第18話 陰謀好きな先輩ばかりって…。
「その気持ちは、変わりそうにない?」
生真面目な顔で先生が訊いた。気後れしそうになるのを、ぐっとおなかに力を込めて、美緒は言い切った。
「変わりません」
「そうか」
貴之が何か言いたそうにしているのをあえて無視して、じっと先生の返事を待つ。了承の言葉は、思いの外早く帰ってきた。
「わかった。ただし、トランペットが受け入れるかどうかが第一の条件になるよ」
「はい、分かってます」
「うん、じゃあ、深江さんの承認が取れれば、チューバはコンクールの終了までということで。それまでは、パートリーダー代理の仕事も含めて、しっかり務め上げてほしい」
まあそうなるよね、という予想通りだったので、美緒はただ頷いた。ところが。
「つまり、加津佐さんの次に誰をチューバに呼ぶのか、その段取りもやっといてってことなんで、よろしく」
「はっ!? そ、そういうのは、先生が適当に――」
「うん、どうしようもなくなったらそうするしかないんだけど、それだと後々揉めるからね。最悪、強引に君を引き戻すことになりかねないし」
「えーっ? いやでも、な、なんで私がそこまでやらないと――」
「君の仕事だから。そこに書いてある」
先生が指さしたプリントは、「パートリーダーのお仕事!」などとポップな字でタイトルが載っていた小冊子の一ページで、そこには「パートメンバーの確保に関すること」という項目があった。本来は、主に新入生の中の誰がほしい、または何人ほしい、などの駆け引きに関する仕事のはずだけれども、年度途中で入れ替えがあった時に、一、二年生の誰をスカウトするか、というようなことを考えるのも仕事のうちだとか。
「どーしてこんなに細かく仕事が決まってるんですか!」
つい癇癪を起こしてしまう。端嶋先生の返事はいつも通りだった。
「そりゃ、この部は君たちのものだからさ。何があってもスムーズに動くように、先輩達が考えてこうなったんだ。……ま、一人で何もかもやれとは言わない。唐津君も、なんなら曽田さんなんかにも声かけて、知恵出してもらって。あ、ちょっと時間なくなったな。じゃあこの後は、今度こそ唐津君、頼んだよ。よく教えてやって」
「うっす」
ぺらぺらと喋るだけ喋ってから、先生は別の用件があるのか、さっさと楽器庫を出ていってしまった。
暗然として、手元のプリントを見直す。パートリーダーのお仕事、とは――
1 パートリーダー会議への出席
2 パートメンバーへの演奏指導
3 プレゼンテーションを持ち回りで担当すること
4 練習中の曲について、演奏や音楽についての情報集め・研究
5 ……
「だぁ〜〜〜っ!」
ついプリントを放り投げようとして、即座に止められた。肘から先をがっしりつかんだ貴之をひと睨みして、美緒はとりあえず手の力を抜く。
「こんな難しいこと、私できません!」
本音である。でも、貴之は受け流すように浅く頷いて、
「最初はみんなそう言うんだよ。……俺もそうだった」
ちょっとしみじみした声で言った。それからふと何かを思いついたように、美緒の手の中の冊子をパラパラとめくって、最後近くのページを開けた。
「とりあえず、ここからでいいから始めてみろ」
指さしたそこには、こんな行があった。
6−3 とにかく音楽をたくさん聴くこと!
自然、眉間にちょっとしわが寄る。聴けと言われても。古いラジカセしかない身の上で何をしろと。
つい憎まれ口を叩こうとした美緒の眼の前に、すっと何かのコピーが差し出された。
「……なんですか、これ?」
「読んでみろ」
見ると、音楽準備室備え付けのノートパソコンから、ネット検索を利用するルールと、音楽データを鑑賞する手順なんかが書いてある。でも、どうも一般の生徒向けに作ったプリントじゃなさそうだ。むしろ、先生向けの案内文?
「え、これって……」
「パートリーダーになったんだから、色々調べごとが必要だろ? なら、音楽室の中でそういうことができるようにするべきだって、先生が許可取ってくれたんだって。ま、リーダーの特権だと思えよ」
嘘でしょ。美緒は絶句して、手元の紙切れを見た。いかにも七面倒な言葉ばかりが並んでいるのに、なんだかすごい免許とか許可証をゲットした気分。こういうの、何て言ったっけ? サクラフブキ? アオイのモンドコロ?
