閑話 チロルとアゼリアの花(チロル視点)

 テイルさんが王都ジールベルヌに向かって、不在の間リュカちゃんとわたしは、レティさんの花屋のお手伝いをしながら、お留守番をしています。


 リュカちゃんは寸前まで付いていくと聞かず、ライラさんはまたおかんむりで、テイルさんは可哀想に、逃げるようにして旅立っていきました。


「チロルちゃん? アゼリアをさ、そっちの鉢に植え替えておいて欲しいんだけど、できるかな?」

「わかりましたのです! 任せて下さい!」

「おいらは~?」

「あんたはあたしと接客の練習だ。そろそろ商品の値段を覚えなさい」

「え~? 数字、にがてなんだもん~……」


 リュカちゃんは、難しそうな表情を浮かべ、レティさんの隣で商品の価格表とにらめっこ。


「うんしょ、うんしょ……」


 頑張っているリュカちゃんを横目に、私はプランターに等間隔に植えられたアゼリアの花を小さめの可愛い鉢植えに植え替えて行きます。


(お花はやっぱり可愛いのです……!)


 こうやって、元気なお花を触っていると、実家でいた頃のことを思い出して、思わず嬉しくなります。



 ――家には小さなお庭が有って、母が毎日手入れをしていました。

 お花屋さんと比べるとささやかなものなのですが、愛情を込めてまめに手入れをされていたので、季節毎に開く色とりどりの花達は、あまり家から出なかった私にとって、大きな慰めとなっていました。


 父は毎朝早くから近くの街の郵便配達の仕事に出かけて忙しく、夜遅くまで中々帰って来ません。


 私の住んでいたのは小さな村だったので、他に遊び相手もおらず、幼少の頃は本を読むか、ぼんやりと窓から景色を眺めて過ごすことが多かったのです。


 お母さんはわたしが一人で過ごせるようになった頃、村の宿屋で働き始め、日中はなおさら退屈になってしまい、私は外に強く興味を持っていました。


 庭で遊ぶのも飽き、そのうち私は両親に秘密で、家の外を散歩してまわり出し、毎日少しずつ広がったその範囲は、やがてある森に届くようになります。


 そこは、母にきつく言いつけられた場所で、確かその日は、とても綺麗な姿の鳥を追いかけるうちに夢中になって足を踏み入れてしまったのだと記憶しています。緑と青の綺麗な翼を広げたその鳥はいつの間にかどこに行ったか分からなくなり、わたしは森の中で立ち尽くしました。


「……家、どっちだったでしょうか」


 木々は茂り、薄暗い周りの風景を見渡すと、私の中でどんどん不安が募ります。

 どちらが家の方角だったか……歩けど歩けど、開けた場所には出られません。


 この頃はまだ小さく、迷った時の対処法や方角を知る術などは全く知らず、私は軽率に行動した自分を呪います。


『――ギェェェェェッ!』

「ひぇぇぇぇっ!」


 どこからか、恐ろし気な獣の叫び声がして、私は地面にうずくまりました。


(やだ、やだ……こわいのです!)


 嫌な想像はどんどん膨らみ、私はもしかしたら食べられてしまうのではないかと思って、涙を流しながらパニックになって動き回ります。


(助けて、誰か助けて!)


 当然ながら、誰も周りにいる訳もなく……。

 やがて、私は不思議な場所に出ました。


 その一角だけ木々が無く開けており、紫色にかがやく沼地の様なものが中央には広がっています。そして、ちょうど真ん中に、大人の人位は有りそうな、巨大な花が咲いていました。


 周囲には、甘い香りが漂っています。

 

 巨大な花は、真っ赤な血の様な色をしていて、薄暗い森の中で浮き上がる様に目立ち、私はそれを見てぞっとしました。すぐに足を返そうとしたのですが、なぜか身体がふらついて、尻餅を着いてしまいます。


(あ、あれ……? 体、が……)


 呼吸がどんどんできなくなって来て、苦しくて汗がだらだらと流れて来ました。


(お父、さん、お母さん……! 助けて……)


