第13話 私、つき添いじゃないんだけど。

 ほうっと小さく息を吐いて、曽田部長が話を元に戻した。

「まあそういうわけで、本来なら加津佐さんの相談なんて、笑い死ぬような話じゃなかったってことで」

「あの、ここに一人死にかけてるのがいるんだけど」

 ペットの深江亜実が、片手を挙げて報告した。ん? とみんながそちらを見る。困ったように足元を見ているペットパートの視線の先で、一人、ほんとにイモムシみたいに、声も立てず床の上でぐねぐねと悶絶している女の子がいた。どうも、さっきの美緒の一言から、ずっと笑い転げていたようだ。

 ひと目見て、美緒は脱力した。

(芽衣っちゃぁぁあああああああ〜んっ!)

「吸血鬼」ギャグに激しく反応していたのは、川棚芽衣だった。

「どうしたらいいかな、これ?」

 亜実の問いに、ちょっとだけ眉をひそめた部長が、うん、と頷いて言った。

「深江さん……いえ、トランペットパートが納得して、本人が了承するなら、サックスに移籍するってのはどう?」

「え、そういうことを訊いてるんじゃないんだけど」

「それってレギュラーでってことですか!?」

 がばっと跳ね起きて芽衣が叫んだ。目をキラキラさせて、もちろん笑いは消えている。

「あ、治った」

「うん、レギュラー入りで。ええと、川棚さん? は、補欠争いのトップだったよね? テナーサックスなんか、一日で吹きこなせるでしょ?」

「行きます! サックス吹きます、私!」

「おいおいこらこら、あたしらの意見は聞かねえままかよ」

 当然のごとく、宝寺丸法子が黙っていない。すでにいつものヤンキー調を取り戻して、ふんぞり返った姿勢でバンドミストレスをねめつける。

「テナーなめんな! ってか、うちのカワイイ一年差し置いて、レギュラー入りたぁどういうことよ?」

「そのカワイイ一年生が、ついさっき、パート替えしてほしいって私に泣きついてきたんだけど」

「え……」

 完全に予想外の事態だったようだ。一瞬目がうつろになった法子は、ショックを隠そうともせず、取り乱した声そのままで訊き返した。

「な、なんでっ!? ああ、あたしら、ちゃんと、面倒見て」

「あたしら、なんて一人称複数形が使えると思ってんの、サックスパートは」

 手先で、まあまあ落ち着け、とジェスチャーしながら、それでも口先では厳しいツッコミを入れる雪乃だった。

「だいたい、ミーティングの頭からテナーの席が空いてたのに気づかないなんて」

「え、いや、いないなとは思ってた……けど……」

 笑い転げててそっちに気が回らなかった、とは言いづらい。

「それに、『面倒見て』って言うけど、なんだかいっぱい怒られてばかりだって」

「怒ってない! あたし、怒ったことなんて一度もない!」

「あんたの声がバカでかいからでしょ。だから、もっと静かに話せって言ったのに」

 冷静に指摘したのは慶奈だった。

「でもっ、あたし、ほんとにちゃんと色々教えたし、話もいっぱい」

「うん、それは私たちも分かってる。そこは認めるから。でも、向こうが怒られてるって感じたんならね」

 法子の腕に触れながら、諭すように慶奈が重ねる。一分前までツッパリそのものだった法子は、泣きそうに顔を歪めている。

 仕方ないなあ、と思って、できるだけさりげなく、美緒が声をかけた。

「勇ちゃんはウサギなんです」

 みんなが美緒を見た。無理やり話を進めようと口を開きかけていた曽田部長も、やたら口数が多くなって姉妹みたいにくっついてる慶奈と法子も、いいかげんダレて雑談を始めようとしていた部員達も。

 バグった異世界人を見るような目で。

 言葉が足りなかったのに気づいて、美緒が慌てて補足した。

「久里尾さんは、ウサギ並みにデリケートなんです。扱いは慎重にしないと。えっと……エサを食べなくなって三日過ぎたウサギだと思って」

「死んじゃうよっ! なにそのヤバすぎるたとえっ」

「あーそういうメンタルじゃ……サックスは厳しいよね」

「うちのパートでも無理だと思う」

 口々に言い合う部員達の向こう側で、法子が少しだけ気を取り直したように身を起こす。部長も合点がいったようにちょっと息を吐いて、でもすぐにあれ?という顔で、

「そういえば、その久里尾さんはどこ? そのへんにいてって、私、言ったんだけど」

 パーカスの背後の窓際あたりを指して、首を傾げた。いささか諦めたような気分で、美緒が答えた。

「ここです」

「え、ここって?」

「私の後ろです」

 美緒を盾にするような感じで、その久里尾勇希が背中にくっついて縮こまっていた。まさに、強度のストレスにさらされたウサギそのままの姿。

 えーっ?という口の形で、雪乃が勇希を見た。他の部員達も、何とコメントしていいかわからない雰囲気だ。

 背中越しに小さな声で勇希が何事か囁いた。無視することも出来なくて、美緒はリクエストそのままに友達の中継役を務めてやることにする。

「ええと、勇ちゃんから伝言です。宝寺丸先輩に」

「え……あたしに?」

「はい、その……先輩がよくしてくれたことは分かってるし、ありがたかったんですけど……自分はどうしても大きな声が苦手で」

 眼の前にいるんだから直接話せばいいのに、と思ったのは美緒だけじゃなかったはずだけど、とにかくなりゆきなんだから仕方ない。あるいはこれは、さっきの吸血鬼ジョークの罰ゲームなんだろうか、なんてことまで、ちらっと考える美緒だった。

