第21話 そして今度は…ラブ?



「「「歌!?」」」

 十何人かの声が一斉に重なった。指揮台の上で、曽田雪乃が小さく頷いた。間近いクラリネットの席から、一人が猛然と言い立てる。

「何ですか、それっ。金管の独断先行を断罪するって、リーダー会議やってたんじゃないんですか!?」

 金曜日、緊急ミーティングの席上のことだ。一時間枠の個人練習を全部全体会議に振り替えるのは反対意見も多かったけれど、これからテスト期間で部活禁止になってしまうことを考えると、この日しかない、ということで、臨時の全体集会が開かれていた。

 今は始まってまだ一分目。例によって端嶋先生は会議で不在なもんだから、部員たちの反応も遠慮がない。鉄砲玉のような後輩の抗議に淡く苦笑を浮かべつつ、雪乃は諭すように返した。

「うん、そうだよね。二年とか三年の、クラのみんなはそういう気持ちだと思う。でも、そうじゃない意見の人達も、同じ部の中にいるわけで」

「今さらそんなことっ」

「まあ聞いて。唐津の……唐津君のあの変な技は、少なくとも私は混乱しか生まないと思った。ただ、うまくハマるとすごくいい合奏が出来ることも事実。だから、金管はこのまま続けようって言って、木管の多くは反対して、それが一年ぐらい尾を引いて。……でもね、そもそもアレって何? 私達、ずっと『アレ』とか『あのスキル』とか言ってるんだけど、ちゃんとした言い方、知ってる人、いる? 理論的に説明できる人、いる?」

 返す声はなかった。しょせんは中学生の吹奏楽部、難しい話のできる部員達ではない。

「唐津自身、自分でやってることが説明できないし、ネットで色々調べた人もいるけど、よく分からなかったのよね。……けど、一昨日おとといの会議で急にアレの中身が分かった感じなの。まず聞いてほしい。その後で、議論が必要なら議論してほしい」

 それからすぐ近くのアルサクに、「じゃ、砥宮さん、あとお願い」とだけ言って、すぐ自分の席に引っ込んだ。

 雪乃と入れ替わって慶奈が前に立ち、手慣れた態度で全体を見回した。そのままメモも見ることなく、一気に核心へ切り込んでいく。

「ええっと、結論からスパッと言いますけれど。この前の日曜から問題になってる、唐津君のあの技というかスキルと言うか。あれはこの世のどこにも存在しなかった奇跡のスキル、とかそういうもんじゃなくて、単純に言えば声楽の技術の応用です。つまり、ベルカントの歌唱法を訓練すれば、ある程度まで一人ひとりしっかりと身につけることが可能です」

 少しだけ場がざわついた。首を傾げている姿が多いのに気づいた慶奈が、すぐに補足を入れた。

「ベルカントって、要するにオペラなんかの、マイクなしで劇場いっぱいに声を響かせるような、あんな声のことですね――分かる?」

 一応分かったような、という表情の部員が何人か頷く。一年生の大半は、ただぼーっと聞いているだけだったけれど。

「あと、念のため言うと、声楽の本に唐津君の技が全部出てるってわけじゃないです。彼のアレは、やっぱり直感的なものらしくて、未だ説明できない部分があるんですけど、その基本になってる理屈はちゃんと文章になってるってこと。もう、ずっと昔から」

 今度はさっきとは別の方向で音楽室中がざわついた。要約すれば、嘘でしょ、というような声がほとんどだ。

「ほんとにバカバカしい話で、唐津君が歌のレッスンからそういう技を得たことはみんな知っているのに、肝心の歌のレッスンそのものを調べた人はいなかったんです。私もです。金管の人達は特別な呼吸法か何かと誤解してたようで――あと、ちらっと聞いた話では、それで一部の人が、唐津君の肺気胸はこの変な技のせいだ、と誤解を広げてたようなんですが」

