第8話 あんな人、こんな人。
「先生、何とか言ってください!」
たまりかねて端嶋先生に直訴する者まで出た。先生は最前の言葉通り、ずっと教室の後ろに座って経過を眺めているだけで、ツッコミを入れる様子ひとつなかった。
「プレゼンは自由でいいったって、これはあんまりなんじゃないですかっ!?」
「……いつも言ってるけど、僕は基本、オブザーバーなんでね。この部は君たちのものなんだから、不満があったら君たちで解決しなさい」
「って言うことは、先生もこれからは『〝勇者ミオンと仲間たちの出発だっ!〟の二小節前から』みたいな言い方、するつもりですかっ!?」
「えっ? あーっと………………君たちで解決しなさい」
いっそ見事な初志貫徹ぶりである。が、部員からすれば「使えねぇ」という一語に尽きる。組織のボスが無関心を決め込んでいるとわかると、部員達は次の陳情先へ矛先を向けた。
「部長!」
「曽田先輩っ。何とか言ってよ!」
「えええええ?」
曽田
「ええと、みんな落ち着いて。浪瀬さんの解釈……は、全部が全部ダメってわけじゃ」
「じゃあ曽田先輩も『〝ミオンパーティーの祝勝どんちゃん騒ぎ!〟の一拍前から』みたいな言い方、これからするって言うんですかっ!?」
「そ、それは……長すぎるよ」
「だったら」
と、際限なくカオスが広がりそうに見えた、その時だった。
ばっしぃーん、と、満場の喧騒を叩き壊すようなノイズが音楽室に響き渡った。一瞬でその場が沈黙に包まれる。
音の発生源は、音楽室の中央からややチューバ寄り、バリトンサックスの席からだった。
全員を黙らせるために、楽譜と資料の束を床へ叩きつけたその部員は、のったりと自分の落とし物を拾い上げながら、凄みのある声で言った。
「くっだらねーことでいつまでも騒ぐなっての。合奏できねーだろーがよっ。時間のムダだろっ」
「唐津さん。あんた、面白がってないでいいかげん仕事しなさいよ」
法子の一言で全員が貴之に注目する。それまで、ほとんど存在を消していたかのようだった貴之が、いつもながらの無愛想な目つきで、じろっと法子を見た。けど、美緒には分かった。唇がこころもち緩んでいる。この顔――笑ってる?
「じゃ、まあ仕方ねえから……代案、出してみようか――」
そう言って、考え考えだからか、時々間を置きながら、黒板にいくつかの文字列を書きこむ。
0〜A 白のテーマ
B 黒のテーマ
C 白のテーマ ラブソング
D〜E 黒のテーマ フーガ
F〜H 白と黒のダンスバトル
I コーダ
「おお、ぐっと常識的なネーミング!」
一転して教室は安心と喜びの声に包まれた。
「って言うか、これなら普通どおりじゃね?」
「そうね。『ラブソング』とか『バトル』ってのがちょっとアレだけど」
「まあ雰囲気はわかるし……許せる範囲?」
その時、美緒は見てしまった。何となく疲れた風とは言え、貴之が三砂と、よしよしとでも言いたげに顔を見合わせているのを。そして美緒の隣でも、端嶋先生が存外に真面目な顔で、小さく何度も頷いているのを。
(なんなんだろう、この部)
しょうもないことをやっている部だと呆れるべきなのか、なんだかんだで意識の高い部だと感心するべきなのか。
「では、このサブタイトルを手がかりに曲作りするってことでいいですか? あのー、私の提案の方がマシだっていう声は」
ねえよそんなモン、とヤジが飛んで、三砂が泣き真似をしたもんだからお義理程度に小さく笑いが起きる。さすがに三砂はあのまま自説を通すつもりはなかったんだろう。っていうか、全部ギャグのつもりだったの? さすがにそれは時間のムダと怒られても――
などと美緒が考えていると、唐突に「ちょっと待って」と声が上がった。またサックスパートだ。でも、バリトンの宝寺丸法子じゃない。あの人は……確かアルトの一番、三年の
「唐津クンの解釈だと、DからEはフーガって言い方になるんだけど、ほんとにそれでいい?」
貴之と三砂が顔を見合わせた。
「……おかしいかな? ネットの解説記事も参考にしたんだけど」
「おかしいと思う。だって、こういうのはフーガとは言えないから。いいところカノンの出来損ないだよ」
ざわっと今までとは違う種類のどよめきが広がる。どちらかといえば、急に難しい話が始まったことへの困惑の色が強かった。
「それと、他にも色々あるんだけど、たとえば後で読めってことになってる資料の六の分析、Cの後半はト短調になってるんだけど、これ、ハ短調だよね? ハ短調のドリアンモード」
「え、そこは」
「いいかげんにしてよ、慶っ!」