「なによりも、パートの中の人間関係がずっと険悪なのが、耐えきれなかった……のだそうです。わがまま言ってほんとうにごめんなさい、と」

「うわあ、なんか、いたたまれない」

「一年生にあんなこと言われたら、私、半年ぐらい立ち直れないかも」

 事態を注視していた野次馬たちが、ざわざわと好き勝手にコメントを交換し合う。半分は法子への同情であり、半分はいつかは我が身、という不安だろうか。

 それでも、まあ公開で別れ話をやってるようなもんだから、それ以上話がこじれることはなく、法子達と勇希とは、ひとまず穏便に話がついた形になった。ただ、そうなると次はどこのパートに拾ってもらえばいいのか、という問題がある。雪乃が思案顔で各パートを見回しながら、

「ちょっと困ったな。ピアノやってて音感もリズム感もいい、よくできる一年生って聞いてたんだけど」

「それはその通りだと思います」

「でも、空気悪いところがダメ……パートの中でみんな息がピッタリなとこって言うと……」

 雪乃と、それから少なからぬ部員の目が、一方向へ向けられた。今しも完璧なチームワークを披露したばかりのパートに。

「え、うちっスか?」

 不意のことだったんで、ついメッキが剥がれた声で能田文子が反応する。一瞬迷ってから、美緒はこのまま自分の役目を全うすることにした。

「それいいと思います。勇ちゃんは元々鼓隊でしたから、打楽器は全部いけます。特にシンバルがスゴいんです」

 文子が、いささかむっとした顔で美緒達を見返す。彼女が先ほど担当していたのもシンバルだ。すかさず剥がれたメッキを即席で貼り直して、さっきよりも厚塗りの役者ぶりを披露する。

「ほう。それは、この私、水鳳寺すいおうじ麗華れいかへの挑戦と受け止めて、よろしいのかな?」

「「「お前は能田文子だろーがっっ!」」」

 信じられないことに、三人以上の声によるツッコミが見事にハモった。多分、これまで何回も実施練習を繰り返していたのだろう。ツッコまれた本人も、別に言い返したりはせず、

「よろしい。この私に挑むというのなら――」

 やおら、シンバルを構え、ぱぁぁぁぁぁーんと華やかな一打を披露する。見かけだけはカッコよく、バレエのポーズのように二枚のシンバルを宙へ漂わせ、たっぷり余韻を振りまいてから優雅に脇下で音を止めた。それからそのシンバルを勇希の方へずいっと突き出し、挑みかかる声で言った。

「やってみたまえ」

 美緒の背中でブラウスを軽くつまんでいただけだった勇希が、さらに布地をたぐってぎゅっと握りしめた。このままだと肩が落ちそうだ。みっともない姿にされる前に、何とかしなければならない。

 勇希の代わりにシンバルを受け取って、なおも背中にくっついたままの友達をなだめなだめ、楽器を持たせる。

「大丈夫なのか?」

 文子が疑わしげに口を出す。それはこっちが聞きたい、と思ったけれど、美緒だってもう後には引けない。

「大丈夫です! ほら、勇ちゃん。叩き方、憶えてるよね? うん、そうそう。いいよ、楽にやろう。七十パーの出来で充分だから。勇ちゃんのシンバルだもん」

 ちらっと挑戦者の二年生を見る。自分を見下したような物言いに、今度こそむかっ腹を立てているのが見て取れた。あまり怒らせたくはないけど、仕方ない。こう言ってやらないと、勇希はプレッシャーに負けるのだ。美緒は小学校時代のおだて上手な先生を思い出しながら、勇希の肩に手をやって、仕上げの拍子を取ってやる。

「運動会の時のあれ、出来るでしょ? あの通りやってよ。うん、じゃあ行くよ。さん、し、西小〜〜ふぁいとぉーっ」


   しゅばあああああああぁぁぁぁぁぁぁーん!


 誰もが。

 能田文子はもちろん、曽田部長も、パーカスの他の部員も、美緒の過保護過ぎるリードぶりに失笑しかけていた部員達も。

 口をあんぐり開けて、魔法のような響きをもたらした、くすんだ円盤を見つめた。あれは、今までさんざんパシャパシャとイマイチな音しか出さなかった、うちのシンバル? まさか。でもすり替えたりなんか――

 がたっと音を立てて、ティンパニの席から三年生が立ち上がった。パーカスの真のパートリーダー、伊軒いのき睦海むつみ。ずっと黙ったままだった彼女は、今も何も言わず、でも勇希がいっぺんで気に入ったようなのは明らかだった。勇希の両手を取って、自分の手で包み込んだその表情は、なんだか森の長老が新しいウサギを暖かく迎え入れているようで、微笑ましい。

「ふ、ふん。まあ、いいだろう。そう悪くはないじゃないか。私の代理を任せる程度のことは――」

 思いっきり強がる文子の肩に、今度は部長がそっと手を置いた。

「もういいから、黙って新メンバーを祝福してあげなさいよ」

「……あたしが喋らないと、このパート、全っ然回らないんスよ……」

 ちょっと拗ねたように、素の声でタカラヅカ少女がぼやく。現パートリーダー以上に口数の少なそうな新一年生を眺めて、早くも疲れた顔をしているのが、美緒にはおかしかった。

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