君のものになれるなら、地獄に堕ちたっていい。

らび

君は僕のすべて

パシャッ



軽快な音がして、フォルダが埋まっていく。


一分一秒も見逃したくない。それだけの感情で始めた行為はいつのまにか、スリルを楽しむ好奇心とだれも知らない君を知れる優越感を孕んだ行為に変わっていた。


「…またやってるの?」


ふと、後ろから声が降ってくる。そちらへ顔をあげることはせず、シャッターを押す手とは反対の手で膝の上に乗せていた焼きそばパンとメロンパンを掴んで差し出した。


「今日、壮真くんパン買えなかったんだ。ほら、山田先生の授業が長引いて…購買、パンの日すぐ売れちゃうじゃん。…だからこれ。千紘からって、渡してきて」


元来僕は、人と話すのが嫌いだ。とろくて優柔不断なのは動きと脳みそだけじゃなくて、口もそうだから。いつも途中で遮られるか聞き返される。……でも、千紘はそうしない。だって僕らは、利害の一致で仲良くなった戦友みたいなものだから。千紘はきっと、僕には興味ないのだろう。


「葵が行かなくていいの?オレの株が上がるけど」


「いいよ。たまには協力者に、報酬。壮真くんの家、町じゃ有名な地主だから仲良くなっておいて損はないよ。…僕みたいな…教室にもいれない、典型的な陰キャのモブにはなりたくないでしょ」


顔を上げ、自虐を込めてにひっと笑ってみせる。今日初めて千紘の顔を見たが、やっぱり化粧の一つもしていないことが信じられないくらいに整っている。…関係ないとわかっているけど、やっぱり千紘は都会の人だ。こんな綺麗な顔の人、壮真くん以外に始めて見た。そりゃ浮いていじめのターゲットになるよな。ほんと、僕って優しい。僕のおかげで、千紘は初めてこの町に来た頃以来目立ったいじめはされていないのだから。


「ふーん…ま、行ってくるわ」


「いい知らせ待ってるね」


「んー」


僕らの関係は、不思議なものだ。


千紘はこの町に来た最初の頃、当然のようにいじめのターゲットになった。娯楽の一つもないこの町で、きれいな顔をしていて運動も勉強も何でもできる千紘は格好の的だった。そんな千紘に唯一興味がなかったのが僕。だって僕は、当時から壮真くんしか見えてなかったから。でもその千紘に、ひょんなことから僕がストーカー行為をしていることがバレてしまった。もう終わった。これをダシに千紘はこの町で地位を持っていくんだろうと思っていた。でも、


『…なぁ、その写真のことも、板垣壮真をつけてたことも口外しないからさ。俺がいじめられないように根回ししてくれない?』


でも、千紘は違った。僕より、町の誰より、頭がよかった。それから、僕は千紘とふたり、不思議な均衡の元で生活している。もう半年だ。半年この生活をしていれば、戦友というより友だちのように思えてしまっている。


「勘違い乙。千紘はどう見たって都会でも人気者だったタイプでしょ。中学で童貞卒業してるタイプの陽キャ。僕みたいな根暗陰キャ童貞とはエベレストとマリアナ海溝くらい差があるわ」


そう独り言をこぼす間も、シャッター音は止まらない。…前に千紘が教えてくれたシャッター音を消せるスマホを買おうか迷ってはいるが、この町にそんなものは売ってないしそんな店もない。せめて、少し離れたこの場所からこっそり撮るしかないんだ。


「……っ、」


ぎゅっ、と下腹部を押さえる。ゾクゾクした甘い痺れが背筋を通って、ぺろっと画面の中の壮真くんを舐めた。


壮真くん、お腹空いてイライラしてる。


前髪触りながら、ため息ついてる。


あぁ、こんな時壮真くんの恋人なら、そのイライラを解消してあげられるのに。


…壮真くん、僕、精通は壮真くんだったよ。


いつも、前と後ろで一回ずつ、壮真くんを想って自慰をしてるんだよ。


ねえ、なんで、気づいてくれないの。


画面の中の君は、こんなに近いのに。


学校の外の君は、いつももっと、近くにいてくれるの……


「……?」



「っ!、」


勢いよくスマホを抱えて、お腹を預けて寄りかかっていた壁へ背中をつけて丸まった。やばい。今、壮真くん、こっち見た…?ど、うしよ。どうしよう。やばい、バレ、たかも…あ、でも、そんなことより…


