第31話 答えのない問い、ひとつ。


「「組長!」」

 突然、教室の入り口に怖い顔をした何人もの女生徒が現れた。貴之とくっついてる曽田部長を見ると、ズカズカとまっすぐ突入してきて、集団で取り囲む。……って、組長?

「男と遊んでる場合じゃねえっすよ、組長」

「三下ども、たるみ過ぎっす。組長がちゃんとシメていただかないと」

「若頭だけじゃもう限界っすよ」

 よく見ると、みんなクラリネットの先輩たちだ。楽器持ってなかったら、ただの校内マフィアの面子としか思えない。こんな人たちに囲まれて、部長はどうなるの――と思ってたら、なんだか曽田先輩の顔つきもそれっぽいものに変化してるような。

「あん? おうおう、シャバでそういう言葉遣いは」

「猶予はありません、おやっさん」

 おやっさん?

「わーったわーった。もう、しょーがねえ。三下どもにこれからソロのテストだって言ってやんな。『音プレ』のFとG、一人ずつ吹けって」

「「承知しやした!」」

 ざっざっざっと靴音を揃えて去っていく先輩たち。え、ここって中学校だよね? 部活中だよね? と美緒はしばし全身の動きを止めて教室の出口を見つめてしまう。

「じゃあ、行くね。手伝ってくれてありがとう」

 持ち込んだ書類を手早くまとめて、雪乃が立ち去る気配を見せた。カワイイめの声がちょっとわざとらしい。さっきの時代劇映画みたいなあの口調は何だったんだ。

「あ、美緒ちゃん」

 数歩歩いてから雪乃が立ち止まった。

「亜実ちゃんの件、この際だから美緒ちゃんに任せるわ」

「はっ!?」

「まー、私としてはあの子にはペットに残ってほしいんだけど、先生が強権発動してない以上、一応これってペットとチューバの問題だからね。私から口出しできることはないの」

