第3話 霊子さんと小説

 いつものように、キーボードを叩く音だけが響く。

街の喧騒も、車の騒音も、誰かの笑い声も。

僕だけの部屋には、どんな音も届かない。

言うなれば、天空の鳥籠。


 天空の鳥籠……。いいね、この響き。

いつか設定で使えるかもしれないから、メモっとこうか。


 パソコンのホーム画面に置かれた「ネタ帳」という名前のファイル。

それを開いて、メモにそれだけを書き込んだ。


「ふぅ……」


 オフィスチェアの背もたれに体重を預けると、ギギィと無機質な音が鳴る。

そのまま凝り固まった背中を伸ばしながら、少し親しみの芽生えた窓を見た。

 今日も、青空を背景に浮遊する霊子さんが、ビクゥ! と身体を強張らせる。

それがいつまでも面白くて、つい笑みがこぼれた。


 たったそれだけ。日常の一幕。平凡な出来事。

傍から見たら、きっと取るに足らないものなのかもしれない。

けれど、独りばかりが染みついた僕には、この空間が陽だまりのように思える。


 懐かしいな。あの時はまだ、家族団らんで。僕も小説の設定を語ったりして……。


「あのさ、霊子さん……」

「……!」ビクッ

「ふふっ。あのさ、霊子さんは物語、好き?」


 過去を思い返すと、あの頃の楽しさがよみがえってくる。

昨日の記憶のように、自然に。

だからか、なんだか楽しくなって、つい語りたくなってしまった。


 柄にもないことを。

冷静な僕が、浮足立つ僕を嘲笑する。

けれど、霊子さんは出会って一番熱心な雰囲気で、何度もコクコクと頷いてくれた。

 同じ、なんだ。


「そ、っか……。そっか、そっか!」

 ああ、嬉しいな。

心の中で、自然にそう呟いた自分に驚く。

こんな感情、あの時以来かなぁ……。


「僕ね、実は小説書いててさ。作家を、ね。目指してるんだ……」

「……!!」

「あっは、やっぱり驚くよね。いまは『君は僕のスカイフィッシュ』っていうラブストーリーを書いてて……」

「……!!!」

 『ラブストーリー』と言った瞬間、霊子さんは両手をぶんぶんと上下に振り回し、やたらと興奮しはじめた。

「ん? ああ、もしかして恋愛モノ好きなの?」

 僕の問に力いっぱい頷き、出会って一番楽しそうにしている。

ああ、霊子さんもオタク気質なのかな。

 もしかしたら似ている人間に出会えたことで、心が小さく歓喜しているのがわかった。


「それじゃあ、さ。もしよかったら、設定とかストーリーとか、聞いてほしいなって」

「……!!!!」

 生前だったら首を痛めていたのでは? というほど激しく頷く霊子さんを見て、どうにも嬉しくてたまらなかった。

友達がいたら、こんな感じなんだろうか……。


「えっと、君は僕のスカイフィッシュはね。

神出鬼没、正体不明のミステリアス少女『幻遭 路乃(げんそう みちの)』通称ロノちゃんと、都市伝説が大好きな高校生『見大 悠馬(みたい ゆうま)』通称ユウマの奇想天外なラブコメなんだよ。それでね……」



「だからこそタイトルがスカイフィッシュで……んっ……」

 霊子さんに顔を向けようとした時、瞳に茜色が差した。

夕焼けだ。話し始めたころにはまだ青かった空は、いまや赤く燃えているようだ。

 沈みかけた夕陽が、「もう終わりだよ」と言っているような気がした。


「あー……っはは。ごめん、なんか没頭しちゃったみたいで」


 薄い記憶のなか。

どれだけ自分勝手に話を続けても、彼女は熱心にコクコク頷いて聞いてくれたことを覚えている。遊び疲れた心が、『また』をねだっている。


「ははっ……。ありがとうね、霊子さん。こんな、誰かに聞いてもらうなんてさ。久しぶりでね、楽しくなりすぎちゃった」

 頬をかきながら、照れ隠しをするように感謝する。


 霊子さんは、どこにも行かずただ聞いてくれた。

楽しんでいたのかはわからないけれど、たしかにここに居てくれた。

 この事実を反芻するだけで、温かい何かが溢れだす。

ソレは胸の中から指の先まで染み渡って、鼻の奥をツンと刺激した気がした。




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霊子さんとボク 一 山大 @sakaraka_santya1

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