「……やば、かっこいい…」


フォルダをスクロールしながら、壮真くんを見つめる。荒くなる息を抑えるように、制服のスラックスごしに先っぽを爪でやさしくひっかいた。


「そ…まく♡そぉまくん♡……ん、ん“っ♡」


ぶるりと震えた体は痙攣したように痺れて、空っぽの脳みそでさらにフォルダをスクロールした。


「やっちゃった…午後も授業、ある、のに………あ、」


最後の写真。たぶん、さっき勢いよくスマホを抱えたときに間違えて撮ってしまった写真。そこには、こちらを見つめる端正な顔があった。じっと、きれいな三白眼でこちらを見ている。


「そぉ、ま、くん…♡」










ーーー










「ただいま…」


広い玄関からはおかえりは返ってこない。台所がある方から賑やかな声が聞こえてきて、そわそわと靴紐を解いた。ローファーがふたつ並んでいるから、誰か客人でもいるのだろうか。…にしては、静かだけれど。


大きくて広くて迷路みたいな家。地主の祖父が建てた家で、僕たち子孫がいつまでも仲良く過ごせるように、とびっくりするぐらいの広さを有している。


この町じゃ、知らない人はいない地主一家。大人は皆、この家の名字を聞くだけでぺこぺこごますりをするらしい。


「……あれ、葵」


「…壮真くん、帰ってたんだ」


そんなの、どうでもいいのだけれど。


「板垣」の家なんてものに興味はない。


けれど、与えられたものは存分に使わなくちゃ。


「午後、早退したって聞いたけど平気?いつもの発作…?今までどこにいたの?」


「あ、うん。大丈夫…。ちょっと、公園で、休んでたから…。そ、壮真くんも、元気、なかったみたいだったけど…」


「あーそれ!今日山センの授業長引いたんだよ。そのせいで購買売り切れててさー。長引くって知ってたら、オレも葵と保健室でサボってたのに」


「さ、サボってるわけじゃないって、」


「えーまじ?じゃあなんで今こんなに元気なのー?」


つん、とスラックスの膨らんだ部分を触られる。びくりと身体を震わせて、涙目で壮真くんを見上げた。


「いじ、わる…」


「あは、疲れてんでしょ?オレいま応接間で友達と勉強会してるから部屋でヌいていいよ。洗濯も畳んで置いといたから、ちゃっちゃとヌいて風呂入りな」


くしゃくしゃとかき混ぜられるように頭を撫でられて、脳みその中身までぐちゃぐちゃになる。ぽわぽわしながら、その手の温かみを追うように頭に手をおいた。


「…あんまり、こういうこと、しないで……」


思ってもいないことが口から出る。


違う。…本当は、もっと触ってほしい。


スラックスごしじゃなくて、直に触ってほしい。


…触りたい。


壮真くんと、ひとつになりたい。


「いーじゃん。家族なんだし」


一生かなわないって、わかってるけれど。


「ちっちゃい頃は毎日一緒にお風呂入ったじゃん。今だって一緒の部屋に寝てるし。もはや葵は、弟みたいな?お互い一人っ子だし、いとこで血もつながってるからかな?w」


じわりと目頭が熱くなって、吐き捨てるように「部屋、入ってこないでね」と告げて階段を上った。二階の突き当り。クイーンサイズのベッドを中心に広がる広いその部屋には、僕と壮真くんの趣味が溶け合っている。ふかふかのベッドに寝転がり、壮真くんの匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。


「……だいすき、」


叶わないって、わかってる。


結ばれるエンディングなんて、夢物語でしかないって。


だから、





君とセックスができるなら、僕は地獄に落ちてもいい。





ーーー





「明日は…あっ、体育ある。しかも陸上って壮真くんの得意競技じゃん。やっば…サボろうかな………あっ、けど体育はそろそろ出席危ないんだった…」


風呂上がりのほかほか温まった身体で、だらだらと座椅子に身を預ける。夕飯の時間まですることもなく、スマホで明日の予定表を見たり、壮真くんの写真を見たりとひとりの時間を謳歌していた。