「そ、そんな……」

「うん、だからどっちに転んでもいいってことだから。でも他の人たちの意見も聞いて、うまくまとめてね。じゃ」

「え? ええーっ!?」

 手を伸ばした先で、教室の扉はびしゃっと閉じられた。じっと手を見る。

「好きにしていいってよ。よかったじゃないか」

「あーん残念。私が間に入ってもよかったのに、美緒ちゃんがご指名かあ」

 背後から貴之と三砂が楽しげな声でコメントする。キッと美緒が振り向いても、面白そうに笑顔を向けるばかりだ。

 またこんな高みの見物みたいな顔してっ。なんで私ばかりこんな苦労を――

「少しは手伝ってくださいよ! 亜実先輩と、私、連絡もつかないんです! すれ違いばっかりでっ」

「ペットなら旧校舎の方じゃないかな。二階あたり」

「練習中にこんな用件で押しかけられないじゃないですかっ。それに、もうこれ以上歩き回るのヤです!」

「じゃあ、メッセージ送っとこうか? 何て言っとく?」

 三砂がスマホを取り出して言った。さりげない親切でとたんに躍り上がりそうになるものの、ちょっと待って、と、つい用心深さが先に出てしまう。

「……何が目的ですか、浪瀬先輩」

「えええ? 何も裏なんてないよ〜。いいからこういう時は頼りなさいって。もう、美緒ちゃんったら、すっかり心が汚れちゃってぇ〜」

 汚れたのは誰のせいだ、と言いたいのを抑えて、とりあえず好意には甘えることにする。まあ、この人のことだから、裏があるなら創作活動のネタ拾い程度しかないだろう。

「じゃあ伝言お願いします。『今日中に返事するのはちょっとムリです』って伝えてください。あと、『一度直接話を聞かせてください』とも」

「おっけー」

「しっかりしたもんだ。加津佐に任せて正解だったな」

 他人事みたいなセリフを耳にして、美緒は貴之をじろっと見た。正面から視線を受けて、貴之は焦ったように、

「な、何?」

「唐津先輩。私、まだ聞いてないんですけど」

「え、何を?」

「どうして最近になってやたら誉め言葉が多くなったのかってこと。もうすぐお亡くなりになるんじゃなかったら、説明がつきません」

「……お前も口が悪くなったな。誰の影響だ」

 そう言って片手で髪の毛をがりがり掻いて、心持ち照れくさそうに、

「んーと、大した理由はないんだけど。つまり、その……ちょっと反省したんだ。加津佐があんまり暴走するから」

「はぁ!?」

「いや、悪く言うつもりはないっ。ないけど、こっちの想像を超えることが続いたから、ああこれはコミュニケーションが足りな過ぎたのかな、と」

「……っ、……!」

 返しに詰まってしまう。そんなことありませんっ、とはとても言う気になれないし、かと言って、その通りですっ、と断言するのは気がとがめる。

「あと、人を教える時はたくさん誉めろって、最近読んだから」

「それ、犬のしつけとかの本じゃありませんよね?」

「なんでそう斜めから物事を見るんだ」

「先輩もようやく口下手を直す気になったんですね〜。それって、音楽の指導者になりたいからとか?」

 いつものふわふわした調子で、三砂がさりげなく探りを入れる。

「え、そこまでまだ考えてないけど……まあ、こんな部活でも、感覚だけでばっかりもの言うのって、もしかしたら迷惑なんかなって思ってきてさ」

 ちょっとドキッとした。このセリフって、つまりあれだ。美緒のチューバの音の抜けが今ひとつなのに、どう改善したらいいのか先輩の方も全然言葉で表現しきれなくて、お互い後味ばかり悪かった、あの時の。

 いや、美緒だけを相手にした話じゃないかも知れない。でも、部のみんなから「自分で自分のやってることが分かってない」とか言われて、さすがにここままじゃいけないって思うようになった……のかな? だとしたら、なんか喜ばしいと言うか、申し訳ないと言うか。

 なんとなく美緒にとっても気恥ずかしい話題に触れてるような気がしたので、別の質問を振ることにする。

「あの、その話は分かりました。それで、ついでにもう一つ訊いときたいんですけど、ここしばらく先輩の音が薄くなった感じなのは、なんで?」

 死ぬ予定じゃないのに、との一言は自重した。

「ん、それ、ほんとに質問してる?」

「どういうことですか?」

「いや、昨日のやりとり聞いてたら、もう」

 言いかけた貴之だったけれど、すぐ思い直したように、

「まあいいや。なに、単純な話。この頃は加津佐の音を意識しながら吹くようにしてたから、それで音量が落ちてたんだろ」

「え、なんで私の音なんかを?」

「なんでって……」

 貴之がまっすぐ美緒を見た。三砂も見た。暇を持て余して仕方なく自主練習をやっていた晶馬も、会話は聞いていたのだろう、胡乱な目で美緒を見た。

「え? え? 何か、変なこと言った?」

「……美緒ちゃん、自分で分かってないんだ」

「まあ、そういう発想が根本的にないのか」

「しゃあねえっすよ。これが加津佐ですって」

 他の三人が、なにやら目配せしながらおもしろがってる。何の話なんだろう。悪い話? また大ボケやってるって笑われてるんだろうか? 何にしても塔野がえらそーなのはムカつく。

「とにかく、そういうこと。なんだ、そこまで無自覚だったんなら、俺も気の遣い過ぎだったかな」

「……よく分からないんですけど」

「訊きたいことはそれだけか?」

 さりげなく話題を終わらせようとする貴之。これ以上聞いてもはぐらかされそうだし……そうだ、いい機会だから。

「じゃあ、あと一つ。去年のコンクールなんですけど、なんか聞いてると、すごい演奏だったのに、みんな悔いが残ってるみたいなこと言ってて――」

 ふっと部屋の気温が下がったような気がした。一瞬、気のせいかな、と思ったけれど、見ると貴之は明らかにこわばった表情になってるし、三砂もなんだか洒落で済まされないような真面目な目つきになってる。

「それって、どういう……」

 しばらく返事はなかった。校内のあちこちから色んな楽器の色んな音が聞こえてくる。ありとあらゆる楽しい音の百貨店やってるみたいなハッピーな空間のまん真ん中で、その教室だけ何の音もないまま、沈黙が続く。

「色々、あったんだ」

 ようやくそれだけ貴之が言った。

「だから、その色々って」

「色々は色々」

 声こそ荒らげてはいないものの、貴之は頑なまでにノーコメントを貫こうとしているようだった。さっきまで機嫌よく話に応じていたのが嘘みたいだ。美緒はやや投げやりに、

「つまり、中身は言えないけど、とにかく不愉快な出来事があったって話なんですね?」

「……いや、そうじゃない」

 ちょっとだけ思い直したように、言葉を選び選び貴之は答えた。

「悪い思い出だったってわけじゃないんだけど。……その、なんて言ったらいいか。あれは……言葉じゃ言えない。俺の目から見たまんまを言ってもいいのかなって思うし、みんなほんとはどんな気持ちだったかなんてお互い話したこともないし、そのくせ関係者は多いし、とても説明なんて」

「でも、聴いたら雰囲気は分かるっすよ」

 不意に晶馬が横から口を出した。貴之はムッとした顔で、

「あれを聴いたのか?」

「あ、ごめん。私が音源貸しちゃった」

 罪のない顔で三砂がぺろっと舌を出す。

 以前、貴之から聴くなと言われていた、去年のコンクール本番の録音。芽衣ちゃんも聴いて興奮してたけど、塔野まで聴いたってのは……ちょっと許せないような。

「なんだかんだで一年生、みんな聴いてるみたいだし。もういいんじゃない?」

「……あんまり聴いてほしくないんだけど。って言うか、あれ聴いただけで分かった気になられるのも、なんか」

「でもほんと、すげー演奏だったっす。俺、マジでトリハダっての初めて経験したっす」

 どうも美緒を隅に置いた形で盛り上がってるみたいだ。またこのパターンかと思う。つい不機嫌丸出しで会話に絡んでしまった。

「なんだか私ひとり除け者になってるんですけど。みんな聴いてるんなら、私も聴きた――」

「お前はダメだ!」

 すごい形相で貴之が振り向いて、美緒はいっぺんに固まった。ショックで今にも大泣きしそうな美緒の顔を見て、あ、と貴之が焦りまくった表情で、

「ご、ごめんっ、悪かったっ、怒鳴るつもりはなかったんだけど……おい、泣くなよ?」

「泣かない……けど……」

 そう返しておきながら、声の調子は決壊寸前である。美緒だって、こんなところで泣いたら女がすたる、とは思ってるんだけど、不意打ちみたいな強い拒否っていうのは、やっぱり傷つく。美緒的には泣きたいと言うより、泣かされてるという気分だ。これってもう私の責任じゃないよね?

「けど……やっぱり……」

「あ、こら、加津佐、それはズルいぞ! くそっ、なんでこう女子ってのは」

「先輩、それは男女差別です」

「知ってるけど! こういう時に泣かせた方が一方的に責められるってのはよ〜」

「あ、それ俺も同感っす」

「まあ、それは泣いた女の子が勝ちっていうルールがあるから」

「おかしーだろ、そういうルール! てか、それこそ男女差別じゃ」

「あのっ、ですから、ですね!」

 また埒が明かなくなりそうなので、今回の美緒はがんばって自力で復活した。ハンカチで目のふちを押さえながら、話の続きに持っていく。

「私としては、本番とは別に、ただこの吹部で何があったのかってあらすじの要点だけでも知りたいんですけどっ」

「……なんでそんなことを」

「なんか、聞いてたらそこに全部つながってるんですよ! 教えてもらわなきゃ始まらないって感じなんです! 一年生からすると、なんの説明聞いてもみんな中途半端で納得できないっていうかっ」

 貴之と三砂が顔を見合わせた。ややあって、三砂がちょっと嬉しそうな顔で、

「じゃあ、私の短編、読む?」

「……なんで三砂先輩の小説が」

「認めたくはないんだが、いちばんまとまった説明にはなってると思う。一応」

 視線を窓の彼方に置いたままで貴之が言う。

「文章にしてみると、ほんとにしょうもない話だったってのが、読んでてアレなんだが」

「なんで唐津先輩まで読んでるんです?」

「いや、確認しとかないと、何書かれてるか分かったもんじゃないし」

 そりゃそうか。

「そんな心配しなくても、私のはどの作品も全部仮名にしてますから〜。万一バレても訴えられない程度に、話、ちゃんと薄めてますし〜」

 手をパタパタさせながら、三砂が笑う。いつ聞いてもろくでもない趣味としか見えないんだけど、こういう時に限って言えば、便利な人……なのかな?

「じゃあ、この際だからスマホで読んじゃう? 十分あったら読めると思うけど」

「はあ、じゃあ」

 そう手を差し出したちょうどその時、がらっと教室の扉が開いて、ホルンの鳴野先輩が顔を出した。

「これから合奏だってよ」

「え? 今日は最後までパート練習だったんじゃ」

「うーん、そこは先生の気分で」

「マジかよ。今日って全然練習になってなかったんだけどな」

 言いながらも、急いで移動の準備にかかる。自分たちが抜けたままで合奏を始められるのは、誰だって嫌なものだ。

 手早く楽器をケースに入れて、使っていた教室の戸締まりの確認をしていた三砂が、不意にスマホを取り出して美緒に顔を向けた。

「お待ちかねの連絡だよ」

「え、何の話ですか?」

 見せてもらった画面を一瞥して、うっと美緒は絶句した。深江亜実からのメッセージだ。たったの一行だったけれど、それは多分、しばらくは続くであろう厄介ごとの、始まりになるはずの一行だった。

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