Chapter49 拳と刀

 リイの叫ぶ怪鳥音を遠くに聞きながら、螺旋階段を急ぎ足で降りていく。

 視線の先では、刀を持った黒い影が、白いシャツの男を追いかけている。

 下に辿り着き、部屋へと走る。整備された歩道を抜けて、闘う二人の方へ近づく。角を曲がる。

 その瞬間、目の前を何かが飛んでいった。地面にたたきつけられたそれは、リイだった。彼が、三船に蹴られたか、何がしかの攻撃を受けたのだろう。リイは転がるように、素早く姿勢を立て直す。


 俺は屈んだリイへと駆け寄った。身体には幾つもの切り傷があり、白いシャツには何本もの赤い筋が走っている。

「大丈夫です」

 そう言いつつ、リイは視線を敵から離さない。振り向けば、俺たちの五、六メートルさきに、三船がいた。ギラギラと光る抜身の刀を手にもって、そいつは悠然と立っていた。そしてその後ろに〝娘のための部屋〟、その入り口があった。

「作品は? 作品はどうなりましたか?」

「作品はない。だけど手はある。ビオスコープの皆とも話し合った」

「そうですか。私は? 私はどうすればいい?」

「あの部屋に入りたい」

「あいつをどうにかしないといけませんね」

 リイはふふっと笑みをこぼして、身体を起こした。

「武具を持ってくるべきでした」

「すまない」

「謝らないでください。どかすくらいなら何とか出来るでしょうから、その隙に部屋に入ってください」

 俺は頷く。傍に立つワダさんも心配そうに見つめている。


 リイが構えを取って、ステップを取る。リズミカルな小さなジャンプ。小刻みに吐く息が聞こえる。そして——


 リイは駆けた。ばねのように飛んだ。目の前の敵めがけて。

 下段に構えた三船の刃が空間を切った。閃光が天へと走った。

 赤い流血が、空へと伸びる!

 だが、クンフーは止まらなかった。敵の勢いに押されず、リイは振りぬかれた刀の間合いの、その一歩先へ、踏み込んだ。

 怪鳥音!

 右拳が、三船の顔面に入る。

 怪鳥音!

 左アッパーがボディに。

 怪鳥音!

 そして、ローキック。

 態勢を崩した三船の顔面を右ストレートが捕える。

 三船は攻撃を受けながら後退していく。だが、三船も黙っていない。刀を振り下ろす。

 リイは避け切らない。あえて半歩、前進をする。


 俺たちは、リイの作ってくれた間隙をついて走り、部屋の前に辿りつく。中を覗く。

 ついに、対峙した。俺たちはと。


『何なの、あなたたちは? 鑑賞の邪魔をしないでくれない?』


 部屋の中は、病室だった。

 外は、白い大理石の床に、壁を覆いつくす棚、気持ちばかりの植物、そして巨大な鈍色の鉄塊、すなわちアキラ。

 そんな風景に突如出現した小さな病室。白いタイル地の床と壁、リネンとベッド。そして、病院服を着た〝患者〟。その〝患者〟の甲高い声を、再び聞く。


『何か言いなさいよ』


 俺もワダさんも、声が出ない。しばらく無言でそこに立ち尽くすことしか出来ない。遠くからは、リイの雄叫びが聞こえてくる。リイが敵を圧倒している様子を窺い知る。


 〝患者〟は、機械人形だった。数世代は前のモデルだ。今時、そんなものは目にしない。肉体の欠損は、遺伝子工学や生体工学で元通りに治せるからだ。わざわざ歪な機械の身体に換装することは、普通、しない。

 だが、目の前にいるのは、明らかに全身を機械に移し替えた者だった。その、まるで能面のような顔、木管のような二の腕。それはまさしく、からくり仕掛けの彫像だった。

 しかし、それは人なのか? 今、言葉を発したその者は、人工知能ではなく、人間なのか? 


 〝患者〟の向こうの壁には、窓があった。もちろん、正確に言えば、窓ではない。それは壁面スクリーンだった。まるで本物の外界のようなリアルな映像が、そこに投影されていた。

 〝患者〟は夕日に暮れる街並みを背に、ベッドに横たわったまま、俺たちに顔を向けていた。夜中の雨の土砂降りとは無縁な空間。

 そして、彼——彼女のベッドの前の壁に、もう一つ大きなスクリーンが掛かっていた。見れば、俺たちの映画が上映されている。すでに、主人公・宇田神のいる編集室に、姫野が乗り込んでくるシーンだった。

 俺は唾を飲み込んで、尋ねた。


「君は、誰なんだ?」


 機械人形は、能面に切り込まれた細い筋、つまり口から、か細く空気音を漏らした。

 少しして、俺は気が付く。それは笑い声だった。そして答え。


『あたしは、ムツミ・シボリ』

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