第19話 会議と睡魔と跳ねるチューバ。
水曜日。樫宮中学校吹奏楽部のパートリーダーと中心メンバーが、音楽室に勢揃いした。
「なんかやたらと多い……」
一同を見回して、曽田部長が眉をひそめた。
「どうも金管が多いような。……チューバが二人なのは、仕方ないとして」
雪乃が悠介に目を留めた。
「なんでアンタがいるの?」
「俺は副部長だっ」
「……ああ、そうだっけね」
「曽田っ、お前、絶対分かってて言ってるよな!?」
とりあえず、みんな薄く笑ってる。美緒も笑いながら、ちょっと首を傾げた。トランペットのパートリーダーは深江亜実、二年生だ。なんで二年がリーダーなのか、三年の悠介が副部長になったからかな、と先日納得した気になったのだけれど、実のところ、ペットにはまだ三年生がいる。ここの基準はどうなってるんだろうと、今さらながら気になってしまう。
「で、ホルンが二人っていうのは?」
「私はこのバカの付き添い」
「出てけっつーても出ていかないだろうから、もういいけど……傍聴人ってことになるんで、投票権はないよ」
「分かってる」
なんだか難しい言葉を言い合っている二人を見ながら、ホルンパートも未だによくわからないなー、などと美緒は思った。鳴野先輩と三福先輩って、いったいどういう関係なんだろう?
「それから、サックスが二人っていうのは?」
「ああ。パートリーダー変更するんで、その引き継ぎ期間ってとこかな」
そう説明する
「聞いてないんだけど」
「だから、今日届け出ってことで。いいじゃねーか。堅いこと言うなって」
やたら空気が明るくなったサックスパートを、ちょっと眩しそうに見る雪乃。最悪なパート内人間関係のために新一年生から見限られたほどだったのに、ほんの数日で見違えるようになった。誰もが目を瞠っている部内のミラクルだけれども、理由は明々白々なので、あんまり話題には上らない。
――そりゃ三人一緒になって一時間以上笑い転げてたら、もうケンカなんてできないよねー。
これは「笑い話」なのか「ええ話」なのか、正直なところ、みんな見極めかねているといったところだ。美緒自身は「バカ話」だと思っているけれど、その根源が自分なので、できればこのままみんな忘れてほしい、とちょっと複雑な気分である。
「金管さんはよろしいですのう。パートも多いことやし」
「パートリーダー会議にも比例代表制を導入すべし、なのです」
訳のわからないことをぼやいている桐香とノノに、涼しげな顔で悠介が言った。
「なんだ、フルートはまた来なかったのか? ピッコロと別パートでいいって前から言ってるのによ」
ノノがじろっと悠介を見る。それだけで、何も言い返さない。
「それに、クラも三パートに分けりゃいいっつってるだろうがよ。エスクラ、バスクラ合わせりゃ全部で五パートになる。十分金管と張り合えるはずじゃね?」
「……ユースケ、ほんっとに人が悪いよねっ」
急に桐香が素の声で悪態をついた。憎々しげに睨むその先で、悠介が少しだけニタッと意地悪い笑みを浮かべる。これはどういうやりとりなのかな、と美緒が考え込んでいると、がらっと音楽室の扉が開いた。
「すまんね。少し遅れた」
「時間がない。早速始めようか」
先生が最初から仕切ると、話運びは信じられないほどスピーディーだった。問題になっていることの大まかな説明――これは別に新しい内容はなかった――をこなして、参加者一人ひとりから意見を聞いて回る。それから討議に移って多数決に持ち込めば、さっさと話は終わる流れだったのだろうけど、美緒が微かに感じていたように、議論はごく最初の方で無視できない食い違いを見せた。
「正直、どうも話が見えないんですよ。先日の唐津君のあれ……をアリとするか、ナシとするか、そういう議題だとさっき聞いたんですけど……その、これってそういう問題なんでしょうか?」
慶奈がそう切り込んでくれて、美緒は初めて自分の違和感が言葉にできた気分だった。
「あたしもそう思う」
「あの、すみません、私も……」
法子に続いて、美緒が小さく手を挙げたのを見て、他のメンバーが、む? とした顔になる。
「砥宮さんと同意見の人、他にいる?」
端嶋先生が一座を見回すと、さらにもう一人、パーカスの伊軒先輩が、招き猫のような手つきで無言の意見表明をした。
「なるほど。これはやはり、去年の中心にいた部員と、そうでない部員とで、思ったよりズレが大きいか……。ええと、では砥宮さんはこの問題をどういう風に見ているわけ?」
「どうと言われましても……アリかナシかで言えば、アリでしょうね。でも、唐津君の……えーと、スキル? で部員全部をただブーストして回るだけっていうのは、何か間違っていると言うか」
「間違っているというのは、何が?」
ハーレム王子が反問した。別段、不機嫌そうではなくて、慎重に意見を聞こうとしてる態度だ。
「だって、そりゃ全体ではレベルが上がるかも知れないけど、経験値がろくにないまま自己主張だけ強くなった部員が激増するわけでしょ? そんなの、音楽になるのかなと」
「うまいこと言うね。去年のコンクール直前がまさにそうだったんだけどね」
深く頷きながら端嶋先生がコメントした。
「本番で突然変異的に奇跡が起きたっていう」
「やっぱりそういう話だったんですね」
「砥宮さんは、去年のうちの演奏を知ってるの? 県が違ってたのに」
「……まあ、評判はそれなりに」
そのまま昔話でも始まるのかな、と思ったのに、すぐに話は元に戻って、けれどもあまりスパッと進んでいく展開もなく、一進一退を続けてる印象だった。
