Chapter48 失敗

「お前さん、面白い構えをするねえ」


 三船が軽々に言った——その刹那、刀刃とうじんが二人の間を駆ける。

 眼で追えないほどの速さ! その一太刀! 危ない!


 怪鳥音!

 刀身は、リイの左側面の空を切る。何かが起きた。目に見えない何かが。


 三船の二太刀目! 右から左への一文字! バックステップで避けるリイ。


 追撃の三太刀目、響く怪鳥音! 刀はリイの右側面に逸れる。当たらない刃。


 俺は、理解した。リイが、自身に迫る刀身の腹を、的確に叩いていることを。そして、刀の太刀筋が力任せに曲げられていることを。


 ジークンドー。敵の攻撃を打ち砕く、ストリートファイトの完成形。

 

 三船の足が前へと出され、刀が次々にリイへと迫る。

 リイは、後方へ飛ぶように動き回り、正確無比に刀身を叩き落とす。

 両者ともに、恐ろしいほどのスピードと手数。目では追い切れない攻防。聞こえるのは、リイの上げる怪鳥音、三船の履く草履の足音、そしてはたかれて響く鋼の音のみ。

「早く作品を!」

 リイが俺に叫んだ。

 だが、作品はない!

 俺は立ち上がった。

「作品を取りに戻る」

 そして駆け出す。ワダさんも追いかけてくる。

「そんなこたあさせねえ」

 三船が俺たちに向こうとした。

 その瞬間、三船の横っ面に、リイの右拳が入る。

 だが、浅い。

 刀身分のリーチを避けようと、リイが距離を取っていたからだ。しかし、それでもリイは一歩前に踏み込んだ。その結果、敵の陣地に入ってしまう。

 三船が笑みをこぼし、リイに向けて刀を振り上げた。


 俺は振り返らずに、走った。巨大な空間を、全力で横切って、螺旋階段に辿り着き、一段飛ばしで駆け上がる。そして仄暗い長い廊下を突っ走る。

 ああ、そうか、そういうことか。俺はイヤホンの不調の原因を知った。俺は、扉が見えてきて、走るのをやめた。俺たちが入ってきた扉は、完全に閉まっていた。

「大丈夫か? 聞こえるか?」

 酷いノイズに交じって、ようやくボーマンの声が聞こえてきた。

「……大丈夫と言っていいかどうか……」

 ワダさんが息を切らして、俺に追い付いた。

「扉が閉まってます。多分このせいで通信が悪いんでしょう……」俺はダメ元で扉を押してみる。「やっぱり開かないですね……」

 俺は扉に背をついて、座り込む。

「どうしますか……?」

 ワダさんが肩で息をしながら、訊いた。

「どうするったって……チャーリー、ボーマン、どうしますか? 僕らはここから出られない。作品は壊れた。これはもう……八方塞がりですよ……」

 俺は頭を振った。

「ブルース・リーはどうしたんだ?」

 ノイズ交じりのチャーリーの声。

「部屋を守っていた三船敏郎と闘ってますよ」

 闘ってます、という言葉に変な響きを感じて、俺は失笑してしまう。ここまで来て、結局は失敗か。溜まったもんじゃないな。

「ロン、こっちではすでに映画がリアルタイムで配信されている」とボーマン。

「ああ、どうですか? 俺たちの作品はどのくらい歪められてますか?」

 ワダさんも俺の隣に座り込んで、頭を近づける。イヤホンの声を聴きたいのだろう。俺は片方を外して彼女に渡した。

「そこまでは変わらない。自分たちの作品を褒めるのもどうかと思うが、やっぱり、いい出来だなぁ」

 そう言って、ボーマンは笑った。後ろからも笑い声が聞こえる。ビオスコープのみんながマイクの向こう側にいるのだろう。


 俺も、完成した作品は観た。自分たちだけで作り上げた作品だった。だからそいつは、出来の良し悪しに関わらず、とても感動できるものだった。もちろん、中身もすごく良かった。良かったと、信じている。物語を作ることの素晴らしさを、誰かと作品を分かち合うことの素晴らしさを、それは十全に伝えられていると、俺は信じている。