「わかってると思うけど、ほどほどにな。練習サボって延々と聴いてたりとかはダメだ。一日一回、長くて十五分か二十分程度と思って」
「う、うん。……でも、何を聴いたら」
「そこで調べたらいい」
貴之が指さした楽器庫の一角に、結構な量の古本らしい雑誌とかムックとかが並んでいる。ここは事実上の部室みたいなもんなので、過去の先輩達などが色々と資料を置いていってくれたようだ。おすすめ名曲集みたいなののタイトルも見える。
思いもかけなかった夢のような展開が次から次へと。ずっと貧乏で、これからも貧乏間違いなしな私に、なんという贅沢な。
「パートリーダーってのも、悪くないだろ?」
こずるい顔でニヤッとされて、普通だったらすぐさま機嫌を悪くしてたはずだったけど、その時の美緒は素直にこっくり頷いた。ゲンキンと言われようと、今日は記念日に残すべき幸運な一日だ。
「ただ、一つだけ。準備室のパソコンには、うちの過去のコンクール演奏なんかも全部入ってるんだけど――」
そこで貴之は美緒の目をまともに見た。顔がやたらとマジだった。
「去年の県大会の録音だけは聴くな」
「え、どうして……」
「とにかく聴くな。少なくともコンクールが終わるまで。分かったな?」
マジを通り越して、半分脅迫するような視線の強さだった。根掘り葉掘り聞けるような空気じゃなかった。
「分かりました……」
いっとき浮ついた気持ちになっていたのが、すっかり地べたまで引き戻された気分である。これ以上埋没するのは嫌だな、と思ったので、まだいい感触の名残があるうちに、ちょっとだけ練習へ行こうか、とチューバのケースに手を伸ばす。
その途端、廊下からどやどやと何人分かの不穏な足音が。
「おお、いたいた。まだ青春の続きやってるのか?」
顔をのぞかせて無遠慮に尋ねたのは、ペットの滝野悠介。即座に美緒がピシャリと言い返す。
「やってません! そういう話じゃないんで! 何しに来たんですかっ!?」
「何しに来た、はないだろう。恐れ多くも副部長様に向かって」
「え?」
「え?」
美緒は貴之を振り返った。
「この部に副部長なんていたんですか?」
どっと笑いが弾けた。大笑いしていたのは、主に悠介の後ろの光一や小夜理だったけど。
貴之も面白そうに口の端を上げて、美緒にではなく、悠介に言った。
「お前、日頃悪巧みしかしてないからだろ。少しは曽田のサポートでもしてりゃ、一年生の目も変わるだろうによ」
「それは本来お前の仕事じゃねえか」
ちょっとむくれた顔で悠介が返す。また妙なことを言ってる。何の話、と美緒が訊きかけるも、即座に遮るように貴之が片手を挙げた。
「で?」
貴之が話の先を促すなんて珍しいことだ。やはりツッコんでほしくないことだったのか。
悠介は少しだけ間を置いてから、再び美緒の顔を見て、
「なんでも、昨日の件で唐津にわざわざ頭下げてたって聞いたんだけど、加津佐」
「はい?」
「俺達には謝ってくれねえのか?」
んん? と思わず悠介の顔を見る。別に怒ってる風ではない。なんでそんなことを、と思うものの、迷惑かけたと言うなら、貴之だけじゃなく、あの場の全員に対して謝るべきなのは確かだ。
(いやでも、なんでこんなに楽しそうな顔してるの、この人っ?)
「とりあえず頭下げとけ。形だけ」
貴之が横から小さく口出しする。先輩がそう言うなら、という気持ちにもなったので、ひとまずそうすることにした。
「昨日はお騒がせして、すみませんでした」
上半身を二十度ぐらい傾けて、すぐに戻す。貴之の時とは全然違うそっけないぐらいの態度だったのに、悠介は咎める風もなく、いきなり宣告するように、
「よし、ならば、罪の意識に悩む加津佐へ、汚名挽回のチャンスを与えよう」
「はぁ? いえ、別に悩んでなんか――」
「この台本を水曜日までに覚えてきたまえっ」
ものすごく強引に二枚ほどの紙が突き出される。何のシナリオなのか、そこにはかなり細かい文字でセリフがぎっしり書き込んであった。
「え? 何ですか、これ」
「水曜日、パートリーダー会議だろ? もちろん加津佐も出席するよな?」
瞬間、落雷を浴びたように、美緒はすべてを悟った。日曜日の決着をつけることになっている明後日の会議。話の方向性なんか、未だに美緒にはわからないままだけれど、多分また金管vs木管みたいな構図になるのは予想がつく。
つまり、そこで金管側の手駒の一つとして、何か芝居を打て、ということなのだろう。
すばやく横の貴之へと視線を移す。美緒の頼るべき先輩は、突然楽器庫の棚のゆがみが気になったぞ、という風情で、さして傾いてもいない横板の角度を仔細にチェックしていた。
「………………」
疑念の塊のような目で悠介達を見る。部の先行きとしてどうあるべきなのかはともかく、なんでこうも陰謀めいたことばかり好きなのか、この人達はっ。
「ええと、そう怖い顔しなくても……これは美緒ちゃんにとっても、悪い話じゃないはずで……」
背後から湧き出ているどす黒いオーラを察したのだろう、悠介の後ろに控えていたハーレム王子がとりなすように言った。
「……どういうことですか?」
「つまり、木管の奴らが――」
というセリフのまさに中間で、新たにドカドカと廊下を歩いてくる複数の音がした。嫌な予感がした時は、もうツートップの桐香とノノとその取り巻きが、団体様で現れていた。
「おう、加津佐の、聞いたんやけど、おどれ、唐津にわざわざ詫び入れよるっちゅうことやけど、ワシらにも謝っとこうっちゅう――げ、何や、お前らっ」
たちまち楽器庫の狭いドア越しに、いくつもの火花が散る。第三勢力を取り込もうとして、交渉の現場で鉢合わせしたその筋の方々、というところだろうか。
(まーこうなるよねー)
すっかり悟りの境地に達した美緒は、そのまま出ていくのは無理そうだったので、ずるずるとケースを引き出して、楽器庫の奥でロングトーンをやることにした。色々言い争っている先輩達に配慮して、メゾフォルテ未満の音しか出さなかったのは、美緒なりの誠意のつもりだった。誰もほめてはくれなかったけど。
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