第7話 プレゼンって…?


 援軍は意外なところから現れた。 

 中庭の外れから三階の音楽室までの、急ぎの長距離輸送。総量で自分の体重の半分を超える重量物だけに、とても一回で運べるものではない。ゆえに、美緒は荷物を四つに分け、行程も小さく区切って短い距離を何度も往復しながら音楽室までたどり着くやり方でいくことにし、黙々と作業に取り掛かった。

 そんな悲愴なチューバ女子の後ろ姿が心を動かしたのだろうか、ようやく音楽室のある校舎棟の一階にたどり着き、さてこれから階段かあ、とげんなりしていると、誰かが不意に美緒の手から荷物を取った。のみならず、その場に並べていた楽器やイスまで、現れた数人の人影が黙って担いで上っていこうとする。

 同じ一年生の男子達だ。

「え、何、あんたたち」

「いいから。ガキがこんな重てえモノ担いでるんじゃねえよ」

 そういう少年の背丈は、まあ美緒よりは少し高いが、十分ガキの領域だ。

「あの、でも、それ私の荷物」

「おめえはこれから合奏でチューバ吹かなきゃならん身だろうが。もっと自分を大切にしろ」

「そうそう、こういう時はもっと俺達を頼れ」

 なんとなく不自然に吊り上げてる唇の端から、きらっと白い歯がこぼれる。こいつら、絶対アニメか何かのセリフを丸パクしてるな、と思ったけど、好意に裏はないようだったので、そのまま任せることにした。多少ヨタついた足取りでチューバを運んでいる男子に、内心でヒヤヒヤしながら、一緒に階段の上までたどり着く。

 そこで待っていたのは、金管の面々だった。

「あー、来た来た」

「おーお、君たちエラいね。お姫様の荷物運びかい」

「ごめんね美緒ちゃん。全体で合わせるのって初めてだからぁ、みんな舞い上がっちゃってぇ、美緒ちゃんのこと忘れてた。てへっ」

「って言うか、こういう時はもっと強く『手伝えっ』って言っていいんだからね」

 ああ……神はいました。

 美緒はただただ感激した。なんという美しい仲間愛。私は見捨てられてなどいなかった!

 一年生たちから荷物を引き継ぐと、レギュラーメンバーたちがさっさと音楽室の中に運び入れた。もう美緒は身一つ動かすだけでいい。

 ひと仕事終えた一年男子達は、下へ戻る前に美緒へ激励の言葉をかけることすらやってのけた。

「がんばれよ、加津佐」

「音楽室で待ってろ」

「俺達も、すぐ行くからな」

「うん……ありがとう」

 胸が熱くならなかったと言えば嘘になる。意気揚々と引き上げる男子達を、美緒はちょっとだけ見直した気分で見送った。

 のに。

「行ったか、一年坊主ども。何とかとハサミは使いようだな」

 いきなり背後からろくでもない感想を述べ立てたのは、ペットの三年生、滝野悠介だった。

「え? それはどういう」

「うん、加津佐は関係ないんだけど、そろそろ一年の中のレギュラー入りするやつ、発表の時期なんだわ。で、正直あいつらに目はないんだが、『一年のレギュラーは、技術よりも人間の中身で選ぶ』って言っておきゃ、しばらくの間は色々と使いものになるんでな」

「だ、騙したんですか!?」

「人聞きの悪い。上級生にいい印象持たれりゃ、まあ実際補欠に引っかかることもあるでよ」

 ふっふっふ、と陰にこもった笑みと共に、悠介は自分の席へ戻っていった。

 何か、色々と直前までの美しいものが、星屑になって宙に消えていったような気分だ。唐突に歴史の教科書の一節を思い出す。「シャカは世をはかなんで出家し」って文、微妙に意味不明だったんだけど……「世をはかなむ」っての、今少し分かったかも。今度出家の仕方も聞いておこう。

 長いため息を吐きながら、打楽器の横を通ってチューバの定位置に行こうとして、ふと周りを見回す。なんだか音楽室の様子が……合奏の途中って様子でもなくて……。

「えーと、いいですかー、では後半始めますよー」

 パンパンと手を打ちながら、黒板の前で声を上げているのは、毎度のユーフォのおねーさん、浪瀬三砂だ。でも今はユーフォも持ってなくて、何と言うか、授業をやっている?

 三砂のすぐ後ろには貴之もいる。二人で何かの発表をやっているのだろうか? そう言えば、部員たちは皆、楽器は横に置いたままで、何かのプリントみたいなのに目を落として、割と真面目に三砂達に向き合っていた。

「加津佐さん」

 自分の席の辺りで呼ぶ声が聞こえて目をやると、端嶋先生が貴之のイスに座っていて、手招きしている。言われるままに席につくと、小声で状況を説明し始めた。

「ごめん、君は初めてだから、いないことにしばらく気づかなかった」

「はあ」

「あの二人も、あの通り、プレゼンで頭がいっぱいだったようで」

「ぷれぜん?」

「そう。プレゼンテーションの略。聞いたことない?」

 美緒が首を振ると、先生は「まあこういうの」と言いながら、譜面立てに配ってあったプリントを何枚か、手渡した。ざっと目を通すと、「音プレ」の方じゃなくてコンクール課題曲、「吹奏楽のためのコンチェルタンテ」に関する……何と言ったらいいのか、データと言うか、資料と言うか、楽曲解説?

