ばいばいヒーロー

舵名

ばいばいヒーロー

「なんか今の君って、前とは違うよね」

 幼馴染のその言葉は、進行形で再構築されていた関係を壊すには十分なほど重たかった。

 涙が眼球を内側からノックしてくるのは、近しい人の葬式以外だとこれが初めてだ。

 帰り道に付属した公園で、角が丸く、派手な橙色のベンチに腰かけていた。肺に空気を出し入れしているだけなのに、もうすぐ夕日が沈んでしまう。僕を差し置いて、他の誰かを照らすのだろう。

「あと一匹! おねがい!」

「さっきまでボールであそびたい、って言ってたじゃん!」

「えー? 何をつかまえるの?」

 四人組の子供たちが目の前を通り過ぎていく。手から火花やスパークを発生させ、一人は地上から何メートルか浮遊している。そうして木の枝にちょっかいをかけながら人生を謳歌している姿が懐かしかった。

 そこにかつての自分を投影しながら、泡のように浮かんでくる不和に嘆いた。雲は茜色と葵色を混ぜたような色をしていて、食べ頃だ。

「ねえねえ、そこのおにいさんも虫取りにさそわない? なんかかわいそうな感じだよ」

 ひそひそと話しているつもりなのだろう。だがその通りで、僕はもう君たちみたいに笑えない。授業で当てられた時のように、心臓の音が大きくなるのを感じた。

「そこのにいちゃーん! いっしょに虫取りしようよ!」

 声の方を向くと、赤髪の男の子がこちらに手を振っていた。僕はひらひらと手を振り返しながら、用意していた言葉を吐いた。

「僕はいいかな。君たちで楽しんで」

 男の子は肩をすくめながら、後ろにいた友達であろう子に何か言っていた。それから少しして、こちらに振り向いた。

「おにいさんはどんな〈じんりき〉もってるの? おれはね、火が出せるんだ! すごいでしょ」

 男児の手はガスコンロのように燃えていた。その奥で、満面の笑みが炎に揺られている。

「すごいね。僕にはもうそんなことできないんだ。少し、一人にさせてくれるかな」

 僕の言葉など意に介さずに、次々と子供たちは〈人力〉について話している。僕は苛立ちが漏れ出ないように気を付けながら喉を鳴らし、力を込めた。

『あっちへ行って、ボールでも使って遊んでくるんだ』

 四人組はぴたりと騒ぐのをやめ、僕が指さした方向へ走っていった。あちらの方向なら、人が寄り付かないから大丈夫だろう。僕はさらに背もたれに体重を預ける。ようやく一人になれた。さっきまで一人になったことを悲しんでいたというのに、そう思った。



 小学生の僕は〈空気を動かす〉ことができた。あだ名は『センプウちゃん』だった。誰がそう呼び始めたかは分からないが、身長が低く、ふくよかであったため、よく似あうあだ名だと自分でも思った。

「将来ヒーローとかなれるんじゃない?」とか、「サインちょうだい!」なんて言葉をかけられて育った僕は、扇風機のように笑顔を振りまいていた。

 塩素の匂いが漂う休み時間には、女の子の髪を乾かしてあげたり、上裸の友人を涼ませたりした。寒い日には風を止め、クラスのみんなで日光の純粋な暖かさを学んだ。



「え? センプウちゃん、もう風出せないの?」

 小学六年生の初冬のことだった。未だにその言葉を忘れることはできない。きっとその頃から、僕はいろいろなことを考えすぎてしまうようになったのだろう。

 ふくよかだった体形は、いつしか縦の伸びに置いて行かれ、あばらが浮き出るほどになった。喉の辺りが固く突き出て、声が変わった。僕を『センプウちゃん』と呼ぶ人は日を追うごとにいなくなり、下の名前に「君」を付けて呼ばれる方が多くなった──

 その時、僕は空気を動かすことが完全にできなくなっていたのだ。それを世間では『第二次性徴に伴う〈人力〉の変異』と呼ぶらしい。保健室のポスターにその言葉が記されていた。

「もうすぐ、また新しいことができるようになるから。きっと今よりももっとすごい人になれるかもしれないよ」

 担任の先生が優しい目で言ってくれたその言葉に僕は喜んだ。これは終わりではなくて、新しいことの始まりなんだ、と。先に成長した友達からも励まされることがあった。その全てが他人行儀であったこと以外はうれしかった。


 何か月か経つうちに、僕の生活は変わっていった。

 僕にかけられた言葉の全ては嘘だったのだ。

 それまで両手に宿っていた力は姿を消し、次に現れたのは小学校の卒業式の二日後だった。現れた場所は、声だ。


「お子さんは、言うなれば、〈言った通りに相手を動かす〉ことができるようですね。扱い方によっては重大な犯罪を起こしかねません。繊細な時期なのもありますから、保護者の方もお子さんとよく……」

