第3話 ある晴れた日
「ナディアさまー、こーんなに外は晴れているのに、お部屋に籠って刺繡ばかりされていたら、目が悪くなっちゃいますよー」
ルアナが指で目を大きく開いて、顔を近づけてきた。
「フフッ、ルアナったら」
ふんわりとした茶色の髪に、大きなクリッとした緑の瞳がとても可愛らしい。
「そうね、じゃぁ、お茶にしましょう」
窓ガラスから、差し込む燦々とした日の光が眩しい。
庭園の木々が青々と葉を茂らせ、初夏の装いを感じさせる。
ルアナが、弾むような足取りで、待ち構えていたかのようにワゴンを引いてきた。
「はい、ナディアさま。今日は、オレンジの紅茶を入れますね」
小柄で、口と手が同時に動くので、まるで小動物のようだ。
「オレンジのお茶?」
「はい、ウチの兄が持ってきたんですよー」
カップにオレンジ色の紅茶が注がれ、ふわっと柑橘系の香りが広がった。
「ルアナの家のお店は、王都にもあるって言ってたわね」
「えぇ、一番上の兄が、そこの店長やってまして。新しい商品が入るたびに私に試さして、感想を聞いてくるんで、ホント、面倒なんですー」
ウンザリといった顔だが、嫌がっているようには見えない。
「頼りにされているのね」
「ナディア様、それは違います。ただ、私に押し付けているだけです」
ぷうっと、頬を膨らました。
そんな可愛らしい顔を見ながら、カップに口をつけた。
「まぁ、美味しい。すっごく、爽やか」
オレンジの紅茶は、柑橘系の爽やかな香りと紅茶の渋さの中に甘酸っぱさが合わさった、のど越しが爽やかな味だった。
「よかったですー。兄も喜びます」
パチンと両手を打ち鳴らして、ルアナが嬉しそうに笑った。
ケストナー侯爵様も、彼女のこんな素敵な笑顔に心惹かれたのだろうか、と思った。
彼女の家は商家で、それも誰もが知っているバーレー商会だ。
身分もあるだろうけど、バーレー商会程の大きな商家ならば、婚姻を結びたいと思う者もいるだろうし、侯爵本人がルアナを好いているなら、尚更だ。
『ルアナは、どうなのかしら。特定の人とか、いるのかしら』
「どうかしましたか?ナディアさま」
首を少し傾げる仕草も可愛らしい。
「ルアナは、お付き合いしている人とか、いるの?」
「ナッ、ナディア様」
両手を胸に合わせるようにして、ものすごく驚いた顔をした。
「ご、ごめんなさい。込み入った事を聞いてしまって」
「違います、違います、ナディア様。どうして、そんなこと・・・、あっ、もしかして、ケストナー侯爵様から、何か言われました?」
「えっと、それは」
確かに言われた、侯爵の手袋に刺繡をして欲しいと。
『でも、どうしてルアナが知って?』
そう思って、気が付いた。
すでに侯爵から話を聞いていたのだと。
だとすると、侯爵はすでにルアナと恋仲になったということだろうか。
チクッと胸に痛みが走った。
「ナディア様?」
「あっ、ごめんなさい」
ルアナが顔を覗き込んできたので、慌てて謝った。
『今の痛みはなんだったのかしら』
胸に手を当てていると、ルアナが目の前にきて跪き、私の片手を包む様に両手をのせてきた。
「ナディア様。ケストナー侯爵に何を言われたんですか?」
真剣な眼差しでルアナは、私を見てきた。
「それは・・・、侯爵様の手袋に、刺繡をして欲しいとお願いをされたの」
「手袋に刺繡? ですか?」
「えぇ」
ルアナは、はぁー、と盛大な溜息をついて、もの凄く機嫌の悪そうな顔になった。
「そうですか。刺繡をね、頼んできやがっ、頼んできたんですね。あの侯爵は」
「ルアナ。ケストナー侯爵様ですよ」
「知ってます」
「・・・ルアナは、その、刺繡のこと、知ってたのよね?」
「いーえ、私は何も知りません」
「・・・そう、なの? でも」
「なんなんです? ナディア様。ハッキリ、言っちゃってください」
ルアナの形相に、慌てて自分の思いを説明した。
すると、
「ナニを言ってるんですかー。私と、あの侯爵が恋仲だ、なんて。天地がひっくり返っても、ありえませんっ」
「そんなに、否定しなくても」
「本当のことなんで、ヘンな勘ぐりはやめて下さい」
「ハイ・・・」
ルアナが、もの凄く嫌そうな顔で言うから、色々と先走って考えていたことに、申し訳なく思ってしまった。
「刺繡の話は、どこまで進んでいるんですか?」
「手袋を一組、お預かりしたの」
「えっ、もう? で、いつ返すんですか?」