「はぁ……かっこぃぃ…」


この家に、僕の両親はいない。縁があるのは、この家の大黒柱である祖父だけ。だけどそれを知らない壮真くんは、まるで僕を本当の弟のように愛してくれている。天涯孤独。どこにも居場所のない僕にとって、壮真くんは世界の中心で生きる意味だ。きっと壮真くんがいなければ、僕はこの家に居られない。両親のいない僕が厳格で由緒正しいこの家にいられるのも、壮真くんのおかげだから。


「はっ、我ながらクソデカ感情で草生えるわ」


壮真くんのことを考えれば考えるほど、先程言われた言葉が胸を締め付ける。


いつかは明かさなければいけない。僕は壮真くんと血の繋がりがないこと。卑しい生まれだということ。…いつかそれを明かすことができれば、壮真くんも僕を弟としてではなく男として見てくれるのかな?


「葵〜?」


「あ、うん!今行く」


一階からおじさん…壮真くんのお父さんの声がして、一気に現実に引き戻される。もうやめよう。とりとめのないことを考えるのは。僕は壮真くんが好き。その事実は変わらない。それでいいじゃないか。


「壮真、今友達と勉強会してるらしいんだけど…クラスでその話とかしてた?どんな子が来るとか」


「いや…今日午前中から保健室いて、午後早退したし」


「あーそういや父さんがそんなこと言ってたっけ…」


たしか応接間でしてるんだっけ。応接間は玄関から一番近いところだけど、壮真くんの友達にしては静かで物音一つしなかった。…いつも一緒にいる友達、じゃなくて別のクラスメイトとか?


「もう日も暮れるのに帰る気配ないから、教えてきてあげて?壮真の友達ってことは葵も知ってる子だと思うし」


「えー…やだよ、陽キャとは関わりたくない」


「陽キャだとは限らないよ。今日の子、すごい物静かな子だったし。普段見ない子だから、最近仲良くなった子なのかな?」


断って部屋に戻るつもりでいた足が、ふと動かなくなる。物静かで、普段見ない子?心の中で復唱したその言葉は、声になっておじさんにまで伝わっていたらしい。


「うん、…たぶん村の子じゃないな。肌真っ白で[[rb:細 > ほっそ]]くて…高校に電車で来てる子とかっている?」


「いや…あんな山奥にわざわざ電車で来る人なんかいないよ。そもそも、駅から結構歩くし」


…でも。


「でもひとりだけ、心当たりある」


僕が呼んでくるから、お代は夕飯の唐揚げ追加ね。と告げて、焦る気持ちからか足早に応接間へ向かった。そんなことない、気にしすぎだ、と思えば思うほど足音は早くなっていく。


…いや、何を焦ってるんだ。ただ仲良くなって、勉強を教わってるだけかもしれないだろ。そんな半日程度の仲で、嫉妬するほど仲を深めているはずがない。


「…そ、壮真、くん?」


当たり前のように返事はない。じっとり濡れた手のひらを、ふすまの引き手にそえた。そんなことない、そんなことない、と呟いて。


「そうま…」





『や♡そぉま…っ♡』





「………ぁ、」


はくはくと声の出ない口を必死に動かして、重力に従うように腰をおろす。…いや、腰が抜けたというのが正しいかもしれない。胸ははち切れそうなほど鳴り響いて、止まらない汗が温まっていた身体をじっとりと濡らしながら冷やしていく。視界が揺らめきながら狭まって、たたみにぽつぽつとシミをつくっていった。


『もうちょっと…っ、静かに、…ね?しー……』


『あっ♡おく、きちゃ…っ♡』


少し開いたふすまから、中を覗き見る。そんなことしてはいけないと警鐘を鳴らす理性より、何を考えているかわからない本能が僕をそうさせた。見てはいけない、と知りながらも、もう止められない。


