Chapter50 娘

 ムツミの名を聞いて、俺とワダさんは目を合わせた。ワダさんが訊いた。

「あなたは……あのATGの、ムツミ社長の娘さんなの?」

 再び、笑い声。

『ええ。お姉さん、面白いこと言うんだね』

「じゃあ君は何だ、その……生きているのか?」

 沈黙。

 俺たちの言葉が、彼女の耳ひいては脳に届くまで、若干のタイムラグがあるように思われた。

『バカにしてる! あなた、あたしを、バカにしてる! バカにしてるんでしょう!』

 大きな声が室内に響いた。機械の身体からは想像も付かない声量。俺は怯んだ。

「すまない。悪気はなかったんだ。その、本当に……」

 彼女が本当に、アキラを作ったあのムツミ氏の娘なのだとしたら、今は五十近い年齢のはずだ。

 確かに彼女が病弱だという話は聞いていた。だが、それでも信じがたい。脳だけを生かし、あとは機械化されているだなんて。

 眼前の機械人形の言動は、まるで少女のそれだった。

 俺はワダさんを見る。ワダさんも思考が追い付いていないようだった。


 俺の発言に気分を害してか、彼女は俺たちから目を離し、前の画面に顔を向けた。表情は何も変わらない。はたからは、映画を観ているのか、全く分からない。


 俺は足がすくんでしまった。次に何を言えばいいのか、思いつかない。


 スクリーンの下に目をやる。画面の下から伸びたコードに繋がれた再生機が、デッキの上に乗っている。年代物のずいぶん古い型式のものだった。アレが、この国中に作品を流しているのか。ネオン輝く大都市にも、星の瞬く山村にも、のべつ幕なく? あの一台の古くさいプレーヤーが? まるで違和感しかなかった。


