第12話 これまたヘンな人たちが。
「ええっと、今日のミーティングは一年生にも入ってもらって、今後のこととか、レギュラーの仮発表も済ませよう……と思ったんですけど」
指揮台に上がって仰々しく会議を仕切っている曽田雪乃が、ちらりと右側を見た。木管群の向かって右側はサックスパートの席。その一番前ではアルトの慶奈と愛弓が、後ろではバリサクの法子が、ずーっと肩を震わせて息をこらえ、あるいはこらえきれずに品のない声を漏らしては、体を折り曲げて笑いの発作を続けている。
いったい何事が起きているんだろうと、部員達は訝しげな目で遠巻きにするばかり。何しろミーティングの始まる前からこれだ。もう一時間以上笑ってるんだって、などと不審げに囁き交わす声も聞こえる。事情を知らない部員達としては、単に気味が悪い場面にしか見えないだろう。
雪乃の横のゲスト席みたいな位置で待機している美緒は、だんだん不安を感じ始めていた。
――このままこの人達が笑い死んだりしたら、私の責任かなあ。
さすがにこの段階で、美緒は自説をいったん撤回せざるを得なかった。まあ少なくとも、吸血鬼の線はないようだ。それはいいんだけど……私の考えって、そんなにおかしかった?
「その前に、サックスが揃いも揃って今日一日練習にならなかったそうで、注意しに行きました。すると、どうもいろいろ他の問題とも絡んでるみたいだと分かったんで、この際……ちょっと、いつまで笑ってんのっ、ちゃんと話してってば!」
「い、いや、そう言われてもっ……くくくくく」
「好きで、笑ってる、わけじゃ……ひひひひひひひひ、あ、苦し、苦しい〜〜いひひひひひひひ」
端嶋先生の姿はない。学校にはいるはずなんだけど、お客さんが来てるとかで、しばらく生徒だけのミーティングになりそうとのことだ。そのせいもあってか、今日の曽田部長は「やる時はやる」モードになっているようで、昨日の優柔不断な姿勢が別人みたいにピリピリしている。なのに、サックスのメンバーはそれ以上にフヤていて、事情聴取どころでないのは明らかだ。
心底うんざりした顔で、雪乃が美緒に言った。
「仕方ない。加津佐さん、説明してくれるかな?」
途端に、サックスの三人娘が目の色を変えた。
「だっだめっ、それはダメっ」
「そんなことしたら、そんなことしたらぁぁ、あはっ、あはははは」
「やめて、もう、世界が終わるっ、終わっちゃうううううふふふふふふ、ぐふふふはははははっ」
あるいは彼女達の脳裏には、美緒の一言で、部室中がイモムシの飼育箱みたいに、倒れ伏して丸まって蠢く中学生に埋め尽くされる、みたいな光景が広がっていたのかも知れない。そんなシュールなことになったら、まあ少しは面白いかな、などと、美緒は無責任なことを考える。
「アンタ達、今日は息ぴったりね……」
雪乃がふうっとため息をついた。
「ええっと、順番に訊くけど、加津佐さんは今日の二時頃に、砥宮さんのところへ相談事があって訪ねていったと。その相談事っていうのは?」
大真面目な顔で具体的な質問に踏み込んできた雪乃を見上げながら、美緒は三十分ぐらい前の情景を思い出していた。ミーティングが始まるよ、と被服室に知らせに来た雪乃は、サックスパートのまさかの惨状に出くわし、しばし唖然としていたものだった。事情説明が出来たのは美緒だけだったので、仕方なく一から話をやり直してみたところ、件の話に差し掛かったところで、実に三分間近く、この人はその場にしゃがみこみ、声を一切上げずに全身を震わせていたのだ。
笑いたいんなら、大声上げて笑えばいいのに、と、いいかげん投げやりな気分で見ていたら、そこだけはさすがと言うべきか、雪乃は自力で復帰して、その後はずーっと真面目ちゃんな顔のまま美緒の話に向き合い、聞き終えるとしばらく腕組みして何事かを考え込んでいた。
――あの、部長?
やはり吸血鬼説は正しかったのかな、と一抹の希望を胸に問いかけると、でも雪乃はすごく苦り切った顔で、
――美緒ちゃんの相談、よーくわかった。何なら今ここで、どういうことだったのかって説明もできるんだけど……その話、少し待ってくれる?
――え、それっていつまで。
――今日のうちにケリはつける。でも、ごめんね、なんか今厄介事が他にもあって。ここはここでこんなことになってるし。一つ一つ片付けなきゃなんないの。美緒ちゃんの件もなかなか面倒な話だし、順番、最後になっちゃうかもだけど……とにかく整理しながら話したいから、協力してくれる?