気がついたら、美緒は耐え難いほどの睡魔に見舞われていた。時刻にして午後三時過ぎ。ただイスに座っていたら、確かにうたた寝を始めてしまいそうな時間帯だ。けど実のところ、今日の美緒には眠くなる理由があった。昨晩の睡眠時間が圧倒的に足りなかったのだ。
映画を見ていたからだ。
昨日は美緒にとってあまりおもしろくない一日だった。短い自主練習の中で、無理を言って貴之に例のアレをやってみてほしいと懇願して色々試したのだけれど、本人のかねてからの予言どおり、美緒の音には何の変化も現れなかった。
「いっぺんに結果を出そうとするな。結果につながる、何か一つのことをつかめ」
そう言いながら、貴之自身もかなり色々工夫してくれたし、美緒も本気でそれに応えたつもりだったのに、すべて骨折り損だった。
さらには、美緒の手元には二つの勢力から、水曜日のリーダー会議を巡っての、指示書というか、脅迫文と言うかが届いていて、それにどう対処するかもまた、頭の痛い問題だった。まあ三年生たちは本気で美緒を動かそうとしている感じではなかったけれど、美緒自身、無関係な話ではないし、なんだか色んなところから色んな悩みのタネが押し寄せてきてる気がして、ちょっとぼーっと考える場がほしかった。
先日の経験で、映画を流し見てるとほどよく思考が整理できるのに気づいた。壁に向かって膝を抱えてるよりずっといい。というわけで、昨日もお風呂上がりに父親の横でソファに座り込んで画面を眺めてるふりをした……のだけれど。
父親が選んだ昨日の映画は、少し古いSFだった。見た感じ、スペクタクルな引きも派手なアクションもない。アメリカのあちこちで妙なことが起きていて、それがどうやら宇宙人絡みらしい、とそんな展開だ。
こういう映画は、食い入るように見てなくても筋書きは解る。自然、美緒は自分の考えの中に没入していった。
金管側からの指示は、会議の中で、美緒自身が思いついた口ぶりで、これこれの内容を提案しなさい、というものだった。実は木管側からの指示も、ほとんど同じものだったりする。ただし、もちろん提案の最終的な方向は正反対だった。
そう、最後の結論だけ正反対だった。途中まではほとんど同じことを書いていたのだ。
あの人達って何なんだろう、と美緒は考えた。唐津先輩のやってることって何なんだろう。私はこれから何をしたらいいんだろう。――いや、それは決まってる。いつかトランペットで、マックスみたいな優しくてあったかい音を出すこと。マックスをハグしてるみたいな幸福感の中で、毎日過ごすこと。……でも、そんなことできるんだろうか。そう言えば、ボーンの知夏先輩が「これから毎日マックスと一緒だね」って言ってくれたのに、全然そんな感じがしない。なんでだろ。……いや、それはペットじゃなくてチューバ吹いてるからで……あれ? でも、あの時もペット吹いてたわけじゃないのに涙が止まらなくて……あれ?
ふと画面を見ると、いつの間にか話は大詰め近くになっているようで、大勢の人達が集まってる中で、おじさんがキーボードを鳴らしていた。ライブコンサートじゃない。上空に浮かんでいる……あれはUFOって言うの? と交信しようとしてるシーンらしい。
ちょっと不思議な、けど単純そうなメロディーが、ピラピラと繰り返される。これは電子オルガン? ずっと古い世代のゲーム音楽ってこんな音だったらしい、そんなことを思い起こすようなレトロっぽい音。
(いったい何が面白い映画なんだろ?)
考えもまとまらないし、そろそろ寝ようかな、と思った、その時だった。
ピラピラ繰り返していたメロディーの後半が、出し抜けにぶっとい低音に入れ替わった。鳥のさえずりのようなキーボードに、クジラの咆哮が応えたようだ。目をまんまるにして美緒は叫んだ。
「チューバだっ!」
驚いたことは、父親が平然と返事をしたことだった。
「うん、チューバだな」
「! 知ってるの、チューバっ!?」
「映画のことなら、音楽だって知っとるさ。しかも、この映画だし」
シーンは、単純だったメロディーがリズミカルなパターンに移り変わって、キーボードの音の回りでチューバが飛び跳ねてるような、そんな音楽になっている。
「このチューバは、ロンドンシンフォニーの、えーと何てったか、すごいチューバ吹きがいて、ジョン・ウィリアムズがそれに惚れ込んでこんな音にしたって話だ」
「ああ……」
ジョン・ウィリアムズだったんだ。さすがに美緒でもその名前は知っている。トランペット鼓隊でも吹いた。あれは……「インディージョーンズ」だったっけ。
「この映画は『スターウォーズ』と同じ年だからな。あれとこれとを同時に作曲したってんだから、大したもんだよ」
「うん……」
たまたまリビングを通りかかった姉と、パート帰りの母親が、美緒と父親が普通に会話しているのを見て唖然とした顔を見合わせてたようだったけど、すでに美緒は映画に夢中だった。いや、画面はどうでもよかった。ただ音楽だけを、タイトルロールが終わるまでずっと聴き続けていた。チューバのソロはもう出てこなかったけれど、低音からずっしり積み重なっているオケの響きは、美緒の心を捕らえて離さなかった。「未知との遭遇」というタイトルは、終わり間際になってやっと分かった。これは一生覚えておかなきゃ、と思って、「遭遇」なんて七面倒な漢字もその場で即頭に叩き込んだほどだ。
という、美緒的にはすごい体験をしたのが昨日の夜。当然、映画の後もすぐには寝付けなかった。
十時から六時までの八時間睡眠が、美緒には必須なんである。なのに、記憶によると昨日は日が変わるまで目を開けていた気がする。
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