最終話
大きな流れがきている、と感じていたイラフであったが、それはわずか二日後には途切れることとなった。
その日彼はラプテンを含む自身の派閥、すなわち王弟派の主要な面々を引きつれて現国王の見舞いのために王城を訪れていた。
通路のど真ん中を肩で風を切って歩いていく彼らを、王女派や王子派の貴族たちが時には羨ましがるように、時には悔しがるように見つめていた。
それもそのはず、イラフはフードの男が持ち込んだ解毒剤を薄めた品をその日の内に王へと献上していた。
そして翌日、つまりは昨日の段階で王の容態が快方に向かい始めたと王都中に知らされていたのだ。詳しい話は民には伏せられていたのだが、情報通の貴族たちの間には誰が持ち込んだ薬なのかは既に知れ渡っているのであった。
国王の私室等がある一角――イラフの本来の部屋もここにあるのだが、城下にある邸宅で過ごしていることが多い――へと続く扉からは丁度主治医であるズサー名誉男爵が出てくるところだった。
「これはズサー殿、陛下の病症について何か分かりましたかな?」
ラプテンの投げつけた皮肉にズサーは体を縮めこませて道を譲る。
「止めんか。たとえ何もできなかったとしても先日まで兄上の命を繋いでいたのはズサーなのだぞ。もっとも私にそんな無能は必要ないがな」
部下を窘めると見せかけておいて、イラフから止めの一言を見舞われたズサーは今にも倒れそうなほど真っ青な顔をしていた。それを見たラプテンたちは声を上げて笑いながら扉を潜っていった。
そこに待ち構えていた侍従長に王の見舞いにきた旨を伝えてしばし待つ。
「陛下の御容態は一時に比べるとかなり良くはなっておりますが、まだまだ全快には程遠い状態です。できましたら今日お会いになるのはイラフ様ともうお一方だけにして頂きたいのですが、いかがでしょうか?」
長年王家に仕えてきた侍従長の進言を無碍にもできず、イラフと配下の貴族を代表してラプテンが見舞いに行き、残る者たちはイラフの私室で待つということになった。
侍従長を他の者たちの案内に回してラプテンと二人で王の寝所へと進む。毒に冒されて青白くなった王の顔を思い浮かべるとつい口角が上がってしまいそうになる。
もうすぐ、もうすぐだ。
もう少しでこの国の全てを手に入れることができる。
逸る気持ちを懸命に抑えながら王の寝所までも道のりを歩いていく。
そしてついに衛兵が開けた扉を潜りその部屋へと入った。
「お加減はいかがですかな、兄、う、え……?」
挨拶の言葉は途中で消えてしまった。
なぜなら毒で寝込んでいるはずの王が目の前に立っていたからである。
「おお、イラフか。見舞いに来てくれたのだな。見ての通り随分と良くなった」
「そ、それはようございました……」
張りのある声で話す王にそう答えながらも、イラフは内心混乱していた。なぜなら、彼らが贈った解毒薬は相当薄められていて、精々数日間寝床から上半身を起こすことができれば御の字、といったものだったからだ。
立ってまともに受け答えができるほど回復するなどということはあり得ないことで、視線を動かすとラプテンもまた何が起きているのか理解しきれておらず呆然としていた。
「しかし、久しぶりにベッドから起き上がることができたというこの良き日に、大罪人を捕らえねばならないというのは悲しいものがあるな」
イラフたちがその混乱から立ち直ることができない内に、王の口からさらなる衝撃の言葉が飛び出すこととなる。
「イラフよ、お前とお前の派閥の貴族たちを捕らえさせてもらう」
その一言と同時に鎧姿の兵たちが一斉に寝所へと乗り込んでくる。
「な!?兄上!これは一体どういうことですか!?」
「お前たちの罪状はイーヤと組んで余を毒殺しようとしたことだ」
「それは違います!それを計画していたのは――」
「私だと言いたいのか?」
弁解の言葉を遮って響いてきた声を聞いて、イラフは今度こそ頭が真っ白になった。
兵たちの間を縫うようにして現れたのは、フードの男から死んだと聞かされていたサンディーだった。
「そうそう、私だけでなくサンディーの命も狙っていたそうだな。そのことも罪状に追加しなければならん。こんなことを実の弟に言いたくはなかったのだが……。イラフよ、楽に死ねるとは思わないことだ」
王の悲しみを帯びた、しかし毅然とした瞳に射すくめられてラプテンはがくりと膝をつく。一方、イラフはまだ終われないとばかりに必死に頭を巡らして言葉を紡ぎ続けていた。
「謀略だ!これは何者かによる私を陥れる謀略です!私はあの戦争でイーヤと真正面から戦ったのですぞ!そんな私がイーヤと手を組むなどあり得ないことだ!」
「ならばこれをどう説明する?」
なおも言い繕おうとするイラフを再び遮って、サンディーは懐から取り出した小さな何かを操作し始めた。
するとそこから、二日前のフードの男との会話が流れ出してきたのだ。
「ふむ。申し開きがあるのなら聞こうか」
王が何か言っているようだが、全く頭に入ってこない。あの部屋には魔法で結界が張られていたはずで、盗聴することなどできないはずだ。
そもそもあれは一体何なのだ?会話を閉じ込めたり開放したりする魔道具など聞いたこともない。
「お、終わりだ……。へ、陛下!全てはイラフ様が、いや、このイラフが企んだことです!我々は、いえ私はイラフに言われて仕方なく従っていたのです!」
突如ラプテンが叫び出し、イラフたちの計画を白状していく。
「貴様!?何を言うか!」
慌てて止めようとするが、時既に遅し。兵たちに腕を捻り上げられ床に押し倒されてしまう。そしてラプテンもまた王に縋り付こうと這い寄ったところを取り押さえられていた。
「陛下、イラフ様の私室にいた者たちも捕縛が完了しました」
「うむ。この者たち共々牢に入れておけ。自害などされぬようにしっかりと見張りを付けるように」
「はっ!」
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こうしてイラフを始め王弟派の主だった貴族たちは牢に入れられ、更にそれ以外の派閥の者たちも数日の間に次々と捕らえられていくことになる。
彼らとイーヤとの関係は公に取り立たされることこそなかったが、この一件以降イーヤとの国境沿いにある村々で暗黙の了解として行われていた交易は厳しく取り締まられることとなる。
その代わりに大森林にあるゴブリンたちの集落との交易が活発に行われるようになったため、ウィクル王国内では不満の声が上がることはなかった。
また、事件解決の裏に奇妙な竜車に乗った行商人がいたことを知る者はほとんどいない。
この事件の翌年、ウィクル国王は第一子である王女に王位を譲り、サンディー女王が誕生することとなる。
その治世はウィクル王国の長い歴史の中でも有数の繁栄期であり、これまでで最も優れた王に彼女を推す者は多い。
そんな今日でも人気の高いサンディー女王であるが、彼女には一つだけふいに城から抜け出すという悪癖があったと伝えられている。大抵は翌日、長くても数日の内に戻ってきていたとされるが、どこに行っているのか、誰一人として見つけることができなかったという。
ただ、彼女がいなくなった時にはいつも不思議な二頭立ての竜車が王都にやって来ていたという話もある。
そして帰って来る際には、見たこともない菓子をお土産として大量に持っていたそうである。
おわり
〈宿屋しんせかい〉にようこそ! 京高 @kyo-takashi
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