「あなたは、ここで何をしているの?」

 俺の一歩前に出て、ワダさんが言った。ムツミ・シボリは何も答えない。


 その時、部屋のすぐ外で、金属の割れる音が響いた。

 振り向けば、三船の持つ刀が折られ、刃が宙を舞っている。

 そしてリイの左拳が、三船のみぞおちを真正面から打ち抜いていた。

 折れた切っ先が、地面に突き刺さり、二人の男がくず折れた。

 俺はリイに駆け寄った。倒れた身体を抱き起す。

「大丈夫か?」

 体中に切り傷がある。真っ赤に染まった筋肉の塊。

「大丈夫です……」

 大きく肩で息をして、リイは答えた。命に別状はなさそうだった。

 俺は、そばに倒れた三船を見る。手を伸ばし、胸に手を置く。小さく呼吸しているのが分かる。こちらも死ぬことはないだろう。

「映画は、映画はどうなりましたか?」

 リイは、ぜえぜえと息を吐きながら、俺に問う。

「……大丈夫だ。これから流してやる」

 俺がそう答えると、リイは満足そうに眼を瞑った。そっとリイの身体を横たわらせて、俺は立ち上がり、部屋へと戻った。


 戸口に立つワダさんの顔を見て、大丈夫だと答える。

 彼女が〝患者〟に目をやって、小さく首を横に振った。

 俺は部屋の中へと踏み込んだ。彼女のベッドの横までずかずかと進んでいった。ワダさんも俺に続いた。

 ムツミ・シボリは俺たちを一瞥もしなかった。映画に集中している様子だった。

 俺は画面を横目で見る。№8演じる宇田神が、姫野の活躍を尻目に、真剣に脚本に向き合うシーンである。

 俺は、ベッドの脇にあった丸椅子を引いて、腰かけた。ワダさんも、部屋の隅に置かれた椅子を持ってきて、俺の隣に座った。

 しばらくの間、俺たちは何も言わずに画面をただ眺めた。そして、俺は言った。

「先ほどは失礼しました。せっかく映画を観ているところを邪魔して」

 だんまりが、場を支配した。

「本当にすみませんでした」

 俺は再び、今度はより長く、頭を下げた。返事はないと思われた。だが、病院服の女は口を開いた。


『本当にそうよ。あなたたちは、パパの映画を侮辱したのよ?』


 俺は閉口した。言いたくないが、言うしかない。

「気分を害したら申し訳ないんですが、それでも言わせてください。今流れている作品は、俺たちが作ったものなんです」


 間。笑い声も上がらない。長い沈黙。そして回答。


『何を言っているの? これはパパがあたしのために作った作品なのよ? あたしが観るのを邪魔するだけじゃなく、嘘までつくの?』

「……嘘じゃありません」

『(笑い声)じゃあ、証拠を出してみなさいよ』

 俺はワダさんを見た。彼女は俺の意図に気が付いて、ハンチング帽を脱いだ。長い黒い髪が光をこぼして流れ出る。立ち上がって、スクリーンの傍に立つ。

「彼女の顔を見ても、何も気が付きませんか?」

 機械人形は、しばらく何も言わなかった。

 スクリーン一杯に、ワダさんの顔が映った。

 俺は横目でムツミ・シボリを見る。ハッキリとは分からない。だが、ワダさんと画面を見比べている様子だった。

 俺は追撃するように、言った。


「俺にもきっと出来るはずだ。彼女にだって出来たのだから」

 そして画面に映る№8のモノローグ。

「俺にもきっと出来るはずだ。彼女にだって出来たのだから」

 同じセリフだった。


 俺は続ける。

「彼女は俺を覚えていない。俺はそれが我慢ならない」

「彼女は俺を覚えていない。俺はそれが我慢ならない」

 完全に一致した台詞の二重奏。一か八かの賭けだった。アキラの改変がなくて助かった。


 シボリは顔を俺の方に向ける。

『どうして? 何であなたが台詞を知っているの? アキラの作品は、あたしが一番最初に観る約束なのに……』

「この作品の制作者は、アキラじゃなくて俺たちだからです」

『どういうこと? ……あなたたちの作品がどうして流れているの?』

 彼女はアキラの機能停止のことも、俺たちの地下組織のことも、何も知らないのだろう。俺は画面を観て、それから身体を彼女に近づけて言った。

「もしよかったら、話を聞いてくれませんか? 俺たちの話を。もちろん映画の鑑賞の邪魔にならない範囲で、ですけど」

 シボリは俺を見つめたまま、動かない。間違ったことを言ったのかもしれないと、俺は腰を浮かせた。だが——


『……いいわ。映画の邪魔にならない範囲でね』


 彼女はそう返答した。

「制作の裏側についても解説しますよ」と俺は付け加える。

『それってオーディオコメンタリーね』

 それから俺とワダさんは、彼女と一緒に映画を観ることにした。実に奇妙な体験だった。


 俺は彼女に話して聞かせた。いかに№8が心までハンサムかってこと、衣装担当のマチルダが古着屋で探したスカートの話、監督のボーマンとカメラマンの津島、それにテリーの日光を巡る喧嘩について。そういったビオスコープの話を。

 俺たちが創作を通じて、伝えたかったことを、俺は彼女に切実に訴えた。俺たちがどうやって出会って、どうして映画を作ることになったのか、そういった俺たちの物語を、彼女に語った。

 彼女は時折頷いて、それから俺たちの映画に度々質問をした。このシーンはあの映画のオマージュなのか。出てくるイコンの意義や隠喩は何なのか。そんな質問の数々。そして、チャーリーの蘊蓄や、デロリスの美的センス、シュピルマンのマイク捌きについて、俺は解説をした。


『アキラの映画みたい』

 上映中に彼女がこぼした一言。

 俺は正直に言った。

「俺たちが作った映画をアキラ二号機が整えているように見えますね」

『そう……』

「映像や音響の精度が、俺たちの作ったものよりも、上がっていると思います」

『ホンは?』

「ホン? ああ。脚本ですか。脚本はほとんどそのまんまです。ここまでは」

『ここまでは?』

「きっとオチは変えられているでしょう」

『そう。あたしにも分かるわ。この作品のオチがどうなるか』

「そうなんですか?」

『ふふふ、あたしがどれだけ沢山の映画を観てきたか、知らないでしょう』

「ええ」

 映画は佳境を迎えていた。№8演じる宇田神とワダさん演じる姫野の河原でのシーン。風にたなびくススキの中で男女二人が言い争っている。


宇田神「それはダメだ、君のキャリアがダメになるだろう」

姫野「私はあなたの作品だって知っている。だから世界に言いたいの、あの作品があなたの作品だってことを。あなたの存在を世間に知ってほしいの」

宇田神「それでも、そんなことを記者会見で言ってはいけない。僕は君に知ってもらえているだけで充分なんだから。誰かに知ってもらえている、これほど幸せなことはないよ」

姫野「だけど……」

宇田神「ねえ、僕の望みはね、君が世界的な女優になることなんだ。だから、ここでつまづいてはいけない。これは君がスターになるまでの通過点に過ぎない。脚本はまた別のものを書けばいい。君を主演にしたものを書く。たとえ何度クレジットされなかろうとね。君が輝くものを僕は書き続けるよ」

姫野「……うん」

 そう言って、姫野はしゃがみこみ、泣いてしまう。そしてそれを抱くように宇田神が隣に座る。


『彼女、最後の最後、記者会見のシーンとか? そこで彼の存在を匂わせて終わるでしょう?』

「ええ」

 俺はそれだけを答えて、隣に座るワダさんを見た。ワダさんも動揺を隠せない様子だった。

 河原のシーンは完全に意味合いが変えられていた。

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