第16話 レイ簡製作③墨を作ろう

 トールズ文具店――王都には3軒文具屋はあるが、この店が一番品揃えが豊富で、ペンだのインクだのを買うために何度も利用している店だ。だが今までにかわを買ったことは無い。接着剤を使うシーンがこの3年半で無かったからだ。

 とりあえず店内を一通り見て回る。

 ペンとは云っても現代のようにインクが内蔵されているペンは無い。こっち――少なくともアルディシア国内では、書き物をする時にはペンとインクが必須となる。ペンのコーナーには、十数種類のペンが並んでいた。ペン先だけのものと柄付きのものがあり、柄も木製や金属製、何かの骨で作られた物、そしていわゆる羽根ペンがあった。羽根ペンは十数本並べられていたが、全て羽根の色や形が違っている。これだけの数を集めるのは大変そうだが、ここの店主は見かけに似ずやり手なのだ。

 インクは小瓶に入っていて、様々な色合いの黒のインクがあり、珍しい物として赤と青と黄のインクもあるが、黒の5倍以上の値が付いている。おそらく岩石の粉などを混ぜているのだろう。赤青黄の3原色が揃っているから、混ぜ合わせれば好みの色を作れそうだ。

 当然、羊皮紙も扱っており、色々な大きさがある。その隣にはやはり皮のような物があるが、どの動物の物かは分からない。

 というか、この世界の動物のことはろくに知らないな、と今更ながら気付いた。ケイロスが小さい頃に動物図鑑を見たことがあるが、全5冊のうち1冊しか読めなかった。アーシアの図書館には勿論5冊全て揃っているが、子供の頃だったから思い本を冊読むだけでも何日もかかり、結局1冊だけで断念したのだった。

 1回は目を通しておくべきだな。地球上のと似た動物がいるかもしれない。竹があるのだから、パンダがいても不思議ではない。

 まあ、動物は置いておいて、とりあえず膠だ。物色を再開する。

 小さい、いかにも文房具という物のほかには、まず文机ふづくえがあった。明治の文豪が使ってたんじゃないかと思わせる文机があると云うことは、床に座ってものを書く人もいるということか。

 電気スタンドの代わりに使うのであろう、卓上ランプもあった。電気が通っていないこの世界では、陽が落ちた後に書き物をするためにはランプが必要になる。ランプの傍には燈火用の油も売っていた。セットにして売るつもりらしいが、買う方も別の店で改めて油を買う手間が省けて便利だろう。


 一周してみたが膠らしき物はない。店主に声を掛けた。

「トールズさん、膠は置いてないかな」

 頭頂がつるりと禿げ上がった中年男が答えた。

「膠ぁ? 最近はデンプン糊が主流だから、膠はあまり流れてこないんだよ。デンプン糊の奥の方に無いか?」

 デンプン糊はご飯粒でくっつけるような物だが、米が無いこの世界では、何からデンプンを取っているのだろうか。

 そんなことを思いながら、改めてデンプン糊が並んでいる奥を見てみると、直方体にかたどられた膠らしき物があった。形と云いサイズと云い、これで黒かったら私が見知っている墨そのものだ。3個しか置いてなかったので、全部買い占めた。

「今どき膠なんて何に使うんだよ?」

「まあ、ちょっとね、実験をね。上手くいったら膠を大量に仕入れておいた方がいいよ」

「ホントかよ?」

 竹簡が成功したとしても全て羊皮紙から竹簡にスライドするとは思っていないが、この軽さと手軽さは必ず重宝されるはずだ。少なくともアルディシア中に普及することは間違いない。私はそう確信している。

 そういえば、紙だって歴とした文具のはずなのに、トールズさんには今まで訊いたことがなかった。

「トールズさん、最近は新商品は無いのかい? 新しく開発された物とか」

「いや、新商品の情報はここのところ無いな」

「羊皮紙の新種とかも?」

「羊皮紙の新種ってなんだよ? 羊皮紙は羊皮紙だろうが」

「羊皮紙に似ているだけで、例えば植物でできている物とかさ」

「植物でできていたら、そりゃもう羊皮紙じゃねえだろ」

「いやだからさ、名前はなんだっていいのよ、とりあえず植物、っていうか草とかで作られた物があったらいいなって。軽そうだろ」

「そんなこと、聞いたこともないから分からん」

 埒が明かない。やはり紙の現物を見ないと想像できないか。

 まあいい、必要な物は手に入った。帰って早速墨作りを試してみよう。


 まず黒くするための材料を決めることから始めなくてはならない。一番候補は勿論炭だ。さっき商店通りの店をあちこちと廻り、果物を売っている店で壊れた木箱をもらってきた。それを箱と呼べなくなるまで壊して木材を得る。寮の中庭に行くと炎の基礎魔法を使って木炭を作る。さらに竹簡の一部を使って竹炭も作った。

 ――おかしい。私は司書を目指しているはずだ。そして現代地球の知識を活かして魔法を駆使した図書館のハイテク化が目標だったはずだ。

 それなのに、最近は手を使ってものづくりばかりしているような気がする。司書は本を扱うのが仕事なのに、いつから本を作ることになったのだ?

 こういう作業は嫌いじゃないからいいけど、本道を忘れないようにしなければならない。

 気を取り直して木炭と竹炭を作りあげると、それぞれを細かく砕いた。そうか、これはすすだ。なんだかいけそうな気がしてきた。

 次に膠を煮溶かして固体から液体に、少なくともゲル状にする必要がある。悪臭が出そうだから寮の厨房を使うわけにはいかない。土魔法を使って地面の土を用いて簡単なかまどを作ると、その上に膠と少量の水を入れた鍋を置き、残った炭に火を点けて竈に。土魔法は最初は苦手な方だったが3年間の習練の結果、発展魔法まで使えるようになり、今では風に続いて得意な魔法となっている。

 炭は赤熱を発し、やがて鍋がシューシューいいだして水が沸騰した。それに溶けるようにして膠の形が崩れていく。そして漂い始めたこの臭い。

 なんというか――そう、生臭い。大量の魚が腐ったような臭いだ。慌てて風魔法で上昇気流を作り、臭いを空に拡散させた。四方を建物に囲まれた中庭にこんな臭いを充満させたら、寮を追い出されかねない。

 いい具合に膠が軟らかくなったところで、3分の1ほどを取って一旦竹で作った容器に入れる。節を残して輪切りにした物だ。そこに木の煤を入れて十分にかき混ぜてから、細みの竹を縦に半分に割ったものに入れた。乾いて固まればかまぼこの形になるはずだ。竹の煤と、木炭と竹炭の煤を混ぜたものも作り、それぞれの竹を割った容器の表面を削って印を付ける。

 それにしても竹は有用なことこの上ない。王都では無理でもアーシア領で栽培できないだろうか。今度進言してみよう。

 素材と云えば、そういえばさっきは私には当たり前すぎてスルーしてしまったが、文具店で売ってたインクが入っていた容器は透明で、瓶と呼べるものだった。今まで見たことは無かったが、この世界にもガラスを作る技術が存在していて、しかしあまり普及していないということか。おそらく開発されたばかりの技術でまだ一部の人しか作れないのだろう。早く世に出回るようになってほしいものだ。

 一晩乾燥させれば多分墨も固まるだろう。明日の朝が楽しみだ。



                                第16話 完

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