第37話 樫宮のライバル現る!?

「加津佐さん……ピアノとか習って……なかったよね?」

「ええ。そんなのは全然」

「変奏曲って言葉、どこで覚えたの? いや違うな。変奏曲を実際に聴いた経験って、どこで」

「樫高のクリスマスコンサートで、『ディエス・ナタリス』って曲がそうだったんで。パンフレットにも説明あったし」

「! あれを聴いてたのか……そうだったね、『ディエス』か」

 ようやく納得したように、先生が何度も頷いた。

「けど、『ディエス』と『フェリスタス』は全然タイプが違うと思うけど?」

「そうですか? なんか、ひとつの短い曲が百面相みたいなのやってるのって、同じだと思うんですけど」

 そこでまたも言葉を切って、美緒の顔をじいーっと見つめる先生。

「先生?」

「ああ……まあいいや。うん。そこまで理解が行き届いているのであれば、大いに結構」

 妙にしゃちほこばった言い方で先生が講義を続け出した。

「じゃあ、変奏曲形式の音楽やるとしたら、どういうところに注意して演奏するべきだと思う?」

「まあ……一つ一つの変奏の個性がはっきり出るように、とか?」

 なくとなくそのへんの解説本で書いてそうなことをそのまま口にする。先生は頷いて、

「そう。それに〝メインテーマとのつながりを意識して〟って一言があったら、一応は合格なんだけどね」

「はあ」

「でも、それで音楽になるかね?」

「えっ!?」

 そんな究極の質問みたいなことを言われても。なるって言ったらダメなんだろうな、とは分かるけれど……。

「そ、その場合の〝音楽になる〟っていうのは、どういう意味ですか?」

「お、そう返してきたか。ふむ、そうだね」

 なぜだか先生はすごく楽しそうだ。美緒は全然楽しむどころじゃなかったけれど。

「そうね、この場合は、聴かせた後で『何かまとまったイメージを持たせられるかどうか』って意味かな」

「要するに……曲全体でどうにかしてまとまりを作れ、と?」

「そうそう」

 なるほど、個性だらけの変奏を並べただけじゃ、だから何だ、で終わってしまうってことか。

「で、その『まとまり』っていうのは、どうやったら作れるんですか?」

「そこは君が考えることだよ」

「えええーっ?」

 何のヒントにもならない。結局雲をつかむような話じゃないの、と美緒は思わず席を立ちかけた。先生は笑って、

「ああ、そう短気になっちゃダメだ。とりあえず、いくつかパターンを教えてあげるから、そこから取り組んでってごらん。手始めに――」

「おお、相変わらず生徒相手にレクチャーごっこやって遊んでんのか」

 不意に、教室の入り口からやかましいガラガラ声が響いてきて、先生と美緒は揃ってそちらを見た。四角い顔でがっちりしたシルエットの、体育の先生かなと思いたくなるような男の人が偉そうに突っ立っている。端嶋先生は露骨に舌打ちしたばかりか、これまでの柔らかい人相まで急に苦みばしったものに変えて、

「予定は明日じゃなかったのか。アポなしで踏み込んできやがって」

「いやあすまん。どうせならここの音を聞いておきたくてな」

「見物するに足るような中身はないよ。どうせ」

「謙遜するな。あんな演奏やらかして、その一年後が気にならん指揮者なんぞ、この県にはおらんぞ」

 どうも、端嶋先生の友達……というか、同業? やっぱりどこかの学校の先生なんだろか?

 ふん、と鼻を鳴らしてから、先生はお客様に手を向けて言った。

「加津佐さん、この人、熟旦うれたん高校の小隈こぐま先生。一応僕の大学時代からの同期ね」

 熟旦高校。聞いたことはある。確か隣の市の。うちの中学とは直接つながりはないけれど、そう言えば今度の合同演奏会にも参加してたような。コンクールでも一応金賞争いの一角にはいたはず。

 そこの顧問がこの先生。コグマというよりは、どう見ても大熊だ。――なんて感想は、多分会う人みんなが感じているんだろうな、と美緒はひそかに笑いを噛み殺した。

「はい……どうも、こんにちは」

「やあこんにちは。話中に失礼……ん、君はもしかしてチューバを吹いているという」

「はい? ええ、そうですけれど」

「そうかそうか。いや、樫宮の市吹とはそれなりにつながりがあるんでね。君の噂はかねがね」

「はぁっ!? あ、いえ、ど、どんな噂を」

「うん、なんでも、樫宮高校のコンサートで、ポップスステージではニコリともしなかったのに、難解な二十世紀音楽には大いに感動して涙を流していた小学生がいた、と」

「…………」

 間違いではない、かも知れない――けど、いつかのスケさんとかテッさんのコメントとは著しい開きがあるような。

「その子が樫中に入ったって言うから、これは面白い化学変化が起きるな、と思ってたんだが……ああ、話の途中だったな。そのまま続けてくれ。俺はここで待たせてもらうんで」

「言われなくても続けさせてもらう。気にしないでいいよ、加津佐さん。続き行こうか」

「そ、そうですね」

 それから先生は変奏曲を題材に、プレゼン対策みたいな話の続きに戻ったんだけど、コグマさんを意識してか、やや教科書みたいな一本調子になってしまって、まあ要点は分かるものの、それを「音プレ」にどうつなげたらいいのかというところまでは、なんだかわかりにくい。

