第7章‐戦争に向けて
頑丈な柵と高度に訓練された兵士たちによって守られた、みすぼらしく荒涼とした大地。奴隷たちの野営地を通り抜ければ、泥にぬかるんだ道に連なる、ぐらぐらと崩れ落ちそうな小さな兵舎の数々が見えるだろう。
それらは木と藁で雑に作り上げられた建築物に過ぎず、ただ一人が過ごすにしても十分な住まいの体をなしていなかったし、ましてや奴隷の集団にとっては言うまでもなかった。
多くの奴隷たちが哀れにも目障りな存在として扱いを受けていた。骸骨のようにやせ細った体は着古され汚れた衣服をまとい、絶え間なく続く日々の労働によって蓄積された疲労をその表情に浮かべていた。
通り過ぎていく兵士たちや市民たちは彼らが懸命に働いている中あざけりや侮辱の言葉を投げかけた。まさにその兵士たちのための作物の世話をし、刈り入れをしているその時に。
***
少しばかりの休憩をしたために鞭を打たれている奴隷を見かけ、アルディスは少々の恥ずかしさを覚えるほかなかった。彼らが受けている仕打ちに多少なりとも責任を感じていた。その労苦や不条理を終わらせることができると知っていたからだ。
彼の同僚である禿げ頭の男、セバスチャン・ドレイルは周りの奴隷にほとんど注意を払っていないようだった。視線は前に固定されたまま、顔はいかめしく、そして一歩進むごとに噛みつくように不平を漏らしている。
彼らが通り過ぎていくのを見かけた子供たちは道の片隅に座っていたが、両者が放つ雰囲気を察知すると恐怖、そして死に物狂いともいえる感情を瞳に浮かべて見上げた。
「へっ、なんだってここにいるアバズレたちはお前にしか興味を惹かれないんだろうな?」セバスチャンはぼやく。
「そんな言い方はよせ、セバスチャン。彼らにも人としてのラインというものがある。お前に少しでも謙虚さがあれば、女たちもお前に目を向けるだろう」
「うるさい! ”べっぴんさん”なお前なんかには絶対に、普通の人間の抱える苦難など理解できないだろうよ」
彼らは目的地までそう遠くはなかったし、コドラ国境に進んでいくにつれ、視界に入る奴隷たちや泥だらけの地表は減りつつあった。
ここらの地帯を監査する兵士たちは野営地に留まるそれよりもことさら恐ろしい存在だ。ぼやけた日光に鈍く光る高位の鎧を身に着けた彼らは柄の長い剣を携え、鞘に納めず抜身のまま背中に紐で装備していた。
彼らの一団が何気なしに、互いに言葉を交わしながらアルディスとセバスチャンのそばを通り過ぎていく。しかしながら、若い副官が自身に向けられた、怒りに満ちた視線に気が付く。
「ハーロットの間抜け」
通り過ぎていく兵士の一人に囁かれる。
コドラに仕えて十分長い者で、アルディスの育ちについて知っている者はほとんどおらず、彼のことを何とも思っていなかった。彼の亡くなった母親のふるまいゆえに父親が何人もいるだとか、かつての奴隷の身分が騎士たるにふさわしくないだとか、そういった噂も囁かれてはいた。
アルディスは不愉快げに口をつぐんだ。血管の中で血が沸き立つのを感じられそうなほどだった。
彼を見下した兵士に対して権力を乱用してしまいたいという衝動は鳴りを潜めることをなく、しかしながら少しでも不愉快であることを見せてしまえば、彼を見ている者を満足させてしまうことを理解していた。
代わりに、そしてアルディスは気を紛らわせるためにセバスチャンとのしたくもない会話を続けることにした。
「皆は違うさ、セバスチャン。お前の魅力に惹かれるだろう女たちもたくさんいると、私は思うよ」
「はっ! 何百もいるだろうそいつらを紹介してくれよ、そうしたら俺は喜んでお前の靴を舐めるさ」セバスチャンは冗談交じりに笑う。
「そんなことされても困ってしまうが……」
兵士たちの宿舎の入り口に近づき、二人は角を素早く曲がる。背を伸ばし誇らしげに待っていた守衛がアルディスとセバスチャンに即座に気が付いた。
彼らは将校と補佐官に敬礼をし、上官たちがすぐに本拠地に入れるように道を譲った。
「だから教えてくれよ。あのガキはなんなんだ? どうしてやつとあの少女が例の事件からすぐ関わらずに済むようになったんだ?」