『ぁ♡……ね、ぇ、そぉま…♡』


『きつ…、ちょ、しめないで…っ』


『次は、オレが上…な♡』


男が、壮真くんに抱きつきながら跨いだ瞬間。男はふと、こちらを向いて、熱い吐息を漏らす口元をにやつかせた。かと思えば、べぇ、と舌を出して、挑発するような笑みを浮かべて腰をゆるゆると動かす。


もう、我慢ならなかった。




「出てけッ!!」




腹の底から声が出るなんて、生まれてはじめてかもしれない。激しく絡み合っていたふたりはわかりやすくびくついて、とたんに体を引き離し目を見開いて僕を見ていた。


「お前に言ってるんだよ、千紘!」


言葉に次ぐように足が出て、重みを感じて痛む足首に顔をしかめた。千紘は机に体を打ち付けて、ぱりん、と音がして机の上にあった花瓶も割れる。机には、じわじわと水が溜まっていった。そんな光景をまるでフィルムを通しているようにぼーっと見つめ、足元に転がる千紘を見下ろす。


「っ…蹴ることないだろ」


「葵……なんで、こんな…」


「出てけって言ってるだろ、出てけよ。早く出てけ。ここは壮真くんと僕の家だ。お前が入っていい場所じゃない。早く出てけよ、あばずれ泥棒猫」


沸騰して煮えたぎった頭の中とは正反対に、考えていることが脳を通らずに口から溢れていく。息も苦しい。涙のせいで視界もおぼつかない。もうこんなところにいたくない。それでも、自分の体はここにいたがった。この外道に制裁を下さないと、怒りはおさまらない。そんなの、とっくに自覚している。


「早く出てけってば!」


手近に落ちていたペンケースを投げ、机の上の教科書やノートを払い落とす。勉強なんかしていなかったくせにきれいに形式的に置いて、僕があの時ノックでもしてから入っていれば、何もなかったように取り繕ろうつもりだったのだろうか。


「落ち着けよ、葵!」


「ッ、……い、った…」


壁に体を強く打ち付けて、ズキンと痛む頭に手を添えた。頭の中がぼんやりして、歪む視界の中泣きながら壮真くんに抱きつく千紘を見ながら舌打ちをする。引き剥がしてやろうと立ち上がろうとしたが、足元がおぼつかずすぐに倒れてしまった。


「僕が…っ、僕が誰よりも壮真くんの近くにいたのに!」


冷ややかな視線を向けるふたりに、僕ができることはもう何もなかった。それでも、昂ぶった頭は冷えず口からは自己中心的なことばかりが漏れていく。言ったって、彼らには響かない。頭おかしいやつだって思われてるんだろうな、と自虐的に笑った。


「愛される努力も…側にいる努力もした。なのに…なんで?なんでぽっと出のあいつなんかに、僕の壮真くんを盗られなきゃいけないんだよ…」


ぽろぽろと涙が溢れる。泣きたいわけじゃない。泣くことが僕にとって不利になることくらい、わかっている。でも、自分ではもうどうもできなかった。鈍く痛む背中から、痛みがじわじわと広がって全身を支配する。でもその痛みが、壮真くんからのものだって思うだけで、僕の息子はずくずくと疼いていた。


やばい、このままじゃ、もっと…




「壮真。これはどういう状況だ」




瞬間、ぴり、と空気が張りつめる。壮真くんにばかり気を取られていて、声がするまで気がつかなかった。普段は温厚なおじさんの地を這うような低音に、頭のてっぺんから指先まで動かせなかった。


「お前の口から説明しろ。どういう状況だ」


息をするのもままならないほど、重く、場を支配する声に背筋が凍る。その背中をそっと優しく撫でられ、抱きしめられた。…壮真くんと同じ、優しい石鹸の匂い。いつも嗅いでいるし、僕からもしているはずのその匂いに、今はなぜか涙が止まらなかった。


「平気か、怪我は?」


「背中、が…痛くて」


「あとで病院に行こう。これからだから隣町の大きな病院に行くことになるけど…」


「いっ、行かなくて大丈夫。僕は大丈夫だよ」


「本当に大丈夫か確認するだけだ」


「親父!!」


焦ったような大声が僕とおじさんの会話を引き裂く。チッ、と舌打ちをした壮真くんは、僕をきつく睨みつけながら人差し指を一本、真っ直ぐ向けた。壮真くんの腕の中にいる千紘は、冷めきった瞳で僕を見ている。


