第9話

 ジクウがやっとの思いで〈宿屋しんせかい〉に辿り着き――たかだか百数十メートルなのだが――入口の戸を開けると、アカミネが驚いたような顔で立っていた。


「おかえりなさい。でもこんな時間に帰って来るなんて何かあった?急いで王都に向かっているんでしょう?」


 帰る早々マシンガンのような勢いで尋ねられ、疲れが倍増していくような気がする。


「アカミネさん、質問は一つずつお願い。それと水を一杯下さい」

「はい、どうぞ」


 タイミング良くクロサワがコップを差し出す。いささかタイミングが良過ぎる気もするが、ここはそういう世界であり、彼女たちはそういう存在なのだから仕方がない。

 むしろどうしてアカミネが驚いていたのか、という方が謎である。


「つい創作料理にのめり込んじゃっていて」


 てへ☆とおどけて見せるアカミネを横目にコップの中身を一気にあおる。


「似合わないから止めた方がいいわよ」

「ええ!?そんなことないわよ!」


 言い合いを始めた二人を意図的に意識の外に置く。本当はクロサワの言う通り、綺麗系の顔立ちのアカミネがやっても違和感しか覚えなかった。まあ、それは他の女性陣にも言えることなのだが。

 どうせならもっと可愛い系の女の子にやってもらいたいものである。


「……ノーコメントで」


 気が付くと二人が何やら言いたげな顔でこちらを見ていたが、触らぬ神に祟りなし、口は災いの元。知らぬ存ぜぬを押し通すことにする。


「団体さんの様子はどうですか?」

「食べ過ぎてパンパンになっていたお腹も落ち着いてきて、ほとんどの人が一眠りしているところね。風邪をひくことはないでしょうけれど、一応薄手の布団をかけておいたわ」

「話があるなら起きてもらうけれど?」


 アカミネの言葉にジクウは首を横に振る。


「あの人たちも疲れているだろうから寝かせておいてあげて下さい。それに話をするための情報を精査する時間も欲しいですから」

「そう言うと思って。……はい。彼らの情報をまとめてあるわ」


 と、クロサワはどこからともなく紙束を取りだす。そのあまりの分厚さに若干顔を引きつらせながらもそれを受け取った。


「それと、事務室に来るように言ってあるから、そろそろ皆集まっている頃よ」


 何とも手際がいいことだ。


「それじゃあ彼らをどう取り込むか、悪巧みと行きましょうか」


 サンディーたちに聞かれれば不謹慎だと怒鳴られかねない台詞を口にすると、ジクウは残る女性陣が集まっている事務室へと足を向けるのであった。



〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□



 夕方、赤みが差した太陽が西の空に輝く頃、襲撃者たちは揃って露天風呂に入っていた。


「隊長、やはりこれはウィクルの罠なのでしょうか?」

「分からん。だが禁呪である転移魔法に手を出すという重大な違反をしている。つまりこちらにもまだ目があるということだ」

「上手く出し抜けるでしょうか?」

「足掻くしかないだろう。座して死を待つ訳にはいかないからな」


 物騒で悲壮な会話を交わす隊長たちであったが、その顔は温泉の効能によるものかすっかりふやけきっていた。

 よく見ればその他の者たちも皆一様に気の抜けた顔つきになっている。


 突然神獣たちの攻撃を受けて一時は死を覚悟していたというのに、気が付いてみれば見たこともないような豪華な食事が並べられていたのだ。ここ数日の強行軍の反動もあって、全員がもれなく出された食事を動けなくなるまで腹の中に押し込むことになる。

 そして敵陣の最中で眠りこけるというありえない失態の衝撃から脱却する間もなく、今度は露天風呂に放り込まれてしまっていた。


 冷静に思考する間も与えられず、押し寄せる怒涛の歓待に完全に押し流されている状態だ。

 今は小難しい言葉を口にすることで辛うじて己の使命を忘れずに済んでいるが、果たしてそれもいつまで保つことができることやら。

 苦痛による責めの方がよほど簡単に対処できる。既に部下のほとんどが使い物にならなくなっていると思われた。


「お、揃っているみたいだな。お邪魔するよ」


 馴染み過ぎて逆に場違いに感じられる能天気な声が響き渡ったのはそんな時だった。

 反応できたのは隊長に彼と話していた副官を含めて十名。全体の半数ほどだったが、その声の正体に気付いた者となると、更にその半数の五人にも満たなかった。

 入ってきたのは襲撃に失敗した相手であり、神獣を使って彼らを捕らえさせたジクウだ。


 思い返せば昨日この男が箱車に消える時、こちらを見て笑っていたのを見たときから嫌な感じがしていた。あの時点で既に自分たちは詰んでしまっていたのだ。

 最初の襲撃にさえ失敗していなければこの男に会うこともなかっただろうと思うと、返す返す部下の暴走を引き起こしてしまったこと、つまりは手綱を握りきれていなかったことが痛恨の極みに感じられるのだった。


 しかしいつまでも悔恨の念に囚われている訳にはいかない。なんといっても今のこの状況は起死回生の絶好の機会なのだ。

 ジクウは供を付けることもなくたった一人なのに対して、こちらは総勢二十人を超える。今は大半が腑抜けてしまっているが、大声で喝を入れてやればすぐさま自分を取り戻すはずである。


「俺の身柄を確保するよりもそっちが全滅する方が早いから、余計なことはしない方が身のためだよ」


 その出鼻を挫くかのような絶妙なタイミングで、再び能天気な声音が露天風呂に響く。


「一人でこの人数に勝てるとは随分な自信だな」

「まさか!俺にそんな力はないよ。だけど知り合いにはそのくらいのことをあっさりとやり遂げる人たちがいる。具体的には五人。どうする?試してみるか?」

「……止めておこう」


 ニタリと笑みを浮かべるジクウに隊長は薄ら寒いものを感じていた。


「賢明だね」


 その笑みを邪気のないものへと変えて、湯船に浸かると「くわあぁぁ!」と一声上げて脱力していく。

 後ほんの一秒でも牽制が遅れていれば隊長たちは行動を開始していただろう。そうなれば交渉も何もできなくなっていたところだ。一見するとジクウの方が温情を受けて生き延びたような形だが、実際に一命を取りとめたのは男たちの方だった。


「それで、我々に一体何の用だ?」

「いきなりズバッときたね。まあ、俺も腹芸が得意な方でも勿体ぶるのが好きな方でもないから、ここからは単刀直入にいかせてもらうよ。今回の一件、サンディー王女の暗殺から手を引いてくれないかな」

「……手を引くも何も、こうして捕まっている以上我々にできることなど何もない」

「今はね。だけどさっきまでは違った。どうにかしてここから抜け出せないか考えていたし、行動に移そうともしていた。止めてくれて良かったよ。もう少しでここが血の池地獄になる所だった。観光の目玉は欲しいけれど、そんな物騒なのだとお客さんが怖がっちゃうからな」


 おちゃらけた口調のジクウを見て、物騒なのはその思考と物言いだと密かに思う男たちである。


「任務がある以上、あんたたちがその姿勢を変えることはないだろう。だから任務それ自体を諦めてくれ」


 説得の言葉としては真っ直ぐ過ぎる。もう少し搦め手などで退路を断つようにしないと相手を従わせることはできないだろう。そう寸評しながらも少なくとも腹芸が得意ではないという言葉は真実だったな、と隊長は思っていた。

 最初にサンディー王女の名前を出したのはこちらの反応を見るためというより、事情を理解しているというアピールの意味合いが強かったようだ。


 ジクウとしては表面上従うふりをされて、いざという時に裏切られるというのが一番困るパターンだ。そのため本心からの言葉を引き出そうと、正面からぶつかるという愚直な方法に出たのである。

 ちなみに計画を練っている時――もしくは悪巧みの最中ともいう――女性陣からは総出で反対されたのだが、代替案を出すことができずに渋々許可をするという一幕があったりする。

 この辺りいくら新世界の神々であっても圧倒的に経験値が足りていないのであった。


「なぜ彼女の味方をする?」


 彼らからすれば突然現れて邪魔をされたのだから当然の疑問だろう。


「サンディー王女と一緒に行動しているのは偶然。あんたたちと対立したのは成り行きって所かな」


 ところが返ってきた答えは何とも締まらないものだった。一瞬頭が真っ白になりそうになるが、そういうことならば逆に取り込むことができるのではないか。隊長はすぐさま頭を切り替えた。


「ならば改めて我々の側に与するという――」

「その選択はない。あんたたちがやることを放っておくといずれ大きな戦が起こりかねない。そうなると関所ができたり国境が封鎖されたりして迷惑なんだ」

「我らはむしろ戦を起こさないために動いているのだ!知った様な口を叩かないでもらおうか!」


 ジクウの言葉に耐えきれずに副官が口をはさむ。そしてその声の大きさに呆けていた部隊の者たちが徐々に覚醒していく。

 まずい、一歩間違えれば一触即発の事態となってしまう。隊長は心地良かった湯が急速に冷えていくように感じていた。


「最前線にいるあんたたちはそうでも、その上司、更にその上役となるとどうだ?勝とうが負けようが、そしてどれだけの犠牲者が出ようが関係ない、戦が起きることで益になる人間もいるんじゃないのか?」


 場の緊張が高まっていくのを意にも介さず、ジクウは淡々とそう述べた。確かにその指摘に当てはまるであろう者たちに心当たりがある。

 そして、そうした人物を思い浮かべたのは隊長だけではなかったようで、副官以下数名が苦い顔をしていた。


 そろそろ頃合いか、そう思ったジクウは一枚目のカードを切ることにした。


「毒を使って配下を縛り付ける様な輩に、いつまでも義理立てする必要があるのかい?」


 刹那、周囲の男たちの目の色が変わり、場の緊張は最高潮に達していた。


「貴様……、どこまで知っている?」

「さて、ね……。ああ、ウィクル王に使われている毒も同じ物だということは知っているかな。敵を害することが配下への脅しを兼ねているなんて、あんたたちの主人はなかなかいい趣味をしているよな。ステキ過ぎてぶん殴ってやりたくなる!」


 喋っている内に苛立ってきたのか、怒りを叩きつけるように水面を打つ。

 こちらに裏がないことを示すためにも感情をあらわにすることは有効だと、先の悪巧みの際にも話し合っていたのだが、これはやり過ぎだろう。

 異なる世界で生まれ過ごしてきたことからくる価値観の違いも相まって、男たちはそれを冷ややかに見ていた。


「コホン。まあそれはともかく……。詳しくは言えないけれど、こちらは既にウィクル王の解毒剤を準備済みだ。サンディー王女から手を引いてくれるのであれば、あんたたちの分の解毒剤も用意する」


 感情に訴える作戦が失敗してしまった事を察知したジクウは、咳払いを一つすると続けざまに二枚目のカード切ることにした。


「そんなバカな!?今まで誰一人として見つけられなかったのだぞ!?」

「こんな場所でならもしかするかもしれない……」

「はったりに決まっている!」

「しかし、これを逃せばもう機会はないかもしれないぞ?」


 一気に露天風呂が騒がしくなる。流石は切り札だ、効果は上々のようだ。

 いかに務めに忠実であっても、いや、忠実であったからこそ、行動を制限される環境は彼らに自分で思っている以上の重荷となっていたのだった。


「本当に解毒剤を用意してくれるのか?」


 待ちくたびれてのぼせそうになっていたジクウに、男たちを代表して隊長が尋ねた。


「ん。ワタシ、ウソツカナイ」


 シリアスな雰囲気に耐えきれずに片言調で答えたのだが、誰にも相手をされることはない。

 温泉に浸かって体は熱いほどなのに、心は寒いジクウだった。


「少し考えをまとめる時間を貰えないだろうか?」


 彼らにとって任務を放棄するということは故郷を捨てるということでもある。ジクウたちの手によって既に失敗している状態であり、上手く帰ることができても処分が待っているだけだろう。

 それでも自分たちの意志として故郷を捨てるとなると、相応の覚悟が必要となってくるのであった。


「あまり長くは待てないぜ。そうだな……、晩飯までには答えを出してくれ」


 そう告げると、湯当たりしてフラフラになった体を引きずって脱衣所へと向かう。

 やっぱりどうにも締まらないジクウなのであった。


 そして数時間後の夕食の席で、男たちは全員揃ってサンディーに手を出さないことを誓うことになる。

 これによってイーヤ王国は表から裏に至るまで様々な荒事に対処してきた精強な特殊部隊を失うこととなる。

 また、その他の要因も複雑に絡み合い、以降数十年に渡って国力を大きく減衰していくのだった。

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