「お約束はしてなくて。そういえばそうね、いつお返しすればいいのかしら」
「その時は、私に言って下さい。私が、返してきますので。絶対に、私に言って下さいね」
「えぇ、分かったわ」
顔をズイッと近づけて、真剣な顔で言ってくるので、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
『私が勝手にお預かりしてきたせいで、ルアナに迷惑をかけてしまったわ』
やっぱり、私は何をやっても上手くできないのだと情けなくなった。
「ナディアさま。紅茶を、入れ直しますね」
穏やかにルアナは言った。
こういう時のルアナは、16歳とは思えないくらい大人びた顔をする。
3つも年上なのに、私の方が年下のように感じてしまう。
「ありがとう」
「ハチミツも少し入れました」
ふわりとオレンジの爽やかな香りの中にハチミツの甘い香りが加わり、口の中に広がった。
「美味しい。ハチミツの甘さがよく合うわ」
「よかったですー」
「いつもありがとう、ルアナ。お兄様にも、いつもご相伴にあずかってばかりで、申し訳ないわね」
「いーえ、まったく問題ありませんので、お気になさらないで下さい。ナディア様に美味しく飲んで頂ければ、それだけで、ウチの兄は大満足だと思いますので」
「そんなことは、ないと思うけど」
「それでしたら、ナディアさま。そのお気持ちを直接、兄に言って下さいませんか?」
「えっ?」
思ってもみない話の展開に、驚きの声が出てしまった。
「次の休みに、兄の店に行くんです。一緒に行ってみませんか?」
ルアナが、可愛らしい笑顔のまま、ズイッと顔を近づけてきた。
私はここに来てから外出をしたことがない。
したいと思ったこともなかった。
仮に外出したとしても、行きたい場所があるわけでもなく、街がどんなところで、どんな店があるのか、それすら知らない。
それに、家から持たされているお金も最低限しかなく、自由に出来るお金も持っていない。
「でも・・・」
「店には、いろんな雑貨もありますし、刺繡の糸もたくさん種類がありますよ」
「・・・いえ、折角だけど、やめておくわ。ごめんなさい。でも、お兄様にお手紙を書くわ。感謝の気持ちを書くから、渡してもらえる?」
「ふっふっふー。ナディア様、私から1つ提案があります」
ルアナは両手を腰にあて、鼻高らかに笑みを浮かべていた。
「ナディア様が作っておられる刺繡の数々をですねー、うちの店に売ってみませんか?」
訳が分からず、呆気にとられて、ただルアナを見た。
「私、前々から思ってたんです。ナディア様の刺繡は、素晴らしいって。とても精巧に刺されているし、色見のグラデーションも微妙に凝っていて、プロ並みに素晴らしいです。いえ、プロよりも、今、うちで売られているどの品よりも、ものすごくいい出来なんですよっ!」
「あ、ありがとう」
熱弁するルアナの気迫におされながら、でも褒めてくれる彼女にお礼を言った。
「なので、うちの店に持って行って、兄に買い取ってもらいましょう」
「えぇっ?!」
いきなりの展開に驚きしかない。
「大丈夫です。もうすでに、うちの兄のお墨付きなので」
「どういうこと?」
不安しか浮かんでこない。
「実は、以前ナディア様から頂いたハンカチをうちの兄が見て、いい品だって褒めちぎっていたんです。なので、問題ないです。兄は職人気質なところがあって、良い品悪い品の目利きにはかなり厳しいんですけど、その兄が言うんですから、絶対に大丈夫です」
力強く断言するようにルアナが言った。
私が作ったハンカチを褒めてくれて、いつも美味しいお茶やお菓子を届けてくれる、ルアナの兄。
嬉しい気持ちと感謝の思いに、一度会ってみたいとは常々思っていた。
「・・・もし・・・もし、迷惑でないのなら、一緒に伺わせて頂こうかしら」
おずおずと答えた。
でもすぐに、
「迷惑なんて、ぜんぜんです。兄も大喜びします!」
両手を上げて喜ぶルアナが可笑しくて、フッと笑ってしまった。
「ありがとう。では、よろしくお願いしますね」
「もちろんです。任せて下さい」
ポンと胸を叩く仕草が可愛らしくて、また笑ってしまった。
小さな恋の物語 青空 吹 @sorafuku
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