「そいつが加害者、俺らが被害者だ!ふたりで勉強してただけなのに急に怒鳴りながら部屋に入ってきて、千紘を蹴って部屋を荒らしたんだよ!」


「……壮真、」


づかづかと大股で壮真くんのもとへ歩いたおじさんは、右手を振りかぶり容赦なく振り下ろす。乾いた殴打の音がして、壮真くんのうめき声がした。助けなきゃ、止めなきゃ、と思うのに体は硬直して動かなくて、誰にも聞こえない声で「もうやめて…」と力なく呟いた。


「葵」


廊下から、しわがれた声がする。


ゆっくりそちらへ向くと、しわくちゃで腰も曲がっているのに誰よりも凛とした出で立ちの祖父が視線を壮真くんとおじさんの方へ向けていた。


「病院へ行くために着替えてきなさい。私は留守番して壮真たちと話すから、…澄人。清子と一緒に葵を病院に連れて行ってやってくれ」


「……はい。父さん」


部屋を出ていくおじさんの背中を追って、立ち上がる。背中は先程よりも強く痛み、ひりひりと広がっていくようだった。部屋を出る際になって、二人の姿をそっと見る。この世の全てに絶望したような瞳をしている壮真くんは、そっと、その視線をこちらへ向けた。…また、下半身が疼く。


どれだけ傷つけられても、苦しめられても、それが壮真くんから貰えるものなら嬉しい。


あぁ、もう、どこにも行けないほど、もがけないほど、壮真くんに堕ちてしまったんだ…。





ーーー





「本当に夜ご飯いらないのか?」


「大丈夫。…もう、夜も遅いし」


「そうか。部屋にいられないなら、客間で寝てもいいんだぞ」


「それも大丈夫。言ったでしょ。僕、壮真くんのこと嫌いになってないよって」


「……おやすみ」


「うん。おやすみ」


階段をゆっくり登って、深呼吸をする。胸に手を当てると、どくどくと早鐘を打っていた。それを落ち着かせるように肩で呼吸をして、そっと扉を開ける。


「…壮真くん」


「……」


「えっ、なに、して…」


部屋に広がっていた空間から、壮真くんの空間がなくなっている。中学の修学旅行用に買ったスーツケースに最低限の物を詰め込んでいる壮真くんは、それ以外のものを全て半透明のゴミ袋に詰めていた。


「なっ、なにしてるの…?」


「何って。見てわかるでしょ?…荷造り。じいちゃんに千紘と一緒にいたいなら出てけって言われたから、出てく」


「なんで…なんでそんなに、」


「好きだから。あいつが好きだから」


「理解できな…」


い、と言いかけて、口をつぐむ。そんなこと、壮真くんですら嘘だって気づくはずだ。…僕も、同じ。僕がおじいちゃんにそう言われても、同じことをする。


「…それに」


「……?」


「俺がいないほうが、葵にとってもいいでしょ」


は、と笑い声が溢れる。一向に視線を合わせない壮真くんの前に座り込んで、彼の肩を強く掴んだ。

何もかも小さい頃とは違う。それでも、僕が永遠の愛を誓ったあの頃の壮真くんの面影が残っている。いくら壮真くんが変わろうと、僕の愛は変わらない。だから、お願い。僕だけの壮真くんに、戻ってよ…。


「いいわけない!僕の世界には、君しかいない!!」


「…離して、どいて」


「壮真くんが僕の全てなの!捨てないで!置いてかないでよ…!」


「それがダメなんだよ!」


「っ!」


急に視線が合って、鼓動がいっそう高鳴る。こんなに近い距離で話すのなんて、いつぶりだろう。


「俺らはいとこだ!その境界線は超えちゃいけない!」


「いとこじゃないっ!!」


とたんに部屋が静まり返る。


何を言ったのか自分でも理解できなくて、無意味に自分の口元へ触れた。


「…は?」


だんだんと自分の言ったことの重大さが身にしみて、同時に、熱くなっていた頭が冷えていく。細かく呼吸をして、掴んでいた壮真くんの肩を離した。


「……僕と壮真くんに、血の繋がりはないよ。僕は、おじいちゃんの代議士時代の秘書の子。…捨てられたんだ。代議士として成功していく人生に、妻に捨てられて押し付けられた僕は邪魔者だから」