 どんどん体が冷たくなり、意識が薄らいできて、わたしは心の中で必死に父と母を呼びます。けれど、そんなのはどこにも届くはずがありません。


(言いつけを守らなくて、ごめんなさい……)

 

 その時、気を失う前に頭に浮かんだのは……両親への謝罪と、少しだけでもお友達を作って遊んでみたかったという、そんなささやかな願いだったのでした――。




 その後、わたしはベッドの上で目を覚まします。

 うっすらと開けた目に、ぼんやりと映ったのは知らない女性の顔でした。


「良かった、子ウサギちゃん。戻ってきたのね」

(……誰なのでしょう)


 私とは違い、人の耳を長くしたものを顔の側面に着けたその女性は、とても綺麗なお顔をしていて、女神様みたいでした。


「ああ……冒険者の方、ありがとうございました! なんとお礼を言えば」

「チロルッ! ……ありがとうございます!」


 覆いかぶさる両親の匂いが感じられ、ほっとしながらわたしは……ぼんやりとその冒険者様に目をやります。サラサラの金髪を伸ばした彼女は、とても優しい青い瞳で私を見つめ返し、頭を優しく撫でてくれます。


「心配ないわ、あの発生源の魔物は退治しておいたから。きっとあなた、元々体があまり強くなかったのね。でも、薬のおかげで少しずつ丈夫になっていくと思うから、もう大丈夫」


 扉がキイと開いて、誰かが中に入り、その冒険者さんの名前を呼びます。


「フレア、そろそろ。ここに留まっているわけにはいかない」

「……そうね。あなたが元気になったら、いつかまた会いましょう。その時は――」


 まだ十分に体力が回復していなかったのでしょう。彼女のその言葉の先を聞く前に、わたしの意識はまた、ゆっくりと眠りの縁に誘われました。


 後から両親から聞いた話なのですが、多くのお医者様にかかっても治らなかったわたしを、父が冒険者ギルドにまでどうにかできないか掛け合って、やっと見つけてくれたのが彼らだったということです。


 彼らが来るまでわたしのことを見てくれていたお医者様が、冒険者様が調合に使う薬品を見て、それは伝承に聞くほど高価な霊薬だとか、この大陸では生育していない植物の根であるとか騒いでいたらしいです。そんな物をお持ちだったのからきっと彼女は高名な薬師様でもあったのでしょう。


 その後冒険者さんたちは、心ばかりのお礼を受け取ることなく、急いでいるからとすぐにまた、旅立ってしまったとのことでした。すっかり元気なったわたしは、両親のお叱りを受けながら、あの時のことを思い出します。冒険者様の――フレアさんの優しい蒼い瞳を。


 彼女は、なにをわたしに言おうとしていたのでしょうか……?

 それを私は絶対に思い出したくて――。


「――チーロル?」

「は、はい?」

「どーしたの? わっ……とっと」

「あ、ごめんなさい」


 持ち上げていた青い花の鉢を落としそうになってしまった私の手に、リュカちゃんが温かい手のひらを添えて支え、にっこりと笑いかけてくれます。


 そうです……。あの時願ったように、フレアさんに命を救われ、テイルさんと出会ったことでリュカちゃんやライラさんのような素敵な仲間が私にもできたのです。おかげで今は毎日をとても楽しく送れています。


「少し、昔のことを思い出していたのです。ありがとうございます、リュカちゃん」

「えへへ、いーよ。レティのお話も終わったから、そろそろ休憩しよっかって。行こ!」


 そっと地面に鉢植えを置くと、わたしはリュカちゃんに手を引かれて歩いていきます。私は一度だけ振り返り、青い花をフレアさんの瞳と重ね、心の中で語りかけました。


(待っていて下さいね。必ずいつか、元気になった姿を見せに……ありがとうって伝えに行きますから!)

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解雇(クビ)にされた細工師が自分の価値を知る【リ】スタート冒険者生活~ちまたで噂されてる伝説の職人の正体は、どうも俺らしい~ 安野 吽 @tojikomoru

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