第11話 私、大マジなんだけどな…。


 三つ目の部屋に、人探しクエストの情報をくれそうな有力キャラがいた。テナーサックスを構えてぼーっとしている一年生、久里尾くりお勇希ゆうき、多分吹部でいちばんカッコいい名前なんだけど、実物は弱々しい外見の女の子だ。

「はろー、勇ちゃん」

 美緒とは、トランペット鼓隊時代からの付き合いである。勇希はラッパじゃなくて鼓隊の方だったけれど、それなりに仲良くしてきたつもりだ。なのに美緒を見るやいなや、びくっと震えて、雷を落とされる前みたいに首を縮めた。

「……もう重症だね。キョドってるぐらいなら、少しは練習のふりぐらいしたら」

「音を出したら出したで、なんか色々怒られるから……」

 美緒と同様、四月から欠員があったサックスパートのレギュラーにノミネートされた勇希だったが、どうも水が合わなかったようで、最近色々参ってるようだ。美緒も芽衣もそれなりに気にかけてはいたものの、何しろ人様のパートだけに、一年生風情としては傍観するしかない。

「サックス、みんなばらばらで練習してるんだね? 砥宮先輩知らない?」

「あの人は……被服室のあたり……にいると思う」

 分かった、と軽く手を挙げて、あっさりその場を離れる。居着いていろいろ話し相手になってやっても、却って悩みそうな気がするし、ここはそれが正解だと思った。事実、勇希はホッとした様子で手を振り返した。

 被服室は位置で言うと音楽室の斜め下、二階の隅だ。

 部屋を四つ置いた場所から、すでに砥宮慶奈の所在は明らかだった。技術的にうまいというのもあるけれど、やってる曲がなんだか本格的なソロ曲で、コンクール曲の割り当て分だけでひいひい言っている他の部員とは、練習の姿勢が根本的に違うという気がする。

「誰? ……あら」

 気配で振り返ると、慶奈は意外そうに美緒を見た。

「ええと」

「チューバの加津佐美緒、です。すみません、ちょっと相談したいことが」

「私に? ……ああ、昨日の話?」

「いえ」

 なおも首を傾げる慶奈に美緒は説明した。金管の先輩達から、繰り返し妙なことを仕掛けられていること。ただのイタズラではなさそうなこと。金管全体が共犯らしいこと。

 一旦間を置いた美緒に、慶奈は顎に手をあてつつ、言った。

「ふうん、確かに変な話だけど。……どうして私にそんな相談を?」

「砥宮先輩って転校生なんですよね? この春に振泉ふりいず中から移ってきたって」

 振泉中学校は隣の県の吹奏楽強豪校とのことだ。全国大会出場も何度となく果たしているらしい。どうも親の転勤とかじゃないらしく、なんでそんなエリート校からわざわざ移ってきたんだろうと、先輩達も色々噂にしているようだ。でも、もちろん美緒が今言いたいのはそんなことじゃない。

「他の学校の部活を知ってる人なら、ここのおかしさとか、ちゃんと分かるんじゃないかと思って」

 後は、孤立しているイメージの転校生なら、まだ〝仲間〟になっていないだろう、との目算もあった。慶奈は少し困ったように微笑んで、

「うん、言いたいことは分かった。でも、大したことは言えないかなあ。正直、私にも何がなんだか」

「当然だと思います。だから、私の考えを聞いてどう思うか言ってほしいんですけど」

「何?」

「あの、関係あるかどうかわかりませんけど、唐津先輩って何かの病気みたいなんです」

「ああ……なんかそうみたいね。私は何も聞いてないけど。それで?」

「もしも、です、唐津先輩が心臓にダメージ負ってるとかで、周りの人達、それをカバーしようとしてるんだとしたら――」

 この二週間ほど、美緒は必死で考えた。数少ない手がかりから、無い知恵を絞って、自分の前で起きていることの意味を知ろうとした。探せばどこかに答えと親切な解説が、もれなく手に入ったこれまでの謎と違って、それは果てしなく深い闇に飛び込むようなものだった。

 そんなおぼつかない探索の果てに、ようやく、これかな、と思える直感を得た。裏付けなんて、これ以上悩んでも出てきそうにない。少なくとも、その考えに欠点と言えそうなものは見当たらなかった。

「その上みんな共犯で、私に仲間に入ってほしいって……これって」

 加津佐美緒、中学一年生。十二年と四ヶ月の人生のすべてを注いで得た推理を、今、その手に載せ、世界へ挑む。この上なく真剣な顔で、美緒はその一言を囁いた。

「あの金管の人達、みんな吸血鬼なんじゃないでしょうか?」

「………………」

 慶奈の顔から表情が消えた。七、八秒経ってから、美緒からゆっくり離れ、机に楽器を置いて――急に後ろを向く。

 そこにあった別の机にだんっと両手を突き、うつむいたまま動かない。いや、肩が激しく震えていた。やおら上体を折って机に突っ伏し、それからいきなりえびぞりになるやいなや、

「きゃーっははははははははははは」

 けたたましい哄笑を上げ始める。

 マンガだったら、ここで「よくぞ見破ったっ」なんて言って、おばけ顔になった慶奈が振り返るところだけれど、そんなことはなく、えびぞりの次はまた机にかがみ込み、よたよたと歩き回り、他の机をバンバンと叩いたりしながら、ひたすら笑ってる。

 どうやら、本当におかしくて笑い転げているだけらしい。

 美緒はちょっと傷ついた。って言うか、笑うにしても、もっと節度というものが。

 いやいや。やはりみんな吸血鬼だった……ということもまだ考えられる。ここは慎重に――

「あの……」

「ご、ごめんなさ……ちょっと待……ううう、いやダメ、これダメ、もう我慢できな……あは、あははははは、ひぃ、ひぃ、ひぃ、ひゃはははははははははははははははははは!」

 ダメだ、話にならない。いちばん間違いない相談相手と思ったのに、いったいどこで間違えたんだろう?