「――というところで、メモは取ってある? 今言った、三つのことを手がかりに考えていけば、発表のコツみたいなものはつかめるはずなんだけど」

「うーん」

「もう何曲か具体例を挙げた方がいいのかな? まあ、そうだな――」

「そんなことを中学一年生に教え込んで、何になると言うんだ」

 教室の端に座って、時々スマホをあたっていたコグマさんが、不意にこちらへ割り込んだ。はっきりと失礼な突っ込みに、でも端嶋先生はちょっと嫌そうな顔をしただけで、

「そういう悲観論は教育者にあるまじき論点だと思うが?」

 皮肉っぽく言い返す。コグマさんは美緒の方を見て、

「ふふん、では君に少し尋ねよう。例えば『ディエス・ナタリス』だが、あの曲の最初のユーフォニアム、憶えてるかな?」

「ええ、憶えてます……けど」

 コグマさんが頷いて、聞き覚えのあるメロディーを歌い始めた。イーヤーラーララ、ラーリール……なんて、さすがこちらも吹部の顧問だけあって、堂に入った歌いっぷりだ。

「で、このメロディーを聞いて気がつくことは?」

「はいぃっ?」

 気がつくことと言われても。いい感じの音楽です、なんて言ったらダメ……なんだよね?

「階名で歌ってごらん。ミから始めて」

 横で端嶋先生が言った。横槍を受けて嫌そうな顔をしていたはずなのに、この場はコグマさんの話に乗る気になったようだ。たった今聞いた旋律をなぞる形で、がんばって声を出してみる。

「ええっと、ミ? ミーファーソーラシ、シードー……」

「レ」

「↓レーミファ、ソーラー…………あ」

 音程感覚が怪しくなった音高を一度アシストしてもらって歌い終えた美緒は、あ、と気がついた。このメロディーは……。

「そう、ただの音階だ。ドレミファソラシドを途中で切って、一度オクターブ落として、つないだだけの」

「…………」

「続きも憶えてるか? ファーソーラシ、シードーレーミファ、↓ソーラー。やっぱり音階。その先も……まあ、動画かなんかで聞き直してみろ。次の主題が出てくるところまで、ずっと音階だから」

 コグマさんはドヤ顔で美緒を見て、

「気がついてたか? そういうこと」

「いいえ、全然」

「うん、じゃあびっくりしたろう」

「はい……」

 つい笑顔を返してしまう。もうこれだけで、なんだかすごい秘密を知ってしまったような気がした。

 んだけど。

「だが、主題が音階の上行形だったとして、それがどうした?」

「え……」

 言われて、急に我に返る。えっと、つまり、と何か言おうとするんだけど、焦るだけで言葉にならない。

「そう、それだけだと、ちょっと意外な発見の紹介ってだけだ。とても音楽づくりの役には立たん」

「じゃあ」

 横で聞いていた端嶋先生が、後を続けた。

「つまり、意味を考えなければダメだってこと。とても印象深いメロディーが、実は音階そのものだった。何を言いたいんだと思う?」

「……えっと」

「上行形。途中で下に落ちてはまた上がり、また落ちては上がる。何度も何度も」

 考え込んだ美緒に、コグマさんもヒントを出す。つっけんどんな態度で始めた話のはずなのに、なんだか教え方が熱っぽい。言葉につられるようにして、美緒は上を見上げた。

「上がってる……上に、向かう……上に、行きたい? つまり」

 耳元に、クリスマスイブの日に聞いた、厳かな、でも暖かな中低音のハーモニーが甦る。あの曲のイメージ、あのメロディーが表していたものは――

「天国?」

「……うむ、まあ、よしとしようか」

 もったいぶった言葉の割には、コグマさんの顔にははっきり驚きの色が浮かんでるようにも見えた。何が意外だったんだろう?

「天国への憧れ。天使を讃える気持ち。あるいは神への祈り――とか、高校生なら言ってほしいところだが、中一ならそれで上等だ。この旋律は、まさしく天への視線を表している」

「はい……」

 おお、なんだか本格的な講義になってきたような気がする。この人、実は結構すごい先生?

「だが、それを知って何になる?」

 途端に、頭から水をぶっかけられた気分。隣では端嶋先生が頬杖をついて、やれやれ、というように黒い笑いを浮かべている。

「そんな調子で楽譜の全てを言葉で表したところで、君らがやるべきことは、ニ長調の音階を丁寧に、なだらかに歌うこと、それに尽きる。なら、今すぐ楽器を取ってひたすら音階を練習すればいい」

「い、いや、でもっ」

「他の中学校はくだらん理屈なんか最低限に抑えて、寸暇を惜しんで練習してるぞ」

「ですが、それは」

「うちの生徒をそれ以上いじめたら、そっちが借りる予定のアレ、もう貸してやらんぞ」

「それは困る」

 大真面目な顔でコグマさんが言った。口をパクパクさせたまま言葉が続かない美緒を見て、ふっと笑い、肩をちょんちょんとつつく。むずかっているネコを軽くあやすように。

「ま、せいぜいこいつのもとで努力してみたらいい。そもそも、色々考え込んだらダメな音楽しか出てこない、などと決まっている訳でもないしな。がんばりたまえ」

「は、はい。……ありがとうございます」

 口ではそう殊勝に返しつつも、美緒は忸怩たる思いだった。

(何も言い返せなかった……。そりゃ、私だって好きでプレゼンなんかしてるわけじゃないけど)

 やる以上は、自分の行いを全肯定したいし、してほしい。せめて、自らの行動に疑問を抱いてしまうようなことなんて言わないでほしい。

(でも、先生は先生でこの人のこと、百パーセント否定してる感じじゃないなあ)

 おかしな関係だと思う。こんなふうに、真っ向から主張が食い違うのに、一緒に話し続けることなんてできるもんなんだろうか? 一緒に音楽できるんだろうか?

 口こそ悪いものの、傍目から見ると、気心が知れた親友同士にも見える二人である。この先生たちは、親友だからぶつかり合っても絆を保っていられるんだろうか? それとも、ぶつかり合っているからこそ、親友でいられるんだろうか?


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