第38話 私、知ってしまいました。



 美緒の特別授業はそこで一応終わりということになって、二人の先生は何やら打ち合わせみたいな作業に移っていった。特に出て行けとも言われなかったのでそのままそこにいると、でも真面目な話はあっという間に終わって、後は愚痴の言い合いっぽい会話になってしまってる。

「どうも最近、有名校の真似ばかりしたがる動きが出て困ってる」

「そっちの高校でってことか?」

「おう。鵜潤ううる学園とか粉噸ことん大付属とか、動画やらブログやらアップしまくってるだろ? それ見て、『なんでうちはこういう練習やらないのか』みたいな物言いがやたらと多くなった」

「やればいいじゃないか」

「そりゃ、真似してプラスになるものだったら俺もやる。あいつら、エリート校の真似だけでネタ拾ってきやがるんだ」

「たとえば?」

「たとえば、曲の解釈にやたらと具体的なシナリオでっち上げて、このストーリーに合わせて曲作りしましょう、とか言ったり」

 つい、端嶋先生と美緒の目が合った。でも先生はすぐにコグマさんに戻って、

「ダメだと言い切れるほどじゃないと思うが?」

「いやあダメだ。きちんと曲に添った自然な筋書きなら俺も文句は言わん。が、あいつらの作ろうとしているのは、外面だけ意識高い系の、全然音楽に役に立たんシロモノだ。そんなものに延々と時間食われてみろ」

「意識高い系?」

「そう。地球とか未来とか絆とか、やたらそんな言葉が出てくる。面接試験の自己アピールにでも使うつもりなのか。三部形式のダンサブルな吹奏楽曲に、そんな妄想くっつけてどうする。あんな取り澄ました点数稼ぎなストーリーひねり出すぐらいなら――」

 今や美緒の脳裏には、五月に行われた「コンチェルタンテ」のプレゼンでの情景がありありと映し出されていた。三砂のおバカまるだし……に見えた発表。途中からやたら強引に、怪しげなファンタジー小説のストーリーとくっつけて顰蹙を買ってた。なんであんなことを? もしかして、あれは……。

「いっそ異世界ファンタジーみたいなバカっぽいストーリーで起承転結説明するほうが、よっぽど学生らしいし、気が利いている」

 何秒間か空白が空いた。どうも、端嶋先生は美緒に何も言ってほしくなさそうだったけれど、あえて美緒はコグマさんに尋ねた。

「そういう曲作りが流行ってるんですか?」

「ん? まあ流行ってるのかどうかは知らんが、以前に全国クラスのバンドでそういうやり方をしてたって話が話題になってたから。そこから色々勘違いしてしまったフォロワーが出てきてるのは確かだろうな」

「……先生。もしかして、うちの部にもそういう人たちって」

 視線を振り向けた先で、先生はわざとらしく窓向こうの空模様なんかを見ていたけれど、すぐに諦めたように、

「加津佐さんは、ヘンなところでだけカンが働くねえ」

「だけ?」

「ああいやいや。うん、想像通りだよ。この前のプレゼン、あれは、うちの一部の、まさに意識高い系の人たちへ牽制するつもりで、浪瀬さんなんかがわざとああいう話してたってこと。そもそも『コンチェルタンテ』って、そんなに具体的なシナリオで理解するような曲じゃないでしょう?」

「なんだ、ここの部にもそういうのにかぶれた生徒がいるのか」

 ちょっと面白そうにコグマさんが口を挟んだ。けど、美緒にとっては笑いごとではないのだ。

「で、もしかしてですけど、そういう人たちって、木管に何人もいたりします?」

「顧問の口からは、その件についてはなんとも言いかねる」

 先生はそう答えたけれど、金管にその手の先輩が見当たらず、パーカスが無口キャラの集まりである以上、どこのパートに生息しているかはほぼ明らかだった。

「まあね。僕としては、彼女らの言い分にも耳を傾けたいところではあるんだよ。だから、僕から特にああしろこうしろというつもりはないから。でも……君たちの間で議論したいことがあるのなら、それは大いにやるべきだ」

「相変わらずろくでもない放任主義貫いてんな」

 コグマさんが呆れ半分で感想を言う。正直、美緒も「全くです」とか言いたい気分だったけれど、今の今まで無意識下でずっと言葉にならなかった問いが突然日の目を見て、さらには答えにまで行き着いたもんだから、美緒は思いがけず高揚していた。