 僕は首を傾げた。そして目の前に座っている白衣に対して、憎悪にまみれた質問を投げかける。初老の医者は決して怒らず、しっかりと目を合わせて話を聞いてくれた。

「じゃあ僕はどうすればいいんですか? みんなと同じようにできますか?」

 裏返る声を止めることなく聞いた。医者は少し黙って、何かを暗唱しているかのような、淀みのない言葉をくれた。

「練習すれば、力をコントロールすることもできます。その他の成長は、誰にでもあることです。もし不安なことがあれば心理カウンセラーの……」

 違う。僕が聞いていたことは、そうではない。



「えー、その〈人力〉ってさあ、ハンザイシャっぽくない? こわーい」

 僕の新しい力を知った人は僕から離れていった。僕が何をしたというのだろう。こんな力はいらない。そうして黒い羊は今もなお、その黒さに磨きをかけている。


 ずっと、幼馴染の瞳に映っている自分が自分だとは思えなかった。



「うわっ!」

 階段から落ちるような恐怖で目が覚めた。実際には転ぶこともなく、腕をベンチにぶつけてしまった痛みが、アラームのように覚醒を促すだけだった。

 そろそろ帰ろう。もっと暗くなって心配されてしまうと面倒くさい。

 僕はベンチから立ち上がった。

「おにいさーん! 助けて!」

 遠くから走ってくる子犬のようなものが、こちらに向かって叫んでいる。目を凝らすと、それが先ほどの四人組の中の一人であることが分かった。日が落ちて暗くなっていても、パステルカラーの服が土で汚れているのがはっきりと見える。僕はまず落ち着くように言って、何があったのか尋ねた。その女の子はかなり気が動転しているようだ。

「たっくんが、むこうの方にボール落っことしちゃって、ひろいに行こうとして、下に落ちちゃった! 何回よんでもなにも言わないの!」

「それはまずいね。でも、君たちはもうすぐ帰る時間だろ? 家族にそれを言って、助けてもらうんだ」

 少女はそれを聞くなり、ばつが悪そうに俯いた。「どうしたの? 僕が誰か助けを呼ぼうか?」と聞いても何も言わない。

「あの場所は……『入っちゃダメ』の看板があったんだけど、なんか気づいたら来てて……お母さんにおこられちゃうから……」

 そうだった。この公園は山に繋がっていて、その近くには谷につながる大きな斜面がある。ちょうど、僕がさっき指さした辺りだ。僕は下唇を噛み、必死で頭を回転させた。このことは、誰にも気づかれてはいけない。

 思考の道中で何度も、僕にあの力があれば、と悔やんだ。しかし、木に引っかかった風船を取るのとはわけが違う。

 今の僕にあるのは『声』だけだ。

 少女はベンチを蹴って、八つ当たりをしている。実際に追い詰められているのはベンチでも、女の子でもない。不快な汗が浮き出てくる。

「どうすれば助けられる? 考えろ。役立たず。センプウはもういないんだ!」

 僕は頭を叩いた。それでも考えは浮かんでこない。この出来損ない。



「ああ……思いついた。作戦を説明したいから、みんなを呼んできてくれる?」

 少女は何度か頷き、走り去っていった。


 戻ってきた三人の子供は口々に不安をこぼした。僕は優しい言葉を使って、それをなだめる。そして、木々のざわめきしか聞こえなくなった頃、僕は喉に力を込めた。

『〈たっくん〉のことを忘れて、家に帰る』

『この声が聞こえたら返事をして!』

 僕の〈声〉だけが辺りに反響した。



 立ち入り禁止の看板の奥にあるこの場所には、街路灯の明かりが届かない。錆びたフェンスは、近づけば近づくほど高くなっているように感じた。もっと奥だ。絶対に僕が助けなければ。

 深く息を吸うと、喉から空気が漏れるような音がした。咳込むと、口の中が不愉快に暖かくなり、苦い。

 飛び込むようにしてフェンスを越えた。思えば先ほどから、何かが焦げたようなにおいがしている。さっき帰らせた三人組には、赤色が欠けていた。


 斜面を滑るようにして下っていく。谷へ近づくにつれて、臭いは強くなった。暗闇は、さらに深くなっていった。

「どこだ? どこにいる?」


 かなりの距離を下ったところで、右の方に揺れる光が見えた。急いで身体を起こし、その光を目指す。打撲や擦り傷の痛みは谷底に放り投げた。

 その先で出会ったのは火炎だった。木々は音を立てて折れ、爆ぜていく。

 昔の僕ならどうしただろうか。今の僕はどうしたいだろうか。火の手が答えを求めてくる。


「分かった」

 僕は笑った。きっと昔も今も、『あいつ』はそうするから。

 そして何歩か下がった後、炎の中に突っ込んだ。


 目を開けると、小さな身体が火のベールに囲われたまま横たわっているのが見えた。赤い髪が今にも燃やされてしまいそうだ。僕はそれを勢いよく持ち上げて、肩に抱えた。

 真っ白になった足と口が不自然に曲がっている。きっと火柱のせいだろう。

「これはまずいな……」

 少しずつ視界が狭くなっていく。とにかく、外へ。その時、目の前のベールが一瞬だけ揺らいで、黒い隙間ができた。

 今しかない。



 月の光にすがりながら、火炎から離れるようにして斜面を登った。背中に感じる重みは僕の罪だ。他の誰のものでもない。


「おかえり」


 どこからか声が聞こえた。甲高くて、明るい声だ。

 周りには誰もいない。

 少し休もう。「たっくん」をそっと地面に下ろし、僕もその横に倒れた。そして、こう答えた。


「ばいばい」

                                   完

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ばいばいヒーロー 舵名 @2021bungei5

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