第14話 後日譚(両性愛者の後始末)

 写真館の名前が変わった。

 いや、沖田が変えた。

 これまでも、何度かスキャンダルに見舞われてきた沖田ではあったけれど(バイセクシャルであることがバレるとか)、今回は仕事に差しさわりが出るくらい影響した……乱交パーティ主催者で、公然わいせつ罪で逮捕というのは、それぐらいインパクトのあるニュースだったということだ。花屋のご隠居さんをはじめ。懇意にしている業者さんはかばってくれたけれど、肝心の葬儀屋……その若社長が評判を気にして、写真を他業者にまかす、と言う。今どきの人らしく、口コミよりインターネットで、と、実際写真屋を探したようだ。けれど、遺影専門どころか、昔ながらのスタジオ持ちの写真屋さえほとんど見つけられなくて、凹んでいた。パソコンプリンターの普及で現像を頼む人が減り、デジタルデータのまま写真を保存する人が増えて、さらに写真屋の廃業倒産が増えて……という時代の移り変わり、なのかもしれない。

 カメラ屋……カメラ本体やレンズ等を売る店自体は、しぶとく生き残っている。趣味として楽しむ層をターゲットとした高級店、それにキタムラみたいな全国チェーンのお店。単に写真の技術持ちというなら、広告屋や内装工事屋等、ビジネス目的で写真を撮らねばならないところも、健在である。

 長年やってきたツーカーの業者を切るのは大変ですよ……と沖田は例の葬儀屋の社長たちに悪魔のささやきをした。モツ煮と焼鳥がうまい居酒屋が、沖田の説得を助けてくれた。

 さんざん接待漬けにしたあと、「中身がどうあれ、名前が違う写真屋なら、面目立つんでしょう」と沖田は写真屋の看板付替えを彼に約束したのである。

 瀬川姉弟写真館。

 社長はマサキ、営業は沖田、と立場を入れ替える。

 沖田という名前が杉田になったり瀬川になったりしただけでは、さして印象が変わらないかもしれない……という危惧から、あえて「姉弟」という言葉を屋号に添えた。そして、新生写真館立上の日、沖田はマサキにちゃんとスーツを着せ、大口クライアントに挨拶に行ったものだ。

「現実の、遺影加工の技術はどうなんです?」と葬儀屋さんは、新しい名刺をしげしげ眺めながら、マサキのいる真ん前で、沖田に問いただしたものだ。「今までだって、仕事の半数は彼に任せていたんですよ」と、沖田は営業用スマイルで答えた。葬儀屋さんも営業用スマイルで応じてくれたものだ。「そういうのは、黙ってたほうがいいよ、沖田くん。正直すぎることを言うと、バカに見えます」。

 目の前で鼎の軽重を問われたマサキも、やはり営業用スマイルを崩さず、若社長に深々と頭を下げた。

「こんな若僧ですが、よろしく」

 後日、語尾に「……ス」とつけなかったことを沖田が褒めると、「写真屋で一番大切な技術は、パソコンスキルでなく、カメラレンズの選定センスでもなく、シャッターチャンスを逃さないフットワークの軽さでも、もちろんなく、顔面の筋肉を自由自在に操れる能力ッスね」とマサキは言った……沖田に向かっても、営業用スマイルで。


 杉田は予定通りビジュアル専門学校の理事教授に就任した。

 もちろん、高校を辞めるときには、一悶着あった。

「退職金をつけてあげるから」即日退職届を出しなさい……と教頭先生に言われ、彼女は諭旨退職を選んだ。警察の勇み足で告訴にはなってない……と抵抗もできたけれど、教壇に戻っても生徒から針の筵ですよ……という同僚の説得に負けた。転職を長引かせれば、幡野代議士からの「神通力」が弱まるかもしれず、条件のいいうちに……と沖田がアドバイスしたせいもある。あんなに「春日部に戻ってこい」と粘着していた両親が、逆に、「一家の恥さらし娘に帰る家はないぞ」と帰省拒否してきた、という。

 勤務先は仙台で、通勤を考えればなるべく仙台に近いところ……どうせなら、仙台市内に在住すべきなのだろう。

 でも、杉田は石巻市内にこだわった。

 写真館にはまだ空き部屋があったけれど、「交際始まってから、ずっとお互い時間が合わなくて大変だったでしょ。学校が変わったって、やっぱり先生稼業で、生活のリズムが合わないのは、今までと一緒だよ」と同居そのものは拒否した。写真館裏には、駐車場を挟んで、廃業した産婦人科病院の建物があった。後継者はおらず、買い手もつかず、長らくホラー映画の舞台になりそうな廃病院だったところで、沖田は格安で借り上げることができた。どんどん老朽化していく外観と違って、病院の中は時間が止まったかのように、小ぎれいなままだった。診察室には治療用のなんやかやが一式揃っていた。「プレイの幅が広がるわねえ。内診台でおもちゃになる第一号はトキオくんにしてあげる」と杉田ははしゃいだ。「それは光栄。でも、お手柔らかに」と沖田は肩をすくめるしかなかった。