「なぜなら、彼らは二人とも我々の良き働き手だからだ。 小さな罪のために、すべての奴隷を罰して牢獄に送り続けてはいられないだろう。 彼ら二人を失うということは、すなわち四人を失うということに等しい。新しい奴隷たちが働けるようになるまで、彼らはほかの子らの仕事を引き受けさせられているのだ。一人失うことで我々が受ける損害は、すなわち……」
「冗談だろう?」
セバスチャンは大きく驚いて見せた。そういう理由でアルディスが政府の財産窃盗に関して擁護するだなんて、非常に疑わしいのだった。秘密は秘密のままで、そしてセバスチャンはその秘密を紐解くことに興味津々だ。
野営地からの長く退屈な散策の後、彼らはようやく司令官のテントに到着した。入る前に、彼らは振り向いてお互いの顔をしっかりと見つめた。
「それに彼らは、今年の祭りがあの災いでどうにかなるのを防いだのだ。もしも彼らが我々より先にワインを飲んでいなかったなら、多くの同胞が床に臥すことになっていただろう。もっとも、あのワインをまさに薦めてきたのは、お前や隊長たちではなかったか?」
突如セバスチャンの背筋が震え、耳をそばだてた。隊長たちが今年の祭りを切り盛りし、そして主舵を切っていたという事実をどうにも見逃していた。
セバスチャンの反応はアルディスをいつになく元気づけ、しかしユーモラスな笑みを浮かべつつもどこか落ち着かない雰囲気を発していた。セバスチャンは追い詰められたような感覚がする。
「ああ、しかし……」
「そして最後に私が確認したとき、お前は入荷物の検品の担当だった。一人の兵士の管理下にあってどうして事態がこんなことになってしまったのか、私は非常に奇妙に思うよ。もっとも、すべてが初めから計画されていたなら別だが。お前はどう思う?」
セバスチャンは、アルディスが自分を苛立たせようとしているだけだとわかっていた。しかし彼の落ち着いた表情からだんだんとにじみ出る雰囲気によってうろたえてしまう。
会話の雰囲気はゲームのようになっていた。お互いの個人的な事情を深掘りしようとするのは誰だろうか?
アルディスは二人の間に流れた沈黙をじっと待ち、セバスチャンの頭からなんとか言い分が浮かび上がるまでの間、セバスチャンの自信は徐々に鳴りを潜めていった。
その緊張はアルディスに即座に屈してしまうには十分なほどだった。セバスチャンは舌を嚙み、自分や仲間の隊長たちに罪を背負わせてしまいかねないような発言を一切しないようにした。
「はは」アルディスは笑う。
アルディスはセバスチャンの肩を軽くたたく。この友好的な仕草は、自分の部下に対して慎重に行動するように忠告しているかのようだった。
「司令官にお会いする前に何か言い訳が浮かぶまでここで待ったらどうだ」
アルディスは別れの言葉を投げかけ、そしてテントの入り口を覆う布をよけて通っていく。
セバスチャンは残されたままぶつぶつとぼやく。その声が誰かに聞かれるかなど気にしてはいなかった。アルディスに出し抜かれたと気づいて不愉快な気持ちにはなったが、しかしそれに関して彼に出来る事は何一つない。
「くそったれ!」セバスチャンは唸った。
○○○
布がアルディスの鎧を撫で、司令官のテント内部に彼を招いていった。
いくらかのろうそくが並んでおり、部屋の内部をぼんやりと照らしている。床に敷かれている絨毯には様々な柄がなされている。
角には鎧や武器がばらばらになって置かれていた。樫のタンスや棚、ベンチが内壁に沿って影を落とし、印象的に大きなテーブルの周りに円を作っている。
アルディスの前にはバルドルフ司令官がおり、テーブルのすぐ向こう側に立っていた。彼のそばにはコドラの魔術師が二名。彼らは杖で作り上げられた魔法の雲に視線を投げかけていた。何かを待っているようだ。
「まだ何もないのか?」バルドルフ・フェデリック司令官が尋ねる。
「進めてはいるのです、司令官。 しかし分裂ゆえに簡単にはいきません。どれほどのマナを我らが送っても、途中で途切れてしまうのです。向こう側においても、我らに到達しようというときにまさに同じ問題が起きているようです」
バルドルフはがっかりしたようにため息をつき、ぐるぐると回る雲の上に視線をずらした。神秘的な霧が舞い上がり、今まさに起きている戦争の秘密を隠した。