そういうわけで、依然真相は不明なままながら、美緒は法廷ドラマの証人みたいな役を務めることになってしまったのだ。
「ええと、いちばん最初の話は、一ヶ月ぐらい前の練習の時のことなんですけど――」
口を開きながら、ちらっと金管の様子を見る。みんな特に困った顔つきをしてるわけではなく、でもどことなく諦めたような表情で、美緒が自分たちのあれやこれやを暴露するのを見守っている。
このままほんとに全部喋っちゃっていいのかなあと思いつつ、もうここまで来たら洗いざらい話すしかないと思う。ふとチューバの席を見ると、美緒が放ったらかしたままだったはずの楽器や譜面台が、ちゃんと元の位置に並べられていた。ますます後ろめたい気になって、でも不思議とこのまま話が動きそうな空気も見えたので、美緒はなるべく分かりやすく、自分の体験を語っていった。
「――というのが、砥宮先輩に相談した中身なんですけど」
「うん、なるほどね。……それはそれで大きな問題だけど、今は置いといて」
部員たちの様子を見渡してみる。不思議そうな顔をしている人もいるけれど、妙に表情を消した感じの先輩が目立った。他の人たちにも知られている秘密か何かがあるってこと? さっさと答えを教えてほしいんだけど、部長から待てと言われてるから、ここは仕方ない。
未だ
「で、加津佐さんはそういう金管の人達の変な動きを見て、あることを考えた。そうだね?」
「はい」
「やめようよっ! それ、マジでやばいっ、ぐふっ」
「曽田っ! バカなこと、やめてって……ひひ、ひひひひひひ」
「ちょっと非現実的でファンタジーな想像だったんだけど、砥宮さんと、あと他のサックスにもその考えを言ってみたんだよね?」
「そうです」
「だからっ、絶対……あは、はははははは」
「ひぃ、地獄がっ地獄が待ってるぅぅぅ、うふふふふふふふふ」
「やかましいっ、こんな小話で地獄の釜の蓋が開くかぁっ! ……で、なんて言ったの?」
その時になって初めて、美緒は自分の話が実はとんでもないバカ話だったのかもと思い始めていた。なんだかあちこちからじっとりした汗がにじんできてるような気がする。胸もドキドキしてる。ああでも。もう今さら、逃げるところなんか、ない……よね?
「あの金管の人達、もしかしたら、その……みんな吸血鬼だったりしないでしょうかって」
何人かがぶふっと吹き出した。口を押さえて笑いをこらえてる人も何人か出た。けどそれだけで、三人娘が期待したような阿鼻叫喚にはならなかった。
途端に。
「! おかしい! なんでみんな笑い転げないのっ!?」
「絶対我慢してるでしょっ!? ねえ、無理しないでちゃんと笑いなよ!」
「いや、そもそも話のスピード感が私達の時と違ってた」
「あ、曽田、てめえ謀ったな! わざと笑いが起きないようにセリフ組んだだろっ!」
真顔で部長の落ち度を糾弾し始める三人娘。その顔にすでに笑いはない。
あ、やっぱりそれなりに笑いものになっちゃうような話だったんだ、と美緒はひそかにどどーんと落ち込んだ。
「世紀のウルトラギャグだったのに! 美緒ちゃんのあの直球ど真ん中な顔が大事な要素だったのにっ!」
「全世界を笑いに巻き込む千載一遇のチャンスがあ〜〜」
「責任取れ、曽田、こらあっ」
何を怒っているんだ、この人達は! と美緒がテンパりそうになった、その瞬間。
それはいきなり轟いた。
ドッカーンと響く激しいバスドラの一撃。続けてスネア、ティンパニ、シンバルがずだだだちゃんちゃんと強烈なパッセージを打ち鳴らす。でたらめのようで、きちんと楽譜はあるらしい。そのまま十二小節ぐらい、ダンスビートの一節みたいなジャジーなリズムが部員達を打ちのめした。
誰もが唖然として音の元を見つめた。パーカッションの部員達は、一糸乱れずと言った感じで、むしろ視線を楽しんでいるようだ。ひとしきり存分に叩いてから、ようやく手を止める。誰かが呆れた口調で訊いた。
「それ……何?」
「ふ、よくぞ訊いてくれたっ」
シンバルを叩いていた二年の
「我らは曽田部長の密命を受けし者! この部屋のノイズが一定のレベルを超えた時! 我らの波動が不心得者の邪心を打ち砕く!」
「……つまり、『うるさい』って言う代わりに、太鼓、打ち鳴らしてるんだ?」
「そのとーりっ」
ちなみにこの二年生はパーカスのパートリーダーではない。本当のパートリーダーは、ティンパニの席でちょっと恥ずかしそうに顔を背けている三年生である。こんなタカラヅカ役者みたいなヒラの部員が打楽器を仕切っているのはなぜなのか、美緒は知らない。金管の先輩達も知らないんじゃないかと思う。パーカッションはひときわ謎の多いパートだそうだ。
なんだか自分以上にバカっぽい人が現れて、美緒は励まされた気分だった。大丈夫。明日からも、私はこの部で生きていける、多分。
「曽田ぁ」
「バカなことやるなよ。って言うか、せっかく寝ついたパーカス起こすな」
「こいつら喜ばせてどうすんだ」
明らかに最前よりも喧しくなった部員達に詰め寄られて、雪乃はちょっとひるんだ。
「え? わ、私のせい?」
うん、部長のせいだろうな、と美緒でさえ思った。
「し、仕方ないじゃない! いつも仕切ってる部員が、今日はバカやる方に回ってるんだから!」
むろん宝寺丸法子のことである。
「どうせ、私が怒鳴っても、みんな言うことなんて――」
ドコドドーンとティンパニが響いて、今度はクラシカルな感じのドラムマーチ風の一節が始まった。整然とした曲だが、やかましいことに違いはない。
(なんだかシンバルが今ひとつ)
聞きながら、美緒は心中で突っ込んだ。それはさっきの自分のバカを忘れようとしての、無意識のゴマカシだったのかも知れないけれど、実は昨日の『音プレ』でも微かに思った。他が九十点ならシンバルだけ七十点ぐらいな感じだ。下手と言うほどではないのだけれど――。
前よりやや長い時間を楽しそうに叩いてから、パーカスの面々はバチを下ろした。タカラヅカな二年生が、楽譜の束を掲げて見せた。
「曲はまだまだたくさんあるぞ!」
さすがに今度は誰も大声を出さなかった。くすぶった気持ちのまま、仕方なくマナーを守ってやっている、という感じである。
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