 杉田の通勤が車で、となったのは、JRの連絡がイマイチ、という理由だけではなかった。実際に通勤してみると、同乗者が意外に多かったのだ。ラブホテルに踏み込まれて、沖田が逮捕されてしまった事で、原弥生は逆に、カルテット交際に加わることに、こだわった。逮捕は君のせいじゃない……と沖田は何度となく原弥生を諭しはしたのだけれど、何か自責の念にとらわれていたのだ。仙台のアパートを引き払って、写真館に同居したい、と申し出てきたのである。「それなら、ウチに来ない?」と杉田が原弥生を誘った。さして広くもない廃病院ではあるけれど、独り住まいはやっぱり寂しい・不気味、という。用心棒代わりですね……と原弥生は承諾したのだけれど、そのうち、用心棒は兼業主婦となり、最後には秘書になった。原弥生がいつ、バーテンダーを辞めたのか、沖田はついぞ気づかなかった。「寝ながら通勤できるのって素敵」という理由で、杉田は原弥生を秘書にした。そう、朝晩通勤の運転手だ。杉田自身が賃金を払う私設秘書でなく、専門学校がちゃんとカネを出してくれる、公認秘書だという。「当たり前の人事権」と杉田が鼻高々なのを見て、マサキが「さすが女王様」とからかった。

 朝の通勤は、だから、原弥生運転の車に杉田が乗っていく形になる。

 沖田は時折、これに途中まで便乗させてもらう。

 名和氏から「もらった」奥松島の住職の件で、写真館の仕事が忙しくない時には、坊主の仕事をしに行くからだ。寺は妙恵尼さんに在住してもらっている。事前情報ではアルバイトなしで食っていけないという話だったけれど、檀家さんたちの手厚い援助もあって、経理はなんとか回っている。けれど、退屈だ、と妙恵尼さんは言う。葬儀法事があればこそ、昼間は全く話し相手がいないという。気の毒に思った杉田が「権力を発揮して」自分の第二秘書……週一勤務のパートタイム秘書……を提案した。つまり、沖田と交代する形で、妙恵尼さんは、原弥生運転の車に同乗して、仙台の専門学校についていく、ということなのだ。客商売のアルバイトでないから、あえてカツラをつけない……と妙恵尼さんは宣言した。杉田は「むしろ大歓迎」。

「妙恵さんの件、助かるよ」と沖田は一度、杉田1人を誘ってだけを誘って、石巻漁港でアンコウ鍋を奢った。「生臭ボウズねえ」と杉田は柔らかでコクのある鍋を堪能した。「自分のため、カルテット・プラス・ワンのためでも、あるから。ね、トキオくん。次の恋人候補は、あの尼僧さんにしない?」


 杉田のビジュアル専門学校での仕事ぶりが気になって、一度「父兄参観」したことがある。杉田の与えられた個室の理事室は、ビル五階の見晴らしのいい部屋だった。髪を紫パーマにしたオバサン講師が書類に判子を貰いにきて、居合わせた沖田たちに呆れていた。シーメールの秘書さんだけでは飽き足らず、スキンヘッドの男女も侍らせていたのだから、ある意味当然かもしれない。

 フリークス蒐集の趣味でもあるのかしら……と紫パーマ講師は、聞えよがしにつぶやいた。「あなたもコレクションに加えてあげる」と杉田は貫禄たっぷりにイヤミを返した。


 瀬川は、ナースの仕事を辞め、写真館で専業主婦である。

 警察沙汰になったことを病院経営者に咎められて……では、断じてない。

 体調を崩したのだ。

 ツワリだ。

「妊娠したよ、トキオくん」という報告は、彼女が病院を辞め、写真館に強引に引っ越してきてから、聞いた。

「普通に、産休にすれば良かったのに」と杉田が残念がったけど、瀬川は意に介さない。体調が安定してから復職するっていう手もあるけれど、貯金がないわけじゃないし、赤ん坊が産まれるまで、のんびり過ごしたい……と言う。「姉弟写真館なんだから、私がいないとサマにならないでしょ」と瀬川は姉を煙たがるマサキに言った。「大変だと思うけれど、廃病院にいる2人も含めて、5人分の賄いをお願い」と沖田は頼んだ。「あら。子どもが出たら、もっと大変よ。私、シーちゃんと一緒に、1ダースの赤ん坊を産むからね」と瀬川はニコニコ顔で宣言した。