「きゅ、吸血鬼って! なんで、なんでそんなこと!」

「おかしいですか?」

「ああもう、それっ! なんでっ! なんでそんな大真面目にっ! み、美緒ちゃん、もう、最高……うふ、ふふふ、ふははははははははははははは!」

 しばらくの間、慶奈はイスの一つに腰を下ろして身をよじっていた。そのうち座ることもできなくなって、ずるずると床に崩れ落ち、そのまま床面をゴロンゴロン転がりながらまだ笑い続けている。

 ――服、めちゃくちゃ汚れそう……止めるべき?

 それとも、ほっといてもう戻ろうか、と思った時、廊下からつかつか歩く音がして、人影が現れるやいなや、マキシマムの音量でどやしつけた。

「何大騒ぎしてんのよっ!? 慶、もうそろそろ……何してんの?」

 バリサクの法寺丸法子のりこだった。怒鳴られるのかと思ってビビりかけた美緒は、法子がきょとんとした顔で自分に訊いてきたので、ひとまず事情を説明した。

「砥宮先輩にちょっと相談があって……途中まで話したんですけど、急に」

「え? 後輩の相談聞いて笑い転げたってこと? 何その失礼な話っ。慶! あんたね――」

「い、いや、だって、もう……ふふふふ、あははははははは、あんな、あんな話!」

 一応きちんと説明はしようとしてるようなんだけど、慶奈はやっぱり話ができる状態ステイタスじゃなかった。法子は冷ややかな目で慶奈を一瞥してから、美緒に、

「ごめん、加津佐。もう、ほんっとにこいつどうしようもない女でさあ。申し訳ないからあたしがちゃんと話聞くよ。何の相談だったの?」

「あ、ええと、その」

「あたしだったらマズい相談?」

「そうじゃないんですけど。あの、実は」

 他に仕方ないのと、一縷いちるの望みをつなぎたい気持ちもあって、美緒は法子に話した。さっきの説明を、ほぼそのまま同じセリフで。

 その結果。

「ぎゃははははははははははははははははははは」

 ほとんど同じ話の場所で、法子も笑い転げてしまったのである。いや、それ以上だったかも知れない。

「ぐぅ、ぐぅ、ぐ、苦しいっ、なにそれっ、もう、あたし、あたしぃ」

「だからっ、い、言ったのにっ、あはははははっ、ちょっとお、あば、暴れないっでっ、ひゃははははははは」

「無理っ、それ無理っ、ぐふ、ぐふふふふふふふふふ、あたし、もう、死ぬ!」

 笑い狂った人間が二人になると、色々相乗効果が出るらしく、慶奈と法子はかわりばんこに部屋中をよたついたり机を蹴っ飛ばしたり床を拳で叩いたり、そのうちにお互いがお互いのイカれた姿を見てますます愉快になったようで、しまいに二人一緒に手を叩き合いながら暴れまわり、はては並んで横になって転がり始めた。

 美緒としては、ひたすら渋い顔で事態の収拾を待つしかない。と言うか、さすがに自分の説に自信がなくなってきた。何か見落としがあったかな? そこも含めて意見をくれたらいいのにと思う。とは言え……どうしろって言うんだ、この先輩達?

「あっ、やっぱりここにいたっ。ちょっと二人とも、いいかげん……え、何、ラリってんの、これ?」

 とうとうサックスの三人目まで現れた。アルトサックス二番担当の鹿目かなめ愛弓あゆみ、二年生。美緒はまだ話もしたことがない相手だ。戦国動乱期に突入しているサックスパートの中、慶奈にも法子にも与せず、新一年の勇希の後見を務めるでもなく、孤高の第三極を作り上げている現実主義者。この先輩もたいがいではある。というより、こんな先輩が三人目であるゆえの、このサックスパート、という言い方もできるのだけど。

「えーと、加津佐さんだっけ? 説明してくれる?」

 美緒が口を開きかけると、息も絶え絶えの二人が、肺からかすれ声を絞り出して制止にかかった。

「あ、だめっ、き、聞かない方がっ!」

「カナメ、やめろっ、お、お前、絶対」

 それから二人揃ってぶはははははははっとひときわ派手に爆笑する。可哀想なものを見る目でたっぷりと二人に視線を注いでから、愛弓は深々とため息をついた。

「世も末だ。前からこの二人はオワってると思ってたけど」

「はあ、私もそう……あ、いえ」

「いいよ、言いなよ。何があったのか知んないけど、自分は大丈夫。ちゃんと話聞くから」

 少しだけ美緒は安心した。うん、まだ捨てたもんじゃない。この人なら私の考えをまともに受け止めてくれるに違いない。

「ええっと、最初に砥宮先輩に相談があって、ここに来たんですけど」

「ふん、それで?」

「それで私が――」

 三分後。被服室の床でイモムシのようにのたうち回る女生徒の数は、三体に増えた。

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