「………信じろって言うの?」


「信じないなら、僕の両親はどこにいると思うの?」


「……なんで、言わなかったの」


「…言ったら、壮真くんに嫌われるかと思った。僕は、いとこだから壮真くんのそばに居られるんだし」


「なんで……」


意味もないその言葉を繰り返す壮真くんは、ゆらゆらと綺麗に揺れる瞳を、僕に向ける。震える手が、まるで慈しむかのようにそっと頬に触れた。


「じゃあなんで俺は、お前を諦めたんだ…?」


「え?」


部屋の中が静まり返り、ぱちくりと何度も瞬きをする。夢なのかもしれない。壮真くんがそんなこと言うなんて、夢であること以外に理由が見つからない。だから違う。自惚れるな、と言い聞かせながら、頬に触れる壮真くんの手に、自分の手を重ねた。


「……キス、しようか」


「………」


「そんなに俺が好きなら、キス、しようか?」


リップ音なんか響かない、そっと、触れるだけの口づけ。それでも、その一瞬を閉じ込めてしまいたいくらい、優しくて、甘くて、だけど、僕が望んでいたキスじゃない。


壮真くんの中には千紘しかいなくて、僕はいとこじゃないと知ってもせいぜい幼なじみ止まり。たったひとつの、一瞬にも満たないキスで、それを痛いほど自覚させられた。


「………キスだけなの?」


でも、強欲な僕の本能は、“わかってたよ”って素直に理解しようとはしない。壮真くんがその先に進もうとしないなら、


「キスのその先は、してくれないの?」


僕が、強引に踏み込んでやればいい。


「…何言ってんの。葵とは出来ない。たとえ血が繋がってなくても、弟みたいに可愛がってた子なんか抱けないよ」


「じゃあ僕を千紘だと思って抱けば?…あの時、僕が割り込んだからイケなかったんだよね?不完全燃焼〜って顔に書いてたよ」


「葵」


「そもそも千紘ってどー見ても受け身だよね。騎乗位してたけど腰使い下手だったな〜。僕は上手にできるよ。だって精通してから毎日後ろでオナニーしてるもん」


「もうやめて、葵」


「僕のこと壊しちゃってもいいよ?壮真くんに壊されるなら、僕は本望だから。だから…ね?壮真くん。セックス、しよ?」


ベッドのきしむ音がする。


天井と眩しい蛍光灯を背景に、ひきった笑みの壮真くんが僕に馬乗りになっている。


あぁ、もう夢でもいいかも。


「…酷くしても、後悔しないでね」


「うん…っ♡」


壮真くんが、目の前にいる。


僕だけを見ている。


その事実が、僕にとっては何よりも幸福だった。


どれだけ盗撮行為をしても、つきまといをしても、


満たされることのなかった欲望。


壮真くんに抱かれるという、本望。


ついに果たされるんだ。


結ばれるエンディングは、確かに夢物語かもしれない。


それでもこのセックスだけは、


僕らの物語の山場になるって、確信できる。





ーーー





「………」


小さな明かりに照らされて、仰向けに震える蝉がジジ…とうめき声のようなものを漏らしている。寂れたベンチ深く座り背中を預けると、今にも壊れてしまいそうな鈍い音が鳴り響いた。


「…なぁ」


そう声がした方を向くと、ラフな格好をした見知らぬ青年がスーツケースを片手に立っている。…季節は秋の入りだから、少し遅い帰省だろうか。着ているものや風貌からどことなく千紘を思い出してしまい、すぐに顔を反らした。


「灰皿あるってことはここが喫煙所?」


「……喫煙所、ではないですけど…地元の人が灰皿置いてて…溜まり場兼、集合所…みたいなかんじで……」


「喋り方トロすぎね?もっとハキハキ喋んねえと聞こえねえんだけど」


酷い言い草だ。…酷い言い草な、はずなのに、傷つかないのは何でなんだろう。


蠢く蝉を見つめながらそうぼーっとしていると、ふと青年が目の前にやって来てそれを踏み潰す。とたんに響いていた蝉の声は止み、その靴先から滑るように彼を見上げた。…やっぱり見れば見るほど、千紘に似ている。