 慶奈はさらっと流していたけれど、その一言で明らかに上体がぐらついた部員が数人、いた。美緒は水曜日の会議で、そんな話があったと初めて聞いた。ついムカっときて抗議したい気分になったものの、部員一人ひとりを問い詰めて罵倒するというのも芸のない話だし――「アレ」などといいかげんな呼び方で通してきたぐらいだから、そういう無理解も仕方ないのかな、とも思えた。

「彼の疾患とこの技とは別物です。というか、この技があれば、肺気胸にかかる危険だって低めることができるはずなんです。……で、改めて言いますけど、この技術は『身体共鳴』といって、歌を専門的に勉強している人なら、割と初歩の段階から訓練してること……らしいです。すみません、私も声楽は習ったことがないんで、聞きかじっただけなんですが」

 説明しながら、黒板に「身体共鳴」と大きく書く。さらに、その横に「共鳴」「声楽」「ボイストレーニング」と単語を並べていく。

「この語句で検索かけたら、いくらでも記事が出てきます。ほんと、たかが歌の歌い方に、これだけしっかりした理論があるなんて知らなくて、なんだかすごく遠回りしてしまったようで――」

「じゃあ、なんで砥宮さんはそのことが急に分かったの?」

 クラリネットの後ろの席から、三年生の誰かが聞いた。一瞬セリフを止めた慶奈は、ちょっとだけニコッとすると、すぐ眼の前の部員を改めて紹介するように、

「私ではなくて、このことに気づいたのは渕野さんです」

 そう言って、桐香に場所を譲り、自分の席へ戻ってしまった。すべて、シナリオ通りである。

 いちばんのお手柄、みたいな扱いで前に立った桐香を、木管のサポーター達が熱烈な拍手で迎えた。突然呼び出されてちょっと照れたようにはにかみ――というのも全部演技だったりする――校長先生の不細工な訓示のように、えー、とか、あー、とか余計な合いの手を入れながら、桐香が説明した。自分は小学生時代にフルート教室に通っていて、上級生のレッスンに居合わせることも時々あって、「共鳴」という言葉を聞いた、ということ。その時の説明で、先生が「歌と同じような体の使い方をする」などの話をしていたこと。リーダー会議の席上で、唐津先輩の「技」が声楽と関連してるものかも知れない、と聞いて、記憶が甦って、話が一挙に進んだこと。

 全部、嘘である。まあ桐香が過去にフルートを習ってたのは事実だし、会議の席上で少なからず議論をリードしたのも確かだから、嘘、とまではいかないにしても、九割方は創作である。

 実際は、リーダー会議の席上で、みんなして「歌」の一言からスマホで検索を繰り返し、とうとう「共鳴」というキーワードを探し当て、今まで自分達がやってきたことととても重なった内容であることに愕然とし、唐津コノヤロウなんでこんなことが分からなかったんだっと袋叩きにし、いやでも母親の生徒何人かに俺の技を試してみたんだけど大して効果なくて、という本人の釈明を聞いて考え込み、でもとにかくこれなら系統だった訓練もできるよね、部員みんなで一緒にレベル上げられるよね、と総意を確認し――

 そこから押し問答になってしまったのだ。

 これからどんな練習を考えるおつもりですの、と菖蒲沢ノノが誰にともなく訊いて。

 まあとりあえずは、こういう「共鳴」とかをちゃんと教えてくれる先生を呼ぶべきでは、とトロンボーンの白木部浩太が答えて。

 そんな先生、どこから呼んでくるのよ、と三福小夜理が口をとがらせて。

 それはもちろん――と宝寺丸法子が爆弾を投下した。


   唐津さんはお母さんから習ったようなもんなんしょ?