 心配なことが、いくつかあった。

 なかなか安定しない瀬川の体調のことだけじゃない。

 まずは、戸籍のこと。

「男としての責任」と考えれば、沖田が瀬川にプロポーズするのが、妥当な線だろう。

 しかし、杉田の存在がある。

 杉田と瀬川は同性愛関係のパートナーであって、決して沖田を廻る三角関係にあるわけではない。けれど、沖田が瀬川と過度に緊密感を出すと、杉田とはなんだか気まずくなるときが、あるのだ。このへんの微妙なニュアンスが分からないマサキは、あっさりと沖田と姉の入籍を支持した。のみならず、カルテット全員の「同時結婚」状況を考えれば、自分自身は杉田と結婚していると同じだよ……とマサキははしゃぐ。けれど、「全員じゃないでしょ。今はカルテット・プラス・ワンなのよ。弥生ちゃんはどーすんのよ」と姉のほうが的確なツッコミを入れた。花束の会在籍時、ゲイやバイの偽装結婚を助けたことを沖田は思い出す。他人の事だと投げやりな結論も含めて、簡単には結論を出せない……。

 偽装結婚や養子縁組の場合、例えば何かあったときの相続や離婚は明快だ。異性愛者同士の結婚に準じて処理すればいい。

 沖田たちは、そうはいかない。

 例えばマサキが東京のペンギンと浮気した場合を考えてみる。有責配偶者として、マサキが「離婚される」パターンは様々に考えられる。マサキだけがカルテットから排除される……というノーマルな場合。マサキが原因で、その原因を作った? 沖田も一緒に排除される場合。いっそのこと、マサキが原因でカルテットが全部バラバラになってしまう場合。死別、親戚つき合いなど、いちいち他のメンバーに断りながらだと……。

「タイヘンだ、か。トキオくん、ワンパターン」

 沖田自身はあまり自覚がないのだけれど、確かに、とりこし苦労な話をして、とめどなく自分事を脱線させてしまうクセはあるかな、と反省する。

「じゃあ。タエコ。ワンパターンじゃない質問をするよ。お腹の中の子どもは、どっちが父親なのかな」

 瀬川は、だいぶ前から、こんな質問がくることを覚悟していたのかもしれない。

「どっちでもないわ。私たち4人……いえ、今は5人の子どもよ、トキオくん」

「子ども本人には、いずれ、遺伝子上の父親が誰か、伝える必要あるかもしれない。そりゃもちろん、知りたくない権利でもあるんだろうけど、知りたい権利でもある。親世代の権利じゃなく、産まれてくる子供の権利なんだ」

「そうね。でも、私たち5人の子どもだっていうことを、教える義務もあると思うわ」

 さきほどの沖田のグタグタな解説ではないけれど、たとえば沖田と瀬川姉弟が交通事故とで同時に亡くなった場合、杉田に子どもを育ててもらうことになる……とかいう意味だ、と瀬川は言う。

「紫乃、本人には、言ったの?」

「今からよ」

「やれやれ。自分たちには、まだまだ話し合うべきことが、いっぱいあるみたいだ」

「それ。まだまだ、じゃなく、これからも、よ」


 父親になるという自覚も実感もなかった沖田に、少しは目を開かせてくれたのは、本当に久しぶりの東京からの連絡……ペンギンからの携帯電話だったかもしれない。

「よう。有名人。元気にしてるか」

 スピーカーの向こう側から聞こえてくる声は、あいかわらずエネルギーがあまり余っている感じだった。

「県議さんの記者会見の話、ネットニュースで見たときには、自分の目を疑ったよ。あの沖田が偉くなったもんだなあって……あ。皮肉とかじゃなく、純粋に感心したっていう、意味な。その後、公然わいせつ罪で逮捕されたって聞いて、2度びっくりだよ。いやあ……」

「それで、何の御用です?」

「なんだ。いつもの沖田らしくないな」

「ガールフレンドが……今はもう、ヨメですけど、妊娠したんです」

「そうか。まずはおめでとう。沖田、いつもの沖田とは様子が違うわけじゃなく、今までの沖田とは、違う沖田になったってことだな」

「ええ。ゲイバーで遊んでいるヒマも、なくなったんです」

「つれないなあ。沖田と僕の仲なのに。あ。こんなことをしゃべるために、わざわざ電話したわけじゃないぜ」

「じゃ。なんです?」

「ゲイバーAZTの昔の常連客……ガチなゲイから、相談された。知合いの知合いの、そのまた知合いのバイセクシャルに、頼まれごと、だとよ。沖田と同じポリガミーバイの人で、相談に乗ってやって欲しいことが、あるんだそうだ。なんだか、別れ話がこじれてるとか」

「真性ゲイはバイセクシャルなんて、大嫌い、なんでしょう?」

「かのバイセクシャルに泣きつかれちゃ、しょうがないだろう。マイナーな性癖のお陰で、沖田を逃したら、もう次のチャンスはないかも……て。それとも沖田、僕の仲介じゃ、相談に乗りたくないってか」

「いえ。間を取り持ってくれた人が、どんなにバイ嫌いのゲイでも、相談に乗りますよ」

「融通無碍ってヤツか」

「いえ。単に、コウモリ男って、だけですよ」


                                  (了)

    

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虹色のコウモリは嫌われる 木村ポトフ @kaigaraya

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