Chapter51 改竄
アキラが改変を施していた。№8もワダさんもあんな演技はしていない。
完全に嘘だった。
あのシーンは、姫野が世界と闘うように、宇田神を鼓舞するシーンだった。面倒な戦いに巻き込まれた宇田神は苦難への道のりを憂い、しゃがみこみ、そして姫野が彼を抱くように隣に座るはずだった。二人のきずなは、共同戦線は、世界と闘うための武器になるはずだった。
だがこの改変によって、それは二人の物語に収束してしまっていた。残酷な社会からは距離を取り、二人だけの世界でお互いを想って終わる——そういう閉じた物語になっていた。
もちろんそれだっていい。そういう優しい世界があったっていい。
しかし、俺たちが言いたいことはそうではなかった。そういうことじゃあなかった。
「そのラストは、アキラと世間が望むもので、俺たちのものではありません」
言葉が口をつく。
『……じゃあ、あなたたちが描くラストって?』
俺は、手に持ったデータキューブをシボリに見せた。真っ二つに割れた作品の残骸。
「この中に入ってましたけど、もうとても再生は出来ません」
『そうね』
「そこでお願いがあるんです」
『何?』
「俺たちに、今ここで、作品を撮らせてください」
『……どういう意味?』
俺は、ポケットから情報端末を取り出した。それを、写真を撮るようにシボリに向けて構えてみせる。
「これでワダさんを撮って、そのままこの国中に流します」俺はスクリーン下のデッキを指差す。「カメラと再生機を繋げば出来るはずです」
データキューブにぶら下がった何本ものコード。この中のどれかを使えば、あの古くさい再生機とも繋げられるはずだ。
「最後のシーンだけになりますが、生中継をさせてくれませんか? 今からならまだ準備が整います」
そう、最後の記者会見で姫野が質問に回答するシーン。あそこであれば、ワダさんさえいれば、どうにか出来る。彼女の顔のアップないしはバストショットだけになるだろうが、仕方がない。このままアキラの映画を流させるわけにはいかない。
作品を俺たちの手に取り返す。
だが、俺の提案を聞いても、シボリは反応しなかった。機械人形の表情が変わることはない。一定の形を保ったままだ。だから、その裏で何を考えているのか、読み取れない。
俺は待った。
ワダさんも、俺の手に手を重ねて待った。
そして、シボリは画面を見つめたまま、言った。
『ここまでは面白く観れているわ。そう、あなたたちが撮ったこととは関係なく、楽しく観てる。でも、ここで生中継なんかして、つまらなくなったら台無しよ。私はつまらないものを観たくないの。あなたたちがここで撮り直して、あたしを満足させられる? 約束できる?』
約束する、と言いそうになった。
だが、言葉には出来なかった。
それを実際に出来るかどうか、確信が持てなかった。
俺は、ビオスコープの待っている結末、そしてホリーの望んだ結末を伝えたい。
しかし、それが今目の前にいるシボリの心に響くかどうか、分からない。
「約束は……出来ない。出来ないですが、俺たちに話す機会をください。世界に対して、作品を公開する機会を」
『あたしが観たい作品でないのであれば、流させない。ここはパパがあたしのために用意してくれた劇場なの。あたしを楽しませない作品なんて要らない』
「この作品はもともと俺たちの作品なんです」
『だから何? 今はあたしが楽しんでいるの』
俺は返答に詰まった。
頑なな否定の姿勢。聞く気のない態度。
だが、それでも俺は彼女を信じることにした。俺は彼女のベッドの脇を指差す。
「じゃあどうしてそこのコールボタンで、誰も呼ばなかったんですか?」
シボリは自分の手元を見る。ベッドの上に無造作に置かれたナースコール。まさか本当に看護師を呼ぶわけでもあるまい。だがきっとそれは、何か不測の事態が起きたときに押すためのものだろう。