   じゃあ、呼んできてよ、お母さん。


 美緒は賛成した。少なくないメンバーが賛意を表明した。が、実はその一言は、かなり微妙な問題を含んでいた。

 唐津貴之という、妙なスキルを持った生徒から始まった、樫宮中吹奏楽部のゴタゴタ。

 それを、貴之の母親が講師として部に招かれることで、めでたしめでたしとなる。

 これって、ヤラセなんじゃないですか? そうツッコんでくる者が出ないとも限らない。部の中にも、部の外にも。たとえ唐津先輩の母親が、タダで講習を請け負ったとしても。

 正直、美緒には理解できない話だった。なんでそういうことになるの? 同じく首を傾げた先輩も一人二人じゃない。

 けれども、貴之と、悠介、桐香、ノノ達、つまり「妙に世慣れていてクセのある三年生達」、それから端嶋先生は、慎重な姿勢を崩さなかった。

 なんてったって、部員が何て言うかわからねえ、と悠介が顔をしかめた。

 部員って? 美緒が尋ねる。

 口うるさいおばはんみたいなのが色々といるんだよ、クラとかフルートとか。

(セクハラ発言だ〜〜〜、と女子の一部が目くじらを立てた)

 そうだね、歌の専門家から体の使い方を学びたいと、部全員で希望するような空気になれたらベストなんだけどね、と端嶋先生が言った。

 そら難しいですよ、今日のこの会議だって、金管と木管がついに決着つけるっとか、あいつら期待してるみたいだし、と光一が嘆いた。

 正直、このわしも跳ねっ返りどもにはマジで手を焼いとるんじゃ、と桐香がおどけた風で弱音を漏らす。

 だったら、と。

 何の考えもなく、ただ、ここ数日の意趣返しぐらいの軽い気持ちで、美緒は言った。

「だったら、シナリオ書いたらいいんじゃないですか? みんなが『歌の先生呼びたいっ』て言いたくなる空気作れるような」


「……そういうことやから、これはもう唐津一人のヘンな技っちゅう話やない。ちょっとレベル高めの歌の先生やったら、みんなそれなりに教えられる、秘密でも何でもない演奏技術……らしい。もちろん教えてもろうても、うまく消化できるモンとできへんモンとに分かれるやろうとは思う。でも、今までみたいなバクチっぽい話よりかはだいぶん筋の通った練習法が作れるかもしれんし、この際、そういうのをうちの吹部の新しい伝統にしてしもたら、ええやんかと思う」

「すばらしいですわっ!」

 感極まったような素っ頓狂な声がフルートの席から上がった。二年生のノノの一番弟子みたいな女子部員が、顔の前で拝むように手を合わせながら、ほとんど泣き出さんばかりに目をうるませている。

「金管どもの怪しげなオカルトネタから、こんな素敵な未来図を引き出されるなんて! さすがはワタクシ達の桐香先輩でいらっしゃいます!」

 どうも認識がゆがんでいるようだけど、ここもシナリオ通りなんでスルーしてやることにする。実際、想像外の前向きな話に顔を輝かせている木管メンバーは、一人二人じゃなかった。

「では、今後の練習は、桐香様が陣頭にお立ちになるということで?」

「いや、これはそんな甘い話やない。中学生がちょこっとネットで調べただけで、簡単にカリキュラム作れるもんやないで」

「……では、どのように?」

 リーダーグループの陰謀など微塵も想像していなさそうな、イノセントな問いかけに、桐香はわざとらしくうぉほん、と咳払いを入れた。

「ここはやっぱり、しっかりした歌の先生を呼ぶべきやと思う。ただ、歌のテクと管楽器のテクをうまくくっつけて教えられる人がどんだけいるかは分からん。ある程度こっちの要望も聞いてもらえて、協力してくれそうな先生なんて、どうしても限られてくるやろ?」

 慎重な面持ちでサポーターたちを見回す桐香。部内に反論の雰囲気はない。よしよし、もう少し。

「……で、これは提案やけど。いちばん話が通じやすくて、呼びやすい先生言うたら、やっぱり唐津のお母さんやないやろか。結局唐津を頼るのに、わだかまりが残るモンかておるかもしれんけど、ここはそういう小さいこと言うてもしゃあない。もっと高いところ見んと。聞いたところ、腕は確かな人や。高校の合唱部でも教えとるっちゅうことやし、ちょうどええんやないかと。みんなどう思う?」