その謎を紐解くことを決め、曖昧な文様に隠された手がかりを探ろうとしたのだが、しかし残念ながら、なにもあらわになることはなかった。
「それならいい。世界議会の後も何もわからないならな。我らは戦いで王に加わるための準備をする」
「わかりました、司令官」
「お前たちはもう行け」
魔術師たちは呪文を解除するために唱え、魔法の雲を消してからアルディスのそばを通り過ぎ、急いでテントを出ていった。
バルドルフは即座にアルディスの存在に気が付くも、その背中を彼に向けたままだった。
「なんだ?」
「少年と話しました。 あなたのご判断ほどには悪い子供ではありません」
「まだ奴には母親がいるからな。 彼女がいなくなれば、あの子供はすべての意味をなくすだろう」
「それでも、大丈夫だと判断しました」
アルディスは一歩踏み出し、バルドルフがこちらを向くように促した。司令官は、興味もないといった視線を部下に投げかけた。
「私の忍耐力を試すためだけにここにいるなら、もう出ていくといい」
「もっと大事な用事があると知っているはずです」
アルディスは笑った。バルドルフには時間がないし、アルディスののんきなからかい交じりの表情を気に掛けることもないと、知っていたのだ。
彼は咳ばらいをし、知っていることを伝えるため、より威厳ある、そして洗練されたしゃべり方にそっと移る。
「彼はアセンダントです。確認しました。彼の首に印があったんです。 すでに完全な状態をとりつつあるようでした。彼はもうあの年頃ですから、いつでもその力は目覚めるでしょう。 あれほどの年になって力に目覚めるアセンダントなど聞いたことはありませんが」
バルドルフはこの知らせに眉を上げてみせた。彼は辺りを歩いて何も言うことが見つからなかったが、やがて壁に掛けられた古い絵画を調べだす。
それは数十年も前、ノクタス王とその傍にいる純真なバルドルフの姿だった。
「それほど驚いているようには見えませんね」
バルドルフは絵画の細かなところまでしっかりと確認し、話し出す前に思考の海にどっぷりと浸かる。
「排斥されたトーラの物語について知っているか?」
「いいえ、知りませんね」
「彼女は評判高いアセンダントの一家出身だった。しかし彼女は唯一、家族の中で能力に目覚めなかったのだ。周りは彼女を軽んじて扱った。彼女の若さは遺産を築き上げられないだけの、無駄なものだと言ってな。あの年ごろの子供だ。彼女はなぜほかの兄弟姉妹と同じように愛されないのか、理解できなかった。どこかの通りすがりに真実が告げられるまで、な。魔女だ」
アルディスは魔女の名を聞いて凍り付き、まさに今日ヘンリエッタに会ったことを思い出す。彼女に会うことといえば、彼にとっては友好的な顔で脅かされるというなじみのない概念そのものだった。
彼女に手を握られたことで感じたミステリアスな雰囲気は、彼が魔女というものの性質をまさに理解できないというその懸念を強めてしまったのだ。
「彼女の兄弟であるボーレンが、彼らが子供のころからこの魔女と共謀していたのだとわかった。魔女はトーラの生まれ持つはずの権利を奪い去るような呪文をなんとか作り出したのだ。ボーレンが一家で一番、有利な立場にいられるようにな」
「なんですって?!」
アルディスはバルドルフが悪い冗談を言ってみたのだと願ったが、しかしバルドルフはまったく言い間違えなどなかったかのように話をつづけた。
神の能力に干渉するような力を魔女が振りかざし得たのだという事実は、アルディスをひどく驚かせた。
そばだてた耳を少しもすり抜けていくことのないように、アルディスは腕を組んでしっかりと聞くことにした。
「かわりに、ボーレンは魔女の研究のためにその血をサンプルとして差し出した。一日が明けて、彼は二度と彼女を見ることはなくなった。彼はそれを彼らの取引の終わりだと考えていたのだ。しかし魔女は何年も経った後に舞い戻り、こっそりとトーラに会った。女神のふりをしてな。そしてボーレンが何をしたのか、教えてしまったのだ。魔女は呪文を解呪し、神々の雷が彼女を打った時、トーラはアセンダントとして目覚めた。 虐められ、追い詰められた日々が再びトーラの心によみがえり、彼女の怒りやフラストレーションが消え去ることはできなかった。だから彼女はボーレンを打ち倒した。家族の宮殿内でな。彼女はすでにそれをマスターしたかのように、新たに獲得した力で残忍に彼を殺した。トーラは彼女の家族、そして王国をすべて殺しつくす決意をいつの間にかしていた。彼女の暴力を終わらせるために、アセンダントの一家がでばってこなければいけなかった」