「俺たちが来ることは、あなたにとって面白くないことだったと思います。俺たちは映画鑑賞の邪魔でしかない。でも、あなたはそれを押さなかった。俺たちの話を聞いてくれた。一緒に映画を観てくれた。一体どうしてですか?」
『……別に理由はないわ』
「この部屋の中にずっといると、まるで世界には自分しかいない、そんな錯覚を起こすでしょう。世界が自分のためだけに用意されているみたいだって……でも、あなたは多分、どこかで気が付いていたんです。世界は自分だけじゃないって」
『あたしは、あなたたちと一緒に映画を観て、一緒に楽しみたかったの。だから、あたしが、あなたたちがここにいることを許したの』
「ええ。確かに一緒に観て、一緒に楽しむことはあるでしょう。でも、あなたを楽しませるために、俺の感想があるわけじゃない」
『……どういう意味?』
俺は、俺たちの偽物が流れるスクリーンを指す。
「あなたは楽しんでいたかもしれないが、俺に言わせれば、今流れている映画はクソったれだ」
『あなた! あたしをバカにするの? あたしがこれを楽しんじゃダメなの?』
「違う。俺はあんたを否定したいわけじゃないんだ。あんたが楽しんでいるのを否定するつもりもないんだ。俺は、あんたと違う感想を抱いた。ただ、それだけなんです。きっとこの作品を楽しんで観ている人は、今この瞬間だってゴマンといるでしょう。でもきっとそうじゃない人も大勢いるはずだ」
シボリは、黙り込んだまま、俺を見ている。
「お膳立てされたこの部屋に何十年いたって、いつかきっと分かる時が来るんです。この世界には自分とは違う物の見方があって、知らない物語があるんだって。あなたはそんなことはもうすでに分かっていたし、恐らくそういうものを望んでいたんだ。どこかで期待していたんだ。どこかに知らない新しい世界があるかもしれないって。だから、俺たちをここにいさせてくれた。そうじゃないんですか?」
『……違う。あたしはそんなものは望んでいない。自分を楽しませてくれない世界なんか嫌いだから、あたしはここにいるんだ。パパはここを用意してくれたんだ。あたしがケガをしないようにって』
「俺だって、そういう世界があったらいいなって思いますよ。だけど、現実はそうはいかない。世の中にはいろんな奴がいて……そのせいで揉めることもたくさんあります。でも、だからって、俺たちの声を奪わないでください。俺たちの作品を潰さないでください」
『あたしが楽しめない作品でも?』
「ええ、そうです。お願いします」
『もしかしたら、不愉快な気分にさせられるかもしれない。あなたたちの作品が誰かを傷つけるかもしれない』
「傷つけたいとは思っていないです。ただ、もしも俺たちが間違えたら、その時は謝ります。許してください」
『間違えるかもしれないものを、流せと言うの?』
「そうです。人間はどうやったって間違える生き物なんです」
『開き直りね。アキラは間違えない』
「分かっています。でも、間違えるからといって黙るように要求することは、正しくないと俺は思うんです」
『……何故?』
「……恐らくそれは、俺たちを殺すことと同義だからです」
俺は言い切った。俺たちが、自身の想いを形に出来ないのであれば、それはまさしく心を亡くしたのも同然だ。そうなった時、俺たちは本当に生きた屍になってしまう。
シボリは、再び黙り込んだ。
画面からは、ワダさんの声が聞こえてくる。
国際映画祭の会場へと向かう姫野のモノローグ。
新しい小劇団を立ち上げようと奮闘する宇田神のモノローグ。
カットバックに掛かるBGMは大きさを増し、そして突然に静寂が訪れる。
そういう慌ただしくも物憂げなシーン。
『……分かった』
映画のリズムに合わせるかのように、シボリは言葉を発した。俺たちは二の句を求めて、身を乗り出す。
『あなたたちの望みを叶える』
「じゃあ……」
『ええ。作品をあなたたちに返す。撮影をして、流してちょうだい』
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