「これを……えーと、読み合って意味を調べるとか、そういう?」

「ちょっと違う。これはあの二人が作った資料だよ」

「えっ!?」

 改めてプリントを見直す。どの部分も、中学生が書いた文章とはとても思えない。けど、よくよく見ると、どこかの情報を集めてつぎはぎしたものらしいことに気づいた。美緒はそのあたりよくわからないけれど、多分ネットの記事を組み合わせたものだろう。

 そういうことか、と納得した。要領よくやれば中学生でもできそうではある。でもすごいなあ、こんなの真似できないなあ――などと内心で深く感心して紙をめくっていると、いきなり、場違いなほどポップで子供っぽい文字のプリントが現れた。タイトルはこうだ。「『コンチェルタンテ』を物語で理解しよう! ミサミサのファンタジック音楽分析わーるど」。

 その下に続く、それまでの解説文とはノリも文体も目的も違う文章に、美緒はしばし絶句した。

「先生……これ、何ですか?」

「ん? さあ。浪瀬さんがそのうち何か言うでしょう」

「はあ?」

「僕はプレゼンの中身には関知してないから」

「え、それはなんで」

「今やってるプレゼンってそういうこと。部員の手で、音楽づくりに役立ちそうなことを集めて、情報を共有する、そのために時間を取ってこういうことしてるの。あくまで君たち自身がやるんだ。まあ、折りに触れてアドバイスはするけどね」

 なるほど、と一旦は理解する。ただ闇雲に練習するだけじゃなくて、ちょっとお勉強的なこともしておきましょう、というノリの、この部独自のイベントなんだろう。

 それを全て部員主体で。結構。とても立派な教育方針でいらっしゃる。

 でも、この先に明らかな混乱が予想されるのだ。顧問としてそういう放任主義はいかがなものか、と美緒はじぃーっと先生のメガネの分厚いレンズを見つめていた。気づいてない振りをしていた先生は、やがて鬱陶しくなったのか、

「あ、ほら、話がそこに行くみたいだよ」

と、あからさまにヤジ馬っぽく顎で三砂達を指した。

「えっとおー、ではいよいよ四枚目、このプリントにいきまーす!」

 音楽室のオーディオ装置を使って色々音を鳴らしたりしながら、それまでもっともらしく「コンチェルタンテ」の解説っぽいことをしていた三砂が、気合を入れて声を張り上げる。途端に、部屋全体が蜂の巣をつついたみたいに、不穏なささやき声でざわついた。

「はい、しずかーにっ。もう説明必要ないと思いますがあ、この部でも何度かやってきてること、ですよねー? えーと、音楽の流れをつかむためにぃ、ストーリーを作ってみる、で、そのイメージを曲作りに活かす! ってことです。それで今回はぁ、私がこの曲にぴったりなストーリーを創作してみました! それが、これです!」

 これ、と言って突き出したプリントには、曲の簡単な構造と共に、ストーリー仕立てのサブタイトルが並んでいた。内訳はこうだ。


 0〜A  勇者ミオンがやってきた!

 B    勇者ミオンと仲間たちの出発だっ!

 C    悲劇の村 勇者ミオンは泣いた…

 D〜E  勇者ミオンは試練に耐える!

 F〜H  再び戦いに向かう勇者ミオンたち 激戦、そして勝利

 I    ミオンパーティーの祝勝どんちゃん騒ぎ!


 凝ったことに、各サブタイトルの横には、それぞれの章のあらすじまで小さな文字で書き込まれている。多分、音楽の流れとは色々食い違っている。それらにまで目を通している部員はほとんどいなかったけれど。

「これからはこういうドラマ? みたいなのを想像しながらぁ、音作りしてみたら、きっとすごくダイナミックな演奏にぃ、なると思いますっ。あ、よかったらこの物語、小冊子を配りますんで読んどいてください! あとあと、これからはAとかBじゃなくてぇ、このサブタイトルを練習に使ってくださいっ。っていうか、そういうルールにしたいと思いますっ」

 いつになくドヤ顔の三砂に、何人かがイラッとした視線を向けた。というより、殺気を帯びた蜃気楼のようなものが立ち上っている感じだ。

「ここまでのところで、何か意見はありますかぁ?」

 はいはいはいはいっと、ほぼ全員が手を挙げた。三砂はにっこりと笑みを作って、

「ありませんね。では、このストーリーがこの部の『コンチェルタンテ』の正しい解釈ということで――」

「ふざけてんじゃねえぞっ、浪瀬ぇ!」

「こんなお子様なストーリー使えるかってのっ」

「課題曲への冒涜だっ! 吹奏楽連盟に謝れ!」

「ってゆーかこれ、あんたのクソくだらない投稿小説の中身そのまんまでしょうがっ」

「ちょっと待て、なんでお前がそれを知っている?」

「え? いや、その」

(浪瀬先輩の小説?)

 なんだか聞きたくもないことがずるずると出てきそうな気がして、美緒は発言をためらった。もちろん美緒が聞きたいのは「勇者ミオンってなんですか?」ということなのだが、何となく答えは見えているような気がした。

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