第10話

 ジクウが新世界から戻って来た時には、竜車は王都近郊に辿り着いていて神獣たちはのんびりと休憩を取っていた。

 その後城門まで進めてみたのだが、日が落ちたことで既に門は閉じられており、番をする兵士からは「夜間の出入りは何人であっても禁止されている」という杓子定規な回答を頂いたのであった。


「サンディーさんの名前を出しても良かったんだけど、今はまだ目立つ真似は控えておこうと思って」

「それでいい。覗き窓から見たところ、あれはイラフ側の兵のようだったからな」


 もきゅもきゅと唐揚げを頬張りながら先ほどのやり取りを伝えるジクウに、サンディーもまた卵焼きを口に運びながらそう答えた。

 普段であれば行儀が悪いと注意するはずのマディンは会話に耳を傾けてはいるものの、目の前の弁当に掛かり切りになっている。


 真夜中というほどではないが、日が暮れてからそれなりの時間が経っている。

 星空のもとでの食事というのも乙なものではあるが、流石に今の状況では止めた方がいいだろうということになり、サンディーたちのいる箱車の中で取ることになったのであった。

 闇に包まれた外とは違って、箱車の中は煌々とした明かりに照らされている。

 そしてもちろん出されている弁当は〈宿屋しんせかい〉で作られたものだ。


「という訳で、襲撃してきた彼らには先に解毒剤を渡してきた。ただ、相当長期に渡って投与されてきたみたいだから、毒が抜けきるには数カ月から一年近くかかる人もいるかもしれないな。王様の方は多分一週間もあれば元気になると思う」

「手を尽くしてくれたこと、感謝する。それにしても毒で配下を縛るか……。数十年前の戦争の時にもイーヤの兵たちは死に物狂いで攻めてきていたという。もしかすると彼らにも毒が使われていたのかもしれないな」


 ジクウから新世界での襲撃者たちとのやり取りの報告を受けたサンディーは、イーヤの非道な扱いに遣り切れないとばかりに大きく溜め息を吐いた。


「元々イーヤは複数の民族を現王家の一族が力で支配して形作っていったという経緯がありますから、民というより奴隷のような扱いなのかもしれませんな」


 マディンが追加で解説する。王女直属の部下だけあって隣国の歴史にも詳しいようだ。

 それと毒の特定や解毒剤の生成については二人とも「新世界だから」で納得することにしたらしい。まあそうすることで精神の均衡をはかっているのかもしれないが。


「イーヤの内情はともかく、今の所サンディーさんが襲われる危険はほとんどないと思う。彼らに聞いた話だと、イラフの所にはイーヤの関係者は潜んでいないようだし。強いて言うなら窓口役になっている配下の貴族が内通者だといえるかもしれない、くらいかな。ここまで戻って来ていることすら知らないかも」

「そうか。しかし折角ここまで来たのに油断して足元を掬われては元も子もない。事が済むまでは慎重に動くことにしよう」

「それは確かに。それで、これからのことなんだけれど……」


 その後、箱車の中の話し合いは日付が変わる頃まで続けられたのだった。



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 王弟派の貴族、ラプテン子爵の屋敷に奇妙な竜車が訪れたのは太陽が中天を過ぎた頃だった。

 二頭の竜に引かれたそれには一人の男と、彼よりも小さい子どもと思われる者が二人乗っており、彼らはそれぞれ大きめのローブを纏い、目元までを隠すように深くフードを被っていた。


「怪しい奴!そこで止まれ!」


 門の前に立つ衛兵が竜車へと槍を向けると、御者台に座っていた男が慌てて飛び降りて来る。


「このような格好で失礼いたします。私はある商会に属する行商人でございまして。この度私の主人からラプテン様にとある品をお渡しせよと厳命を受けて参りました。こちらが子爵様の御屋敷で間違いありませんでしょうか?」

「確かにここがラプテン子爵の屋敷だ。それで子爵様への品というのは何だ?」

「これにございます」


 フードの男が懐から取り出したのは、光の具合によっては赤にも見える一房のブラウンの毛だった。それを小さな巾着袋と一緒に衛兵に渡した。


「これは……髪の毛か?誰のものだ?」


 特に何かを気にした様子もなく巾着を仕舞いながら、差し出された毛を太陽にかざして問いかけてくる。


「私はただの使い走りですので詳しいことは何も。ただ、子爵様に見てもらえればそれで分かると言われております。それと主人からは確実に御本人に渡すようにと言い含められて参りましたので、お忙しいこととは存じますがお会いする機会を設けて頂きたいのです」