 だが、その作品は、そのままでは配信されない。結末はきっと変えられている。もしかしたら、それだけでは済まないかもしれない。アキラに適合するように、社会に都合のいいように、それは歪められてしまっているだろう。

 そうだ、俺たちの作品は求められていない。俺たちは何かを発することを許されていない。発することが出来るのは、アキラだけなのだ。

 そして人は、俺たちの声を聞かない。

 

 ——それでいいのだろうか、本当に。俺たちが絶対に正しいとは言えない。人の言うことに間違いがなくなることも、恐らくないだろう。しかし、だからと言って、黙っていろというのは、あまりにも傲慢じゃないだろうか?


 俺は、ボーマンに、その後ろにいるビオスコープの皆に、言った。

「やっぱりあの作品は、色んな人に観てほしいです」

 俺は、ゆっくりと立ち上がった。

「あの映画は、俺たちがここにいることの証明なんですから」

 イヤホンの向こう側は何も返さない。俺の次の言葉を待っている。俺は尋ねた。

「芹沢さん、そこにいますか?」

「ロン君、いるよ」編集の芹沢さんが応答する。

「ちょっと確認なんですが……」

 そして俺は、これからやろうとしていることを、ビオスコープのメンバーに話した。皆は少なくない戸惑いの声を上げたが、最後には俺のやろうとしていることに賛同してくれた。一通り段取りの目途が立った時、ワダさんが言った。

「イチカワさん……一つ気になっていることが」

「何だい?」

「その……イチカワさんにも聞こえたでしょう? あの部屋から声がしたのを……」

「聞こえたよ」

 俺もあの声には懸念を抱いていた。一体何があの中にいるのか、見当も付かない。怖くないと言ったら嘘になる。

「チャーリーは何か知りませんか? あの部屋の中から誰かの声が聞こえたんですが……」

「声……?」

「ええ、これまで聞いたことのない声でした。まるで造り物みたいな」

「……いや、すまない。私もそれは見当が付かないな」

「そうですか」

「どうします?」とワダさん。

「うーん……だけど、あそこに行かないわけにはいかないだろう。あの部屋からしか上映は出来ないんだから」

 ワダさんはそれでも硬い表情のままだ。

「大丈夫さ、何とかなる」

 俺は、彼女の腕を軽く叩いた。それが空元気だってことは、彼女にも分かっていただろう。だが彼女は、俺を見つめながら、小さく頷いた。

「じゃあ、もう一度行ってきます。通信は途絶えてしまいますけど……」

 俺はイヤホンの向こう側に言った。ボーマンが代表で返事をくれる。

「大丈夫だ、皆で上映を見守っているよ。最後のシーンは、前にも言ったように君が監督する可能性もあったからね、私の代わりに頑張ってくれよ」

「あなたほどの人の代わりを出来るとは思いませんけどね」

「出来る、出来る。私はそう信じているよ」

「ありがとうございます」


 それから、俺とワダさんは先ほど来た廊下を再び歩いていく。

 段々と通信にノイズが交じり始めて、音がとぎれとぎれになっていった。それでもイヤホンの向こう側からは、皆が俺たちに声を掛け続けるのが、ずっと聞こえていた。そしてそのうちに音は完全に断たれて、俺とワダさんは深海に放り出された。


 廊下の突き当りに出て、広い吹き抜けを見下ろす。


 ここに飾られている作品の一切合切。独りぼっちのアキラが、俺たちのために生み出した創作の数々。欲望を満たすことを、社会の要請にこたえることを、そんなことを目的にした物語。それはあまりにも、無理を通した存立不能な〝世界の創造〟だった。結局、たった一人で、全人類を相手に、心に響くものを生み出そうなどというのは、妄想過多の絵空事ごとに過ぎなかったのだ。

 アキラもきっと辛かったに違いない。

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