「お前、この町のやつ?」


「…となりの村、ですけど」


「田舎者じゃねえか」


ん、とタバコを一本渡される。反射するようにそれを受け取るが、すぐにベンチの脇に置いた。


「すみません、未成年なんです」


「いやそれはわかるけど。嫌なことでもあったんだろ?パーッと吸って楽になれよ」


「……成人したらまたください」


「うわーいい子ちゃんな優等生」


「ありがとうございます」


「褒めてねーよ」


どかりと隣に座られ、少しこちら側のベンチが浮く。足を地面にぐっとつけるために前かがみになりながら、タバコに火を付け煙を吐くまでの一連の流れをじっと見つめた。


「…なに、イケメンで惚れた?」


「いえ。まったく」


「あっは、かわいくね〜♡」


頭をぐしゃぐしゃに撫でられて、頭がぐらぐらと揺れる。大声で笑いながらふんぞり返ってタバコを吸う姿を盗み見てから、そっと潰された蝉の死がいを見やった。


「あの…名前、なんていうんですか?」


「あ?なんで?言ってもいいけどお前が先な」


「……板垣葵です」


「俺は湊優里」


「湊……あぁ、やっぱり」


記憶にしっかり残っている、半年前の千紘の一言。


『湊千紘、です。東京から来ました…』


思い出したくもない記憶を自ら引っ張り出しながら呆れたように笑い、これが運命ってやつなのかもな、なんて考える。


「……お前さ」


「…はい」


わざわざ弟がいるのか、とか聞くのも初対面なのに変だろう。そう思うと言い出せなくて、結局彼…優里の投げかけで有耶無耶になってしまった。


「今更だけど、なんでこんなとこいんの?」


「……僕は、」


『こんな勝手して許されると思うなよ…!そもそもなんで壮真が家を出るんだ。この家の息子は壮真以外に居ない。父さんは許していたが…もう限界だ。お前の居場所なんて、この家はもとより、この世界の…』


「この世界のどこにも、居場所が無くて」


もがいても、這いつくばっても、もうどこへも行けない。いっそ、この蝉のように潰されてしまえば楽なのに、そんな人もいない。僕は、文字通りの、独りぼっちだから。


「じゃーさ」


「…?」


「俺に着いてくる?」




悪魔の、声がする。


でも、地獄へ堕ちた僕には、




「…僕、何もできませんよ」


「期待してねぇよ。まぁ…でも」


ぐいっと強引に顎を掴まれる。目と鼻の先に憎くてたまらない千紘と似た顔が現れて、必死で目線を泳がせた。


「セックスは上手そうだな」


「…なんですかそれ」


「野生の勘ってヤツだな」


「気持ち悪いですね」


「その生意気な言い方好みだわ」


何言っても綺麗にかわされ、手のひらで転がされている気分だ。…それでもやっぱり、嫌な気はしない。必死で追いかけたり、必死で取り繕ったり、そんな日々に疲れてしまった僕にはこういう人が必要なのかもしれない。


「…着いていきます」


「おっ、じゃあ…」


「だから」


今度は、自分の意志で顔を上げる。


自分に言い聞かせるように、心の奥底から声を出した。


「だから、千紘と壮真に復讐をさせてください」


「……あっは、何?千紘の知り合いだったの?」


じゃあ母さんが言ってた地主の子って…というつぶやきが聞こえる。周りに気を使いすぎることで得た地獄耳というスキルは、こんな時にも発揮されてしまった。


「いーよ。ふくしゅー、手伝ってあげる」


優里の顔が近づいて、首に手を回される。触れるだけの口づけじゃない、じゅっ、と吸い付くキスをされ、先程まで人に抱かれていた身体はそんな行為にも痺れるように震えた。




悪魔からの、契約のキス。


それは、地獄に堕ちた僕への、



『やっぱりお前は、あいつの息子だったんだな…』



罪の烙印だ。

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