 男の言葉に衛兵は少し思案した後「少し待っていろ」と近くにいた庭師らしき者に言伝て、屋敷の中に走らせる。

 しばらくすると、身なりの良い初老の男性が入り口から姿を現した。


「旦那様に会いたいという行商人はあなたですかな?」

「お初にお目にかかります。主人からそちらの物を届けるようにと言われて参りました」


 男は衛兵の持つ一房の毛を指差してそう言うと、再び懐から巾着袋を取り出して初老の男にも手渡した。


「ふむ。ラプテン様は今王城へと出向いているが、予定ではもうじき帰ってこられるはずだ。この場で必ず会えると確約はできんが、私からも一言添えてみよう。そちらの竜車を置いて、屋敷の中で待つがよい」

「御配慮感謝いたします」


 初老の男に連れられて外からよく見える庭の一角に竜車を停めると、男と二人の子どもは屋敷の中へと通される。

 案内されたのは薄暗く狭い一室だった。壁には申し訳程度に美術品が飾られていたが、一見して価値の低いものだということが分かるものばかりだ。一応客室ではあるのだろうが、その等級は二級どころか三級、下手をすればもっと低いものかもしれない。

 それでも追い返されなかっただけマシというものだろう。袖の下の効果はあったと思いたい。


 それにこちらは名乗りもしなかったのに簡単に屋敷の中へと引き入れたことも気になる。恐らくは名乗ることのできない相手が頻繁に訪ねてきているということなのだろうが、罠に掛けられている可能性も無くはない。


「部屋の外はどうだ?いるか?」


 子どもの一人に問いかけると、コクコクと頷く。


「踏み入って来る気配はあるか?」


 もう一人に聞くと、今度はフルフルと首を横に振る。

 どうやら警戒はされているが、罠ということではないようだ。あくまでも見張り――というには少々示威行為が過ぎる気がしないでもないが――という訳だ。


 その時になって例の毛を初老の男に渡したままになっていたことを思い出したが、問題ないと椅子――ソファではなく使用人が使う様な安物――に腰かけ直す。

 肝心なのはラプテン子爵本人にそれが渡されることであって、彼が直接渡さなければいけないというものではないのだ。

 男たちはフードを深くかぶりなおすと、余計な体力を使わないように時間が過ぎていくのを待つことにしたのだった。


 ラプテンとの面会が叶ったのはそれから二時間ほど後のことだった。面会の予約もなしに貴族の元を訪れたにしては異例の早さである。

 それでも待つ身としてはやはり二時間は長い。初老の男の後ろを付いて歩きながら、固まった体の節々をほぐしていく。

 そうこうしている内に男は二人の子どもと一緒に執務室らしき部屋へと辿り着いていた。


「旦那様、こちらの者が持ってきた物を預かっております」

「見せてみよ」


 挨拶もなしに例の一房の毛を渡されると、ラプテンは目を見開いた。


「これは!?すぐに出かける!馬車の準備をしろ!」

「はっ!」

「お前たちにも付いて来てもらうぞ」


 初老の男に指示を出すと男たちに向き直ると、それだけ告げて慌ただしく部屋を出ていった。


「子爵様の仰せのままに」


 恭しく頭を下げた男の口元に笑みが浮かんでいたことには気付くこともなく。



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 ラプテンの馬車と男たちの竜車が向かったのは、王城に程近い場所にあるイラフの私邸であった。

 初代国王が秘密の邸宅を持っていたということもあり、ウィクルでは王族が私邸を持つことは珍しくない。


「私だ。イラフ様は御在宅か?」

「これはラプテン子爵様、ようこそいらっしゃいました。イラフ様は先ほど城よりお戻りになっています」

「そうか。後ろの者たちは私の連れだ。通らせてもらうぞ」

「はっ!」


 いつの時代からか、そこは主に子飼いの貴族たちとの交流の場サロンとして提供されることになっていたため、ラプテンが馬車から顔を出して衛兵と言葉を交わすと、同行していた竜車もまたあっさりと通されたのだった。