すぐ背後で、法子が立ち上がって噛み付いた。なんだかさっき凄みを効かせた時と、ちょっと雰囲気が違う。
「あんたっ、どうでもいいことでつっかかるのやめなよっ! なんであんたはそうなの!?」
「どうでもいいことじゃない。解釈の根本に関わることだしこれは――」
「もういいから合奏しようって! 後回しにしなよ、そんなの。先生っ、もう時間切れだよねっ!?」
のっそりと端嶋先生が立ち上がった。
「まあ、そうだな。今日のプレゼンは一応ここまでにしておくか。うん、砥宮さんはよかったら後で唐津君と直接話し合ってみて」
「……分かりました」
微妙な間が空いて、プレゼンの終わりだからだろう、いくらか形式的な拍手が起こり、貴之と三砂が一礼して、チューバとユーフォの席に戻ってくる。入れ替わりに端嶋先生が前に向かう。
「あのパート、なんだかややこしいことになってるみたいね」
三砂がサックスの方向を見ながら、声を潜めて言った。美緒が見ると、さっきの二人はすでに落ち着いてはいるものの、赤の他人同士のようなよそよそしい雰囲気がある。というより、サックスパート全体がそんな感じ。
あんなパートもあるんだなあと思いつつ、でも金管も油断できないしなと気を引き締める。なのに、席についた三砂と貴之は、途端に美緒への気遣いを見せた。
「加津佐、さっきは悪かった。後で気がついて、合間に他のやつらに手伝い頼んだんだけど」
「ごめんね美緒ちゃん、私、プレゼンで頭いっぱいで、美緒ちゃん呼んだ時に気が回らなくて」
「いえ、その……大丈夫でしたから」
正面から言われると、どうしてもどぎまぎしてしまう。こういうのだけ見てると、二人ともほんとに優しい先輩なのに――。
三砂はグレーだけど、貴之はクロだと分かってるのである。うーむ、ちょっとつらい。
(今あのこと聞いたら、どんな顔するんだろな)
イタズラっぽい気分を半ば楽しんでいると、不意に貴之が顔を寄せて、三砂にも聞こえないぐらいに声を低めた。
「ところで加津佐」
「はい?」
「あんなところで寝るのはやめておけ。風邪引くぞ」
そう言いながら、美緒の肩についている赤くて細いほこりの塊みたいなものを、手で軽くバンバンと払う。
全身の毛穴から、ぶわっと冷や汗が吹き出すのを感じた。バレてたっ……!
「あ、あの、私」
「うん、ふわふわしたものが好きなのはいいけど。浪瀬なんかに見つかったら、タダじゃすまねえし」
「…………それは」
確かにオモチャにされそうですが、それ以前にあの会話が聞かれたってこと、気づいてました? そう探りを入れたかったのだけど、その時間はなかった。
「よっし、合わせるぞぉ、お前ら。先にお待ちかねの『音プレ』だぁ」
端嶋先生が、やたら気合の入った声を上げたからだ。このまま休憩なしで合奏に入るらしい。他の部員たちは、いつになくかしこまった空気になってる。美緒は会話を中断して、楽器を構えるしかなかった。
と、その時になって初めて気がついた。唐津先輩も楽器を構えてる!?
「久しぶりだなー。まあ色々あって、一ヶ月ほど全体の合奏は見合わせてたんだけども、たまに〝断食〟やってみるのも悪くないだろ。みんなよく我慢した」
何の話だろう、と思う。確かに、四月からレギュラーと言われた割には、全然合奏に呼ばれないなあとは思っていたけれど……美緒だけじゃなく、部全体が合わせ練習を止めていた?
「一ヶ月ぶりの合奏、それも、『音プレ』初めての全体合奏だ。みんな、部分練習は十分してきたなっ? 合わせられるテンポでいく。全員、ついてこれるはず。ということは、テンポが遅いだけで、立派な名演の可能性もあるってこと。ベストを尽くせっ」
「「「「はいっ」」」」
うわ、と美緒は衝撃を受けた。うちの部、こういうノリはないって聞いたのに……なんでこんなに気合が入ってるんだろう?
「いつも通りいけ」
チューバを構えて指揮者に目をやったまま、貴之が言った。
「ありのままに吹けよ。俺には構わずな」
え? と横を見ようとしたが、それもできなかった。ざんっという擬音語が聞こえてきそうなほどの引き締まった表情で、端嶋先生が両手を拡げたからだ。うつむき気味に目だけで部員を見回してから、竹の指揮棒をふわっと跳ね上げる。
払暁の光のようなシンバルに合わせて、金管中高音が華やかなファンファーレを歌い上げた。美緒が初めて聞く、完全な形での「音プレ」が、今始まった。
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