Chapter52 クライマックス
俺はワダさんと視線を交わし、お互いの手を握った。
俺たちはやった。やり切ったのだ。そうと決まれば——俺は椅子を倒して立ち上がり、急いで再生機へと向かった。作品の残り時間はあまりない。
「私はどうしたらいい?」
ワダさんはコートを脱ぎながら、俺に尋ねる。振り返って彼女を見る。
「君ってやつは、持っているな、本当に」
「何が?」
「記者会見を受けるときの君も、その白のブラウスだったよ」
俺は画面を顎で指す。ホテルの一室で、会見に着ていく服を選ぶ姫野が映っている。
「会見室の壁は……どんなだったかな……」
俺は、デッキに繋がりそうなコードを探しながら、呟く。
スクリーンの縁を探ると、下部に入力の文字といくつもの小さな開口部が並んでいるのを見つける。そのうちの一つは、ケーブルでデッキと繋げられている。再生された映像がこの線を通じてスクリーンに流されているのだろう。
そして入力用の口とは別に、出力用の開口部があった。そこには、小さなビスで固定された黒いコードが差し込まれている。禍々しく太いコード。それは壁に沿って床へと真っすぐに伸びており、地下に潜り込んでいる。
間違いない。これが全世界への入り口だった。
俺は急いだ。入力の接続部に合致するケーブルを懸命に探す。あった。スクリーンに繋いで、伸ばせるだけ伸ばす。自分の情報端末を起動させて、カメラをオンにする。
「私はどこに立てばいい?」
部屋の中を見渡す。劇中の記者会見室に見立てた壁が欲しい。
「撮るのは最後の記者会見のシーン。それも顔のアップ、もしくはバストショットまで。髪はそれで大丈夫だっけ?」
彼女は自分の髪に手をやる。
『鏡ならここに』
シボリがベッド脇のサイドテーブルから、手鏡を手に取る。機械の腕は、長く、しなやかな薄桃色のパイプだった。
「ありがとう」
『どんな背景が欲しいの?』
シボリは俺を向いて尋ねる。早口で俺は答える。
「国際映画祭の記者会見室。記者からの質問を受ける彼女を撮りたい。最後のシーンなんだ、この映画の」
シボリは、再びサイドテーブルに手を伸ばし、リモコンを手に取った。スクリーンに向けるかと思ったが、そうではなかった。彼女の左手の壁、俺たちが入ってきたドアの向かいの壁、壁面スクリーン。映っている風景は、先ほどの夕焼けから夜の街並みに変化している。
シボリがリモコンを操作すると、その壁から風景が消えた。ただの真っ白な壁になる。それから、木目調の壁、コンクリートの打ちっぱなし、岩肌、海の中、果ては彼方の銀河系と、目まぐるしく壁が変化していく。
『記者会見場だと、こんな感じかしら?』
壁紙が、青地の光沢のあるもので止まった。
「ちょうどいいです。そんな感じだった」
『多少ぼかすことも出来るわよ』
シボリはリモコンのダイヤルを少しだけ回した。壁紙の材質を模したテクスチャの角が、僅かに柔らかくなる。
「ありがとうございます」
そして俺は、シボリの用意した壁を背景に、ワダさんに座ってもらうように指示をする。
カメラを固定する三脚はない。手持ちで多少のブレは否めない。
映画の中で、すでにワダさんは記者会見に臨んでいた。
『ほかに何か、出来ることはある?』
意外な申し出だった。俺は素直にお願いをする。
「これから作中の彼女には、いくつかの質問が飛んできます。そして、最後の質問で、製作時の舞台裏について聞かれます。それを答える彼女のカットから、切り替えたいんです」
『分かったわ。そのタイミングで入力を切り替えればいいのね?』
シボリは、手にしたリモコンのボタンを見せる。
「ええ、助かります。
でも……いいんですか?」
『……あなたが言ったように、多分あたしは知らない世界を求めている』
「この撮影が終わったら、世界は大きく変わるでしょう。そしたら是非、一緒に映画を作りましょう」
『(笑い声)面白い事言うのね、あなた。この身体じゃ外には中々出られないわ』
「映画製作にはいろんな仕事がありますからね。どんな形であれ、何かしら参加することは出来るはずです」
『そう……ありがとう』
「準備出来た」ワダさんが言う。「台詞はアレでいいのね?」
「大丈夫だ。ビオスコープの皆で考えたんだ。それで行く」
「……確認なんだけど、本当にいいのね? これを言ったら、この国は、この国以外だって、まるっきり今までとは変わってしまうのよ?」
「……分かってる」
「元取締官とは思えない発言。私は正直少しビビっているのに」
「今の俺は、監督兼プロデューサーだ、主演俳優さん」
「失礼しました。いい監督に出会えてよかったわ」
「それは俺もだよ。こんな俺を迎え入れてくれて、ありがとう」
「ええ、どういたしまして」
彼女は軽妙な笑顔を見せる。
劇中で、記者が彼女に質問をした。ついに始まった。
「この作品は、宇宙人が素性を隠して映画を作ろうと奮闘する、そういう内容ですが、今回の映画製作においても何か、出演者の中で隠し事や秘密にしていたこと、または作品内におけるイースター・エッグはありますでしょうか?」
俺はカメラに収める。ワダさんの顔のアップを。
先ほどまでの彼女とは、打って変わって違う、精錬で真剣なまなざし。
そこに現れる、レンズを超えた何か。
俺はカメラの録画ボタンを押した。
撮影開始。
シボリがチャンネルを切り替える。
完璧なタイミング。
アキラの作品は断絶。
これが最初で最後の上映中止。
そしてこの瞬間、この国全ての人たちと、俺たちは繋がった。
ワダさんが微笑む。
姫野めぐりではない。
キャシーでもない。
それでいてワダさん本人でもない。
俳優がそこにいた。
この世の真実を口にする代理人。
その台詞は、この世界を再び混沌に陥れるかもしれない。
だが、俺は信じている。
きっとどこかで俺たちは分かり合えることを。
それを放棄せずに苦難の道を歩んでいけるであろうことを。
そして彼女は言った。
この物語は、今あなたが観ているこの物語は、私たち人の手によるフィクションです。
この物語は"人の手による"フィクションです。 一ノ瀬トヲル @kiiroi_kotori
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