バルドルフは話を終え、アルディスは唖然としている。アセンダントがどのようにして、そんな崩壊をもたらし得たのかということに驚いたのだ。
しかしながら、興味深いことに、その血と憎しみに満ちた暗い道のりへとトーラを導いた魔女はそれ以上の言及をされていなかった。
「魔女はどうなったんです? 彼女は捕まらなかったんですか?」
バルドルフは諦観の色を乗せたため息をつき、いつもよりも重苦しい表情でアルディスと目を合わせた。
「彼女はのちに死んで見つかった。その死体はしぼんでいた。まるで彼女の魂が吸い上げられたかのように。彼女に何が起きたのか、知っている者はいない。彼女がもたらした災厄を目にした神々が、罰を下したのだと高位の司祭たちは信じている」
「しかし、なぜ彼女がそんな過ちを犯したというのに待ったのでしょうか? 神々はきっと、あるアセンダントがその力を失っていることに気づいていたでしょう」
「お前の主張を裏付けたいなら、司祭たちに自分で会って質問をしてみることだな」
アルディスは沈黙した。そんなことを聞いてみても仕方がなかったと気づいたのだ。
教会の神々に対するゆるぎない信仰心は実に根強く、彼らに対する否定的な意見は即座に異端とされ得るだろう。
そんな熱心な連中にわざわざ質問してみせるなんて、まさしく無駄になるだろう。
「しかし今ならお前はその少年の母親がどういう能力を持っているのか理解しているか? 魔女、魔法使い。奴らはみんな同じ服をまとって生まれてくる」
「本当に彼女が何かにかかわっていると思っているのですか?」
「いいや」
「では王子にこの事実について突きつけるべきです。 彼は王ではありませんが、このことを我々だけで追及はできません……」
「だめだ!」
バルドルフはアルディスの提案に否定的に声を上げ、彼の言葉を途中で遮った。
「彼は今正しい判断ができる状態ではない。ノクタスの帰還を待ち、それから対処するのだ。今のところは、彼女の好きなようにやらせればいい」
バルドルフはテントの入り口に向かって歩き出し、布を優雅に持ち上げると外から差す晴れやかな光を室内にもたらした。
「私が議会のために離れている間、兵士たちを制しておけ。これからは準備の日々となる」
これ以上言うことはなく、バルドルフは長期遠征のための準備をするべくテントを出ていった。アルディスはぴりぴりとした微笑みをたたえつつ、冷静につとめようとその場に残る。
「承知いたしました」そして、小声で答えた。
○○○
アルディスとバルドルフの会話にはさほど時間はかからなかった。
守衛二人はいまだ本拠地入口に立ったまま、怠惰に待っているところだった。
バルドルフは彼らのそばを通り過ぎ、そして彼に気が付いた守衛たちは歩み続ける彼に敬礼をする。
彼が十分に離れた後、セバスチャンが司令官のテントそばにある草むらから姿を現し、顔一面に笑みを浮かべる。
彼からはかすかな笑い声が漏れたが、それでも彼自身の心の中に抱えている考えが漏れることはなかった。
「へっへっへ」
終わり
作者:コソン 翻訳:山城
インスタグラム: @Koson_san
ツイッター: @Koson_san @Yamashiro543
【反逆|Rebellion】「俺にできる手段はただ一つ~母さんの夢を現実にすることだけ~」 コソン @Koson
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。【反逆|Rebellion】「俺にできる手段はただ一つ~母さんの夢を現実にすることだけ~」の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます