでっしゃろ?」

 スピーカー越しに、雪乃が息を呑むのが聞こえた。それ以前にこちらの三年生たちがぎょっとした目を美緒に振り向けている。ちょっとだけ気分がいい。おじいちゃんの家に行くとやたらと時代劇だのミナミの何とかだののテレビにつきあわされてうんざりしてたんだけど、こんなところで使いものになる日が来るとは。

「昨日のアレ、狙っとった訳とちゃいますわな? やけど予想はしてましたやろ? 結局あんたはんはどうしたいんでっか? 下のモンさんざつかみ合いやらせといて、勝馬に乗っかるつもりで?」

 しばらく沈黙していた雪乃が、やがて闇の底から沸き上がるような哄笑を上げ始めた。あ、こっちのノリに合わせてきたな、と思ったら、なんだか笑い方が尋常じゃない。マジで暗黒女帝の裏の顔を暴かれた十五歳が、いよいよ真の姿を明らかにする場面、みたいな――

『ちょ、ちょっと雪乃、笑いすぎ』

『きゃははははははっ、だ、だって……ひゃ、ひぃーっひっひっひっ』

 貴之が横で何か言ってるみたいだけど、止まらなくなってるようだ。こういう場面も少し前にどこかで見たなあとちょっと鼻白んでいると、

『あーもう、最高だぜっ。美緒助、おめーマジで次の部長やんねえか? 推薦してやらあ。クラパート全員でなぁ』

 こちらも本格的に切り替えて話しだした。

「遠慮しときますわ」

『ふん、まあそれはいいや。いいぜ、話してやる。だいたいおめーさんの予想通りだよ。あたしはね、成り行きで部長とかパートリーダーとかやってるが、自分の考えなんて何も持っちゃいねーのさ』

 合間に何かをぐびっと飲む音がした。ぶへぇー、みたいな声まで入る。

『部をどうしたらいいかとか、正直、あたしは分かんねー。だから、あたしは誰にも賛成も反対もしない。前に出て意見調整して、決まったことを守らせるだけだぁ。それしかできねーんだからさぁ』

 ひゃっひゃっひゃと微妙に壊れた笑い声がした。スピーカー越しに雪乃の声は周囲にも聞こえている。美緒は思わず三年生たちと顔を見合わせた。

『だが、クラパートとして、昨日うちのやつらが言ってたこたぁ、間違っちゃいねえと思ってる』

「やけど、絶対の正解やとも言い切れへんのでは?」

 その件をやり合うつもりはないのか、いきなり雪乃は別の話を持ち出してきた。

『なあ美緒助よ。昨日のクラの練習ぶり、見たよな? この頃になって、なんであいつらがあんなに熱入れてるか分かるかい?』

「……いや」

『あんたのせいだよ、加津佐美緒』

 ハードボイルドごっこの中で聞いたせいか、衝撃はそれほどでもなかった。努めて冷静にその場で思いついた解釈を返す。

「それは私の音が小さすぎるからっていう?」

『そういうのじゃねえ。おめーさんは意識してねーだろーがよ。美緒助のせいでうちの吹部は今絶好調なんだ。絶好調すぎるんだ』

 ん? と美緒はいったんスマホを耳から外した。とうとう自分で何話してるのかも分からなくなったんだろうか、この先輩は?

『わかんねーか? わかんねーだろーなー。でもな、六月後半っていやあ、たいがい色んなトラブルが山積して、もう今の時点でコンクールの結果も見えてるって感じだったんだよ、うちの部はな。それがどうだい。今年は一年から三年まで練習意欲は旺盛だし、一抜けしかけたチューバは残留できて、トランペットトップのゴタゴタも、二、三日で収まったじゃねーか』

「そ、それが、私のせいって――」

『あんたのせいだよ。他に誰がいるってゆーのさ? こりゃもう、今年は最高のコンクールになるぜって、みんな気勢上げちまって、あのざまだ。だから……責任取ってもらわねえと』

「い、意味分かんないんですけど」

 すでに付け焼き刃の大阪弁など抜けきっている。雪乃はやたらととろくなった喋り方で、うわ言のように、

『ああ、あたしにもわかんねー。だから……あんたがうちのパート、説得できるんならしてやってくれよ……あのバカどもにさ……何が正解なのかってこと……プレゼン、あるし、歌の……も……』

 しばらく無音状態になってから、スマホを持つ手が代わった気配がした。

『ええと、雪乃、寝ちまってるみたいだ。ちょっとハイになり過ぎたな』

 貴之の声だ。悠介が美緒から端末を受け取った。

「またコーラ飲ませたのか、お前」

『いや、今日は自分から飲んでたんだけど』

「仕方のねえやつだな。せいぜい風邪ひかせるなよ」

 それから少しばかり男同士で話をして、悠介は電話を切った。慶奈に突っ返そうとして、ふと気がついて自分のハンカチで指紋とかきれいにしてから握らせる。

 あ、ちょっとポイント上がったかも。

「結構、疲れてたのかな」

 誰にともなく悠介が言う。もちろん雪乃のことだろう。まあそれはいいんだけど。

「あの、コーラって……」

「あいつは炭酸飲料で酔っ払うんだ。憶えとけよ。俺たちの送別会の時も、あいつには炭酸抜きのフルーツジュースな」

 えええええ?


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