 珍しく誰も訪れていないのか、私邸の中は驚くほど静かだった。そんな中を子爵と共に歩いていく。

 一人の使用人ともすれ違うことなくある部屋の前に到着した。


「イラフ様、ラプテンです。火急の用件があり参りました」

「入れ」


 ノックをして呼びかけると中から短く返事があった。それに伴って重厚な扉が中へと開かれていく。どうやら部屋の中の方に使用人がいたようだ。更に入ってすぐの壁際には屈強な男たちが目を光らせていた。


「どうぞ」


 これぞ執事!という恰好の男が入室を促す。


「必要があれば呼ぶ。それまでは下がっておれ」

「畏まりました。それでは失礼いたします」


 使用人たちを部屋の外に出すと、イラフはこちらへと向き直った。服の上からでも分かる肥満体型にだらしない顔つきをしている。

 数十年前の戦争では死兵となって襲いかかって来るイーヤの軍相手に一歩も引かず、ウィクルにその人ありと謳われた武人と同一人物とはとてもではないが思えない。

 また、そんな人物が今ではイーヤと手を組んでいるのだから世の中――というより政治の世界か――は分からないものである。


「火急の用と言っていたが、何があった?」

「そこにいる使いの者が、つい先ほどこれを持ってきました」


 ラプテンが差し出した例の毛を見てイラフが唸る。


「これだけか?予定とは異なるようだが?」

「恐れながらその辺りの説明は私の方からさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」


 不審がるイラフを見て、フードの男が一歩前に出てそう口にした。


「構わぬ」

「ありがとうございます。……とその前に、こちらの部屋ですが声が漏れたりするということは――」

「ない。魔法で結界を張っている」


 その瞬間、子どもの手元でカチリと小さな音がした


「そこのわっぱ!何を持っている!」


 ラプテンが上げた突然の大声に、子どもたちの肩がビクリと大きく震える。


「こら、お客様の前ではしたないぞ。手を開いて見せなさい」


 しかし男はそれにも動じず普段通りの落ち着いた声音で子どもたちに言い付けた。観念したように一人の子どもが手を開いて見せると、布に包まれた数個の飴玉が出てきたのだった。


「お騒がせして申し訳ありません。なにぶん子どものしたことですので、御寛大な処置をお願い申し上げます」

「……次はないぞ。よく言い含めておけ」


 飴玉などという予想外の物の登場に毒気を抜かれたのか、イラフはそう言うと子どもたちから視線を逸らした。ラプテンもまたそれに倣う。

 ゆえに彼らはもう一人の子どももまたその掌の中に何かを握り込んでいたということに気付くことがなかったのだった。


「それでは本題に移らせて頂きます。イラフ様方のご協力のもと、サンディー王女を誘い出した我が部隊は予定通り追い詰めることに成功しました。しかし、後はその首を刎ねるのみとなったところで、彼女は魔法を用いて従者ともどもその身を焼くことを選択したのです!我らも急いで対処をしたのですが、あと少し及ばず、その一房の髪の毛しか確保することができませんでした……」


 フードの男が一通りの説明を終えると、イラフは不機嫌であることを主張するように「フン!」と鼻を鳴らしていた。


「小娘一人の首も取ってくることができないとは、イーヤの特殊部隊というのも案外大したことがないようだな」

「面目次第も御座いません。その代わりと言っては何ですが、こちらの物をお納めさせて下さい」


 男は再びその懐を漁ると、液体の入った小瓶を取りだした。


「これは?」


 ラプテンを経由して小瓶を手にしたイラフは中身を見極めようとしているのか、光に透かしたりしている。


「例の病の特効薬になります。水で薄めることで緩和させる症状の度合いを変えることもできますので、イラフ様であれば有用にお使い頂けるかと」


 男の台詞にイラフたちは大きく目を見開いた後にんまりと笑みを浮かべた。

 これさえあれば王の容態を一時的に改善させることもできるし、入手経路がバレて毒を飲むことを強要された場合の保険にもなる。王子派の連中のとの主導権争いを一気に終わらせることも可能だろう。

 サンディー王女については一抹の不安は残るが、今更イーヤが彼女の側に付くとは考えられない。この男の証言通り死んだとみて間違いないだろう。


「お詫びの意味もありますが、いかに我らがイラフ様の即位を望んでいるかの証になればと考えております」


 深々と頭を下げる男たちを横目に、イラフは大きな流れがきていると感じるのであった。

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