 わずかにお互いを窺うような間が空いたけれども、すぐに拍手が起きて、それはほぼ全部員に広がった。金管とパーカスの拍手は事実上のサクラである。木管がどう出るかが勝負だったのだけれど、どうやらリーダーグループは賭けに勝ったようだ。

 木管の棟梁たる桐香サマが、仮想的である金管の提灯持ちになるはずがない。これは公正な立場から提案なさった、異論の余地なき神意見に違いない――桐香が前に立てば、そう彼女らはなびくはずと計算し、事実、そうなったのだ。

 何もかも狙い通り。美緒は一度天を仰いでから、長い長いため息をついた。

 雪乃が再び前に出て、締めの挨拶のような感じで口を開いた。

「みんなありがとう。無理言って緊急ミーティングを開いた甲斐がありました。これから具体的に交渉に入ります。本当にグループレッスンが出来るかどうかはまだ不明だけれど、試験明けには何らかの知らせを回せるようにします。……よかった。これで、ようやく私達、前に――」

 どよめきが起きて、帰る準備をしていた部員達が、一斉に指揮台へ視線を戻した。美緒も雪乃の姿を見て、あっけにとられた。どこかつっけんどんで、義務感のみ百パーセントの味気ないリーダーと思っていた曽田部長が、なんと、滂沱の涙を流しているではないですか!

「泣かんでもええじゃろが」

「まあったく、急に昔のメソメソダに戻りやがったのです」

 囲んでいる三年生達は、事情を察している様子だけれども、少なからぬ部員は顔を見合わせている。すぐ目の前で浪瀬三砂が同情っぽい視線で雪乃を眺めていたので、美緒は尋ねた。

「どうしたんです?」

「うーんとね……まあ、色々積もるものがあったんじゃないかなあ。あ、読みたい? 学園恋愛もので、だいたい事実そのままのストーリーが――」

「あ、いえ、先輩の小説はちょっと……は、恋愛もの?」

「うん」

「それって誰の――」

 そう美緒が訊きかけたタイミングで、男子部員が一人、そっと雪乃のそばへ近寄っていくのが見えた。

「去年を思い出してるのか?」

「別に、アンタのことで泣いてるわけじゃ――」

 思わず、美緒も三砂も二人のやり取りに釘付けになる。

「俺達が別れたのと、これとは、関係なかった。そうだろ?」

「そ、そうだけど……なんだか、思い出したら……」

 ギャラリー達もしんとして突然なセピアカラーのワンシーンに見入っている。

「とにかく、ようやくこれで、お互い前へ踏み出せる。違うか?」

「違わない……でも、私、ホントは今でも……」

 そう言って顔を上げた雪乃が、一瞬で凍りついた。彼女の目の前にいたのは、貴之の声帯模写をやっていた鳴野光一だったからだ。

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」

 とんでもない騒ぎに発展しつつある黒板の前から目を離して、美緒は三砂に訊いた。

「唐津先輩って……その」

「うん、そう。二、三年生の半分ぐらいは知ってたかな」

 鬼になった雪乃と、食われそうになっている光一と、さすがに看過できずに乱入しそうな気配の貴之と、仲裁に入る小夜理と、囃し立てるツートップと、高みの見物の悠介達。ちょっといい雰囲気になった吹部が、まるっきりいつものパカっぽい部へ戻ってしまった感じである。

「つまり……別れたんですか?」

「一応ね。でも、あの様子だともう一幕ありそうねえ。……あ、美緒ちゃんも参加する?」

「いえ……」

 短く答えたけれども、実際のところ、美緒はただ混乱していた。そういう艶めいた話はこの部にはないような気がしていたのだけれど……なんとなく馴染んだつもりになっていた吹部でも、まだまだ色んな話が出てくるものだなあと、かすかにめまいがしそうな気分だった。

 もちろん、その時の美緒は、近々その種の揉め事に、自身がどっぷりと漬かることになるなんて、微塵も思ってなかったのだけれど。

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