 改めて、この部の勢力の構図みたいなものに気づいてしまった気分。思えば、私はその間でいいように翻弄されてきたように思える。これはちょっと、今回のプレゼンでもそういうことも意識しないと……。

「ん、そう言えば加津佐さん、そろそろ時間じゃないかな。次の練習が始まるでしょう?」

 先生の言葉で思い出した。今日のクロスパート練習は、土曜日ということで二時間あるのだ。いけない、今日は私一人なんだから、気持ちを切り替えて――

 と、そこで美緒は何秒間かフリーズした。次の時間。チューバの相手をするパートって……クラリネットだ。曽田部長と桐香先輩はともかく、他の人たちって……みんなして〝跳ねっ返りども〟ってタイプばかりの――。



 練習場所の視聴覚教室に美緒が引きずるようにしてチューバケースを運び入れた時は、もう予定時間の三分前だった。譜面台と楽器スタンドと楽譜一式は第二便扱いだ。大急ぎで取って返したらなんとかセーフだな、と思っていたのに、教室にいたクラのメンバーは軒並みイラッとした顔を美緒に向けてきた。

(えっ、なんで?)

「加津佐さん、遅刻っ。部内での移動は五分前行動が鉄則よっ」

 三年生の一人がまなじりを逆立てて美緒の前に立ちはだかる。初めて聞くルールに、どう返したらいいか分からなくて詰まっていると、

「金管はその辺、ルーズにやってるみたいだけど、私たちは違うから。クラと合わせる時は注意して。あれ、譜面台は?」

「いっぺんには持ってこれないから、まだ楽器庫の前なんですけど……」

 大きく息を吸い込みかけた三年生が、思い直して廊下にいた一年生へ指示を出す。クラのレギュラー以外の一年生は、壁一枚挟んだ場所で常時レギュラーに聞かれながら初歩の練習に励むのが、クラパートの流儀だと聞いている。

羽部はべ野末のずえ深敷ふかしき、頼まれてくれる? えっと楽譜と譜面台だよね?」

「あ、すみません、楽器スタンドも。三つとも固めてあるはずなんで」

「だって。走らないでよっ。急いで!」

 微妙に矛盾したことを命令してから、美緒に準備を急ぐよう目で促す。半円形に用意されている席の末端に座り、ケースからチューバを引き出しながら、曽田先輩は何をしてるんだろうと居並んでるメンバーの顔ぶれを見ると、半円の先っちょですました顔でクラリネットを吹いていた。美緒の視線には気づいているはずなのに、目を合わせようとしない。

 いくらか覚悟していたとは言え、アウェー感が半端ない。まだ予定時間前なのに、みんな自分の音出しに余念がなく、これからテストか何かでも始まるんだろうかと思ってしまう。っていうか、よく見たらB♭ベー管のクラリネットばかりだ。桐香先輩は? そういえばバスクラもいない。

 ほどなく残りの荷物を持ってきてくれた一年生に、それとなく訊いてみる。

「エスクラとバスクラは?」

「エスクラはフルートでバスクラはサックスに出張してるんだって」

 言われて思い出した。クロスパート練習では、色々とパートの区切りが平素と違うのだ。よくよく思い返すと、さっきの中庭でも、宝寺丸法子の横に多佳町紫帆が座っていたような気もしないでもない。

 パンパンと手を叩く音がした。曽田雪乃が立ち上がり、いかにもリーダーらしい素振りで場を仕切り始めた。

「時間です。クロスパート練習二コマ目を開始します。今回はチューバパートとの合同練習です。普段はいちばん距離のあるパート同士ですので、ごく間近に音を聞きあうのはいい経験になると思います」

「「はいっっ」」

 びしっとした返事が一斉に上がって、美緒は目を白黒させた。これは、全日本吹部族の条件反射行動として有名な。樫宮ではろくに聞かれないものと思ってたのに。これじゃまるで、「フツーの吹奏楽部」じゃ……。

「曲目は『コンチェルタンテ』『音楽祭のプレリュード』の順で。時間が余りましたら、他は加津佐リーダー代理と話し合って決めます」

「「はいっっ」」

 コンクール対策に一時間あてるつもりらしい。ってか、その聞き慣れない私の呼び名は何? 唐津先輩がいてもこんな調子でやるつもりだったんだろうか、と考えて、ふと思い当たる。このパート同士の組み合わせとスケジュールを決めたの、曽田先輩自身だ。さては彼氏とあえて対決しない形で予定を組んだか。でもなんで?

 目の端になんだか場違いにきらびやかなものが映った気がして、美緒は教室の隅を見た。千羽鶴だ。片手で下げられる程度のささやかなものだけれども、ひと目見て美緒は、ああ、この人たち本気なんだなと思った。

 本気でコンクールの上位目指してる。熱意は察するけれども、どうもそれは、うちの吹部の主義とすれ違っていると言うか……でもうちの主義って「みんな好きにしようぜ」だと思うから、これはこれでうちらしい……の? にしても、ちょっと前まではこうまで熱心じゃなかったと思うけど……。

「本日の一日目標は『歯車になりきる』です。音程を合わせて、リズムを合わせて、息を合わせて。技術をつきつめた先に、おのずと音楽は出来上がってきます。一音一音高みを目指しましょう!」

「「はいっっ」」

「加津佐リーダー代理、そちらから何かありますか?」 

「いや……おかしいんじゃないですか?」

 ついいつもの口調で、何も考えないまま言葉が転がり出てしまう。しまった、と思った時には、場の空気は敵意丸出しで凍りついていた。

「おかしい、と言うのは?」

「いや、その、いつもこんな調子で話をしてるんですか? なんだか――」

「クラリネットはずっとこういう姿勢で練習やってましたが、なにか?」

 今日は冗談のまるで通じそうにない曽田部長が、目を微妙に細めて美緒を見る。焦った美緒は、言い訳半分言い逃れ半分で、自分でも忘れかけていたネタを口の端に乗せていた。

「いや、だって、みなさんこんな言葉遣いじゃなくて……そ、その、もっとこう……コワイ職業の人たち、みたいな……」

 虚を突かれたような沈黙が下りた。あ、ますます怒らせたかな? と美緒がビクついていると、誰からともなく顔を見合わせて、ちょっと気が抜けたような声が上がり始める。

「バレてるっス」

「なんでバレてンだ?」

「こん前のあれっスね。三下がアバレてた時の」

「下手打っちまったい。唐津と浪瀬しかいねえって思ってて」

 背景とかBGMがいっぺんにロックンロールになったような切り替わりである。どうやら話をそらす形にはなったようだ。でもこれ……桐香先輩がチンピラ化して増殖したようなこの状態って……。

「あー、美緒ちゃん、いいんかい? そもそも美緒ちゃんが怖がんねぇように共通語にしてたんだがよ?」

 雪乃が緩い笑みを浮かべながら美緒に訊く。今日初めて、まともに応対してくれた感じだ。美緒はちょっと混乱しながらも、頷いて、

「ええ、いえ、前のほうがよっぽど怖い……って印象なんですけど。って言うか、なんでクラパートだけそういう言葉――」

「伝統っス」

「単なる伝統」

「昔からそうでぇ。あんま他パートの新一年には知らさんようにしてるんだがよ」

「このこと知っちまった以上は、加津佐も一人前ってもんだぜ」

「もうこの際だから、姉妹盃交わすかあ? ひゃっひゃっひゃ」

 とり済ましたお姉さまたちが、微妙に江戸前な侠客レディースに。ぱんぱんと手を叩いて、さっきよりリラックスした佇まいの雪乃が、平素より低くて太い声を上げる。

「おっし、んじゃざっくばらんにいってやろーじゃねーか。仕切り直しでぇ。――これで文句ねえよな、美緒助?」

 なんだか呼び方がまた一つ増えてるけど、美緒からツッコめることはもうない。神妙に頷くと、もう周りにいるのがどういう顔の誰かということを一切頭から締め出して、練習に集中する。

 まあ、最初っからそういう人たちだったと思えば、さして違和感もない。

 伝統ってのは、絶対ウソだろうけれども、そのことはどうでもいいと思う。この部には無言の行者たちをタカラヅカな二年生が引率してるパートもあるし、ハーレムまであるのだ。今さらなんちゃって任侠道の女子中学生グループがどれほどのものだろう。

 ――問題は、やっぱりこのやり方。

 言語モードがすっかりそっちになってしまった後も、クラパートの練習の方向性自体は全然変わらなかった。「はいっ」が「おすっ」になり、注意し合う言葉がくだけた調子になった印象こそあるものの、技術的なツッコミはかなり厳しく、それも〝歯車〟としてのふるまいを強く求めるものだ。反面、体育会系的なノリが強まった分、共通語の時よりますます暑っ苦しくなって、「熱血コンクール主義」みたいな看板さえ見えてきた感じがする。何もここまでガンガンやらなくても、とは